哲学の科学

science of philosophy

現実を語る人々(3)

2022-08-27 | yy85現実を語る人々


広告料、購読料として人々はメディアの維持費を賄い、その月額が維持される分だけニュースは報道され解説され、量産され、サイクルは安定して回転します。

メディアから離れる。テレビを見ない、新聞を読まない、という生活をするとどうなるでしょうか?インターネットも見ないことにします。そうすると現実が分からなくなるのでしょうか?
しかし人と付き合わないわけにはいきません。人と話せばその背景にはテレビの語る現実がある。インターネットを見てもその背景にはマスメディアの語りばかりが見えます。結局、現代人である限りマスメディアの作る現実の中で生きることになります。
漫画やアニメ、SFには異世界があります。しかしこれもなかなかこの世の現実から離れられない。傑作はあります。ジョージ・オーウェルの1984(一九四九年 George Orwell 「Nineteen Eighty-Four」)などまさに現代のデジタル権威主義社会を予言したようなディストピアを描いています。 
これは現実と乖離した絵空事を描いた傑作なのか?逆に当時の現実(スターリン体制の拡大)を切実に表現したからこそ傑作になったのではないでしょうか?
現実とまったく独立した幻想の夢物語は傑作になれるのでしょうか?RPGゲーム・ドラゴンクエスト(一九八六年 堀井 雄二他「ドラゴンクエスト」)は魔物と戦う異世界の物語です。これも仲間と協力して経験値を積み上げ階層をよじ登っていく青年期の願望を絵にしたものといえます。
現代の現実の中でどうすれば確実にステップアップできるのか?現代青年の悩みが映されているとみればこれも現実を語っているこの世の声の一つなのでしょう。









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現実を語る人々(2)

2022-08-20 | yy85現実を語る人々


マスメディアは自信をもって現実を語っています。結局はそれに連動した同じ自信をもって人々も語る。そうであるからその現実は正しいことになるのでしょう。現実をつかんでいるというその自信はそもそも、どこから来るのか?
マスメディアはその名の通り寡占によってブランドを確立し、その権威によって経営を保全しています。毎日の報道により語り続けている世の中の現実がまた読者視聴者の現実感覚を作り、再帰的にマスメディアのブランドと信頼性を確立しています。
ある事件が起こったり無名の人が事件を起こしてニュースに登場したりすると、人々は新しいその現実を今までの現実のどこに当てはめれば良いのか、判断をマスメディアに依拠します。その期待に応えてメディアは今日更新された現実を語る。
テレビではそのニュースの順番、語順、解説の長さ、そしてアナウンサーの表情と声のトーンがその情報の位置づけを教えてくれます。新聞では見出しの位置。文字の大きさ。選ばれた単語、写真のサイズ、アングルなど新聞がどう感じながら報道しているのか、読者に訴えます。
人々が聞いてくれるから、メディアは新しい話を熱心に語る。熱心に語るから人は新しい話を聞く。そうして現実はあらわれ一日は過ぎていきます。
明日になればまた新しいニュースが現れ、それを織り込んだ明日の現実をメディアは語ってくれるでしょう。ニューストゥデイ、あるいはトゥデイイズニュースです。









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現実を語る人々(1)

2022-08-13 | yy85現実を語る人々


(85  現実を語る人々  begin)




85  現実を語る人々

人はなぜこの現実を現実と思うのでしょうか?
自分に見える現実は人々が見ている現実と同じだ、と私たちは思っています(拙稿6章 「この世はなぜあるのか」)。
人の話を聞くことでその人が私と同じ現実を感じているらしいと分かります。その話がどうもおかしいと違和感がある場合、この人はうそを言っている、と思えたり、精神病ではないか、と感じたりします。

ルバング島の小野田さんは意外と現実を知っていました。
旧陸軍情報将校だった小野田 寛郎(一九二二年―二〇一四年)は戦後もルバング島の山中でゲリラ活動を続け一九七四年になってフィリピン軍に投降し最後の日本兵と言われた人です。
この人と山中で一対一の接触に成功した冒険家の鈴木紀夫(一九四九年ー一九八六年)は「戦争は終わりました」と語りかけたが小野田は「俺にゃ戦争は終わっちゃいねえ」と返したそうです。(二〇一二年 戸井十月「小野田寛郎の終わらない戦い」)
夜通し会話し情報交換をした鈴木に小野田は、君の話は小説日本敗戦記としてよく聞いておくよ、と言ったそうです。
数日後、小野田は旧陸軍の上官と会い山を下り、フィリピン軍将校、司令官などと次々に会って降伏儀式に従いました。この経過で彼は人々と現実認識を共有するようになっていったのでしょう。
しかし、帰国一年後、小野田は日本を脱出し兄に倣ってブラジルで牧場経営をするようになりました。この後の行動を見ると、現代日本社会との接触が彼の人生観を変えたと推測できます。親族、故郷やマスコミの人々の語る現実を知りそれに反応したということでしょう。
日本社会の外側で多く過ごした人生でしたが、小野田はいつも日本の敗戦という現実を強烈に感じていたように思われます。
日本敗戦記という小説の中に巻き込まれ、それが現実であることを否定しながらも日常としてその中で生きるしかなかった。
最後の日本兵というこの状況が多くの日本人の琴線に触れたこととマスコミを通したその人々の態度によって彼の後半生における現実があらわれてきたともいえます。








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幸福な現代人(6)

2022-08-06 | yy84幸福な現代人



そうであれば私たちの住むこの現実世界は、適当に幸福があるが、周辺を取り囲む不幸と残酷の物語に満ちているはずです。不幸に陥る実例は毎日見聞きできます。たまたま自分ではない、というくらいに感じます。
今日だけは安心があるが明日は不安で怖い状況であることは当然、と思えます。
それはまさにバーチャルリアリティの世界であるのかもしれません。感覚的で美しく心地が良い。しかしこのこぎれいに作られた(仮想?)現実の中で生きていくことが現代人の人生である、と悟ってしまえば何も問題ではない。実際、手に触れるものは心地よいものばかりではありませんか?
現代人はかなり幸福である、と言い切ってよいでしょう。幸福というものがこの世にあるとすれば。■







    
(84  幸福な現代人 end)








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