哲学の科学

science of philosophy

子供にはなぜ人生がないのか(11)

2020-09-13 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


もしそうであれば近い将来、人は人生を持つ必要がなくなるのか?子供は大人になって人生を持つ必要がなくなるのでしょうか?
少子高齢化にその傾向が見えるような気がしませんか?

そうはいえるかもしれませんが、人がほしいものは経済性や安全や便利さばかりではない。大人の人間にとって、実際、自分の人生がどうであるかより重要なものはありませんね。
どこの国の大人でもそれぞれの人生を持ち、そのスタンダードを期待されて生きています。国は違っても社会の持続するシステムを支えるというスタンダードの条件は変わりません。
なぜ人生はこうであるのか?なぜそれはスタンダードに従うのか?
それは、そうでない人生が世代を超えては継承されないからでしょう。その社会で育てられる子供がそれをゴールとして目指し、大人になってそのスタンダードを継承するからでしょう。それでしか、社会を安定的に維持することはできない。そのことを、だれもが、実は、知っているのでしょう。

そうであるから、子供は生まれながらにして人生を持たない。それを持つことを期待され、それを持つ大人に育てられ、長い時間をかけてそれを獲得する。そのときが大人になるときです。■









(子供にはなぜ人生がないのか?  end)



自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(10)

2020-09-06 | yy74子供にはなぜ人生がないのか

子供が死ぬ、あるいは子供が生まれない、大災害で多数が死ぬ、経済が崩壊する、社会が壊滅する、というようなことは異常事態であり、それが起こることを想像すると私たちは恐怖を伴う不条理を感じます。なぜか?
それは、未来がない。存続するはずの人生が存続できないからです。
ふつう世代交代が一定の速度で進み社会が安定することで未来が期待できる。そうなってこそ、自分の人生を考えることができます。子供が大人になって自分の人生を持つようになってくれなければ、大人の人生の存在も怪しくなってしまいます。
人生が見えることでそれが織り込まれた社会が作られる。人と人とが約束できる。それを守れる。それを守らせる社会的な仕組みを作るためには互いに人生を持つことが必要です。

ふつう人間がいると、その顔が見えると同時に、その性別、年齢層、そして人生がだいたいは見えています。それで社会は動いている。しかし最近急速に発展しているデジタルコミュニケーションの世界はちょっと違う方向に向かっている、とみることができます。
顔が見える人との関係でものごとが動いているはずのところが、顔がないデジタルデータとのやり取りで動いてしまうようになってきたようです。
たとえばインターネット商取引。相手はカタカナ名の会社で顔がない。それでも困りません。安全に売買ができます。行政が監督する第三者決済などユーザー保護システムが完備されてきているので人間の顔を見なくても、デジタルなプラットフォームにつながるだけで売買、決済、宣伝その他経済活動ができてしまいます。相手の顔も人生も見る必要がない。
これでは毎日の生活で人間の顔を見る必要もなくなり人生を見る必要もなくなるかもしれません。








自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(9)

2020-08-29 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


逆にそうでない場合、その人生は、残念、少し間違っている、あるいは何かむなしい、という感じが残ります。
ふつう自覚はしていない。しかし、たとえば、子供が死ぬ。これは悲しい。不条理を感じる。あってはならない、とだれでも感じるでしょう。
人生は多様ではあるが、やはりスタンダードがあって、それからの偏差はあまり大きくない、という必要条件があるようです。人生のそのスタンダードを期待することで、生命保険はなりたつ。生命保険ばかりではなく、市場予測も、労働市場も、会社経営も、教育システムも、医療システムも、政府も、およそ世の中の制度やシステムはほとんどこの人生のスタンダードを土台として組み立てられています。

子供は、ある一定の時間経過にしたがって大人になることが期待されている。大人になって社会のシステムを支えることが期待されている。子を産み育てることが期待されている。つまり子供は、ある一定の時間経過にしたがって、個々の人生を持つことがゴールとして求められている存在である、といえます。
人生のスタンダードにそって、大人は過去を持ち未来を持つ。国はその歴史を持ち次の時代にも存続することが期待されている。会社は信頼され来期も利益を分配することが期待されている。社会は時代を乗り越えて次の世代にも平和を引き継ぐことが期待されている。
人生は過去と未来から成り立っています。過去があるから未来がある。しかし未来があるからこそ過去に意味がある。個々の人生はその未来のためにある。つまり未来が人生にとってすべて、といえます。
ほかにこれほど、未来に依存している概念はないでしょう。人生を組み上げて作られる家族も、会社も、経済も、歴史も、どれも未来への期待に依存している。すべて未来の幸福、未来にある理想、未来から来る子供、に依存して存在しています。







自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(8)

2020-08-22 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


社会と人生とのこのダイナミックスの働きは毎日の生活で直接みられることはなく、卒業、就職、結婚、引退、葬式など個人の身分の切り替わりの時に現れます。
個人の立場から見ると、入学、卒業、結婚、出産、離婚、就職、転職、退職などは自分の人生経過を認知させます。数年おきに家族内で起こる冠婚葬祭は、家族の成員が変わる、役割が変わることで場面が切り替わり、長期的な時間経過に沿った人生という物語の進行を感じ取れます(一九四九年 小津安二郎監督「晩春」など)。
個々の人生の過程はバラエティに富みながらもスタンダードに沿って進むものと期待されています。そして大家族、集団、集落、コミュニティとしての大きな観点からは、おおかた一定の速度で世代交代していくものと期待されています。
人間の集合としての外観は変わらない。しかし個々の要素部品は交換されていく。新幹線など人工の設備もそうですが、人体など細胞組織もそうです。私たちの目に見えるものは、実はそのような構造体が多い。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。(一二一二年 鴨長明「方丈記」)。
無数の個々人は生まれ老いて消えていく。構造体としての社会は存続する。それを構成する人生のスタンダードなプロセスは、慨すれば、どれも同じ。時代は変わっても変わらない。
それが大事。逆に言えば、人生はそうでなくてはならない。いつの間にか生まれ、社会と交わり、ついには老いて消えていく。このようなスタンダードに沿っていなくてはならない、と私たちはだれもが実はそう思っています。







自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(7)

2020-08-15 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


伝統がまだ生きている欧米の大学の卒業式では、今日でも「陽気な青春の後、苦難の老年の後、土が我等を覆うのみ」と歌う学生歌が斉唱されています。
Gaudeamus igitur.Iuvenes dum sumus.Post iucundam iuventutem.Post molestam senectutem. Nos habebit humus.(ガウデアムス 一七世紀頃に発するラテン語学生歌)
日本で人生の無常が語られるのは葬式での説教くらいでしょう。しかも誰も聞いていません。祇園精舎の鐘の音はどこにも聞こえません。これでは、吸い上げシステムはうまく働きませんね。

人生。英語ではライフ、生命の意味もある。多くの言語でも生命と人生は同語です。生命保険など、人生の保障です。生命がなければ人生はない。しかし人生がなくても生命はあります。
生物はみな生命がある。虫にもあります。では、虫は生命保険に加入すべきなのか?
人間は、社会の一員となり経済システムに組み込まれて収入を得る。税金を払う。あるいは資産を持つ、あるいは生命保険に加入する。虫はそうしないので人生がありません。生命はあるが、人生はない。これは、ライフはあるがヒューマンライフはない、と英訳できます。
人生は社会からの吸い上げシステムで稼働し、マクロには社会を稼働させています。人類以外の動植物はこのような生き方はしていません。人生を持つ人類特有の生き方でしょう。







自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(6)

2020-08-08 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


吸い上げストローが大人の人口を高齢化の方向へ吸い上げていくので一番下には真空のギャップができる。ギャップはたくさんの真空の穴、というかスロットからなっているので、そこへ新人は吸い付けられる、という図式が描けます。
「お前、大きな身体になったな。槍をもって一緒に来い」とか、「もう、髪を結えるね」とか、年長者の側からのリクルートがあるでしょう。そのとき子供は大人になります。
集団の真空スロットを埋めるこの吸い上げストローがうまく働いていると、子供は順調に大人になれます。現代では新卒一括採用制度、学校の先生や先輩、親類の年長者、友人知人などの見る目の変化、などに加えてSNSや懇親会、パーティなどでの空気の圧力。これら、いわゆる就活や婚活の場面が、押し上げ、吸い上げシステムの役を果たしているようですね。
これらの社会システムは、しかしながら、現代日本においては、いずれも劣化しつつあるかもしれない。人口の高齢化少子化はシステムの劣化警報信号でしょう。

実際、現代の卒業式、入社式など式典や若者同士の宴会などでは、かつてよく語られていた人生の教訓が語られることがなくなっているらしい。特に日本では人生の短さを語ることは控えなければいけないかのようです。
いのち短し恋せよ乙女 あかき唇褪せぬ間に 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを(一九一五年 吉井勇「ゴンドラの唄」)の感傷は過去のものとなりつつあります。
今日のテレビやSNSを見れば、世代交代や引退の話題は避けられ、代わりに永遠の青春が謳歌されているようです。






自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(5)

2020-08-01 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


子供は自分の身体の成長を見て周りの大人と比較します。世の中には幼児、青年から老人まで各世代が混在して生活しています。子供はそれを見ながら成長します。老人は間もなく消えていく。葬式を見れば分かります。そうして人生の流れを知る。間断ない世代交代の流れを身体で感じ取ります。

大家族が発展した大きな人間社会、村落、職業組織なども、いわば、ところてん式システムになっています。学校がそうであり、会社もそうですね。このようなシステムでは、新しいものが入ってくると古いものが押し出されて消えていく。あるいは別の言い方をすれば、古いものが消えてしまうから新しいものが入らざるを得ない。
子供が大人になるのは、この社会的ところてん式(push out)ないしストロー吸い上げ式(pull in)のシステムによる、といえるでしょう。

洛陽城東桃李花飛來飛去落誰家洛陽女兒惜顏色行逢落花長歎息今年花落顏色改明年花開復誰在已見松柏摧爲薪更聞桑田變成海古人無復洛城東今人還對落花風年年歳歳花相似歳歳年年人不同寄言全盛紅顏子應憐半死白頭翁此翁白頭眞可憐伊昔紅顏美少年公子王孫芳樹下清歌妙舞落花前光祿池臺開錦繍將軍樓閣畫神仙一朝臥病無人識三春行樂在誰邊宛轉蛾眉能幾時須臾鶴髮亂如絲但看古來歌舞地惟有黄昏鳥雀悲(六七五年頃 劉希夷「代悲白頭翁」)。

常備軍は常に新兵を補充しなければなりません。それをしないと軍隊が高齢化し経年劣化してしまうからです。生物体の新陳代謝と同じです。会社は新入社員を募集する。大家族は新生児を求めます。そのために嫁入り(あるいは婿入り)を奨励する。
各地域の結婚式場や教会に親族や職場の仲間が集まって盛大に結婚式が行われるのは、もちろん両性の合意によるところでありますが、ところてん押し出し(push out)やストロー吸い上げ(pull in)による社会システムの圧力を儀式化する必要が背景にあるからでしょう。

思春期の子供は自身も大人になりたいと思っているでしょうが、直接の行動を促すきっかけとしては、大人の社会がそれを要求しているからという圧力が大きく働いています。思春期の子供は大人社会によるストロー吸い上げ式の吸引力によって子供状態から離脱していく、という社会力学が描けそうです。






自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(4)

2020-07-25 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


子供と大人の間を思春期という。英語で陰毛期(puberty)と呼ぶこの年齢層になると、子供は自分の身体の変化を見て、大人になった、と思います。
青年は、自分の身体の形を見ることで獲得した可能性を見る。大人のように社会に出て仕事ができる可能性、結婚して子供を持つ可能性、が出てきた、と思う。そこで社会に出る。つまり就職や結婚を意識するようになります。
そのとき、自分の人生が、この世界を背景にして、物語を読むように続いていくことを感じる。子供時代が終わり、実人生が始まります。

群棲霊長類は大家族が共同して多量の栄養を獲得する行動システムを進化させた。特に人類がそれでしょう。
成長した子は大家族を離れて遠方へDNAを運んでいく。雌雄どちらかの性の子供が他の大家族集団に移動していきます。結果的に(ウイルスに弱くなる)近親交配を避けられる。狩猟採集時代から嫁入り、婿入りはあったと推測されるので、農耕牧畜の以前から父系家族とか母系家族とかが発達したという理論が作られています。
いずれにせよ、経年により大家族は世代交代する。年長の親は消え、子はその子を作り養育します。大家族の構成員は数年の間は変わらないが、十年もすると構成を変えざるを得ない。
人間の集団である限り、時間経過により一定の速度で成員全体の高齢化は進む。年長者は引退し、思春期を終えた子供は青年として家族を支える側になります。家族の内部でも親は老いていく。年少の弟妹は成長してくる。
上が消えることに伴って下に新しい成員が入る。ところてん押し出し式(push out)システムです。年功序列の起源ですかね。






自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(3)

2020-07-18 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


世界を仲間の視座から見て、それがだれにでも同じに見える客観的な存在だと感じとると同時に、その中に自分という一個の客観的な身体を認める。世界の中を、目的を持って動く存在としての自分の身体を、他人の目で客観的に見ることができます。その(世界の上から他人の目で俯瞰して、客観的に見た、主人公ではない)自分の身体が動いていく過去と未来のできごとを一編の物語として記憶し予測する。こうして人類は、自分の人生を持つようになったのでしょう。

私たちは、成長の過程で何歳くらいから人生というものを理解するのでしょうか?
どうも、幼児の発育段階において、この機構は、三歳くらいから十歳くらいまでに発現するようです。多くは小学校低学年くらいで、児童は、自分には自分だけの人生があることに気づきます。
しかしそれはまだ、大人の人生と同じものではありません。親の家の外側に無限に広がる荒涼たる世界。それが恐ろしい広さであることを知ることで子供は自分の人生に気づく、といえます。その世界を高いところから俯瞰し、そこに見える小さな自分が全然中心にはいないことを体感するまでには、このあと倍以上の時間がかかります。
世界の隅のほうで懸命に生きていく極小の自分の人生を、ずっと高いところから見下ろすことができなければ、大人の人生とはいえないでしょう。

生まれて成長して世界と交わり、世界を次の世代に引き継いで消えていく。人生を一言でいえば、単純な物語です。大人は皆、この物語を紡ぎながら生きていきます。それを人生という。
しかし子供はこのことを知らない。大人が語る人生の物語を聞いても身体では理解していない。「不思議の国のアリス(一八六五年 ルイス・キャロルLewis Carroll Alice's Adventures in Wonderland)」は分かるが「平家物語(一四世紀以前 作者不詳 伝信濃前司行長)」は分かりません。梵鐘の音を聞いて人生という図式を身体で感じ取れるようになるのは、思春期を過ぎてからです。






自然科学ランキング
コメント

子供にはなぜ人生がないのか(2)

2020-07-12 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


拙稿の見解では、私たちには自分の人生を一編の物語のように理解する仕組みがある(二〇〇三年 ピーター・ゴルディーPeter Goldie「人の記憶された過去:説話的思考、感情、および外的視座 One's Remembered Past: Narrative Thinking, Emotion, and the External Perspective,2003」)。自分を客観視する機構です。だれもがその機構を使っている。当然すぎて自覚していませんが、自分も皆とまったく同じ機構を使っている、とだれもが分かっています。
私たちの身体にそういう機構(拙稿では「人生保持機構」と呼ぶ)があるおかげで、私たちはおたがいの人生を認め合い、信頼関係が成り立つ。大人ならばだれもが共通に認識している現実を土台にして緊密な協力関係が成り立ちます。
人と人とが約束できる。それを守れる。それを守らせる社会的な仕組みを作れる。家族を作り村を作り国を作れるようになります。社会ができ、法律や制度ができ、契約関係が成り立ちます。人類に特徴的なこれらの構造は、ミクロに見れば、一人一人の人生を社会に織り込むことによってできあがっています。
これは、だれもが同じように見ている世界という客観的な環境の中で目に見える自分の身体が動いていくという認知機構を身につけている人類特有の能力です(拙稿19章「わたしはここにいる」)。客観的に自分の人生を見ることができるというこの能力を使って人類は地球全体に繁殖し拡散しました(拙稿22章「私にはなぜ私の人生があるのか」)。
人類以外の動物はこのように自分を客観視する機構を持っていそうにありません。チンパンジーもゴリラも、自発的に勉強したり、健康に留意したり、資産形成をしたりしているようには見えませんね。
人間以外の動物には、客観的な人生(動物生)がない。したがって過去もなければ未来もない。(拙稿の見解では)言語を持たないからです。人間でも、赤ちゃんのときはそうです。老人性認知症になった場合もそうでしょう。ひたすら現在を生きる。邪心がない、聖なる精神ともいえます。
一方、大人の人間は、自分が置かれている世界を自分の外側にある客観的な存在物であると見ることができる。誰もが同じ世界を見ている、と思えます。






自然科学ランキング
コメント

文献