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日本人論の理論の理論(13)

2021-08-14 | yy78日本人論の理論の理論


日本という物語(二〇〇三年 船曳建夫「日本人論再考」)はいつまで語られ続けるのか?賞味期限が近付いていないでしょうか?
日本人は特別な人々か?たしかに特別ではあるかもしれない。しかし特別であっても、それはどの国の人々もそれぞれ特別である、という程度に特別なだけではないのでしょうか?
幕末以来、欧米列強の脅威におびえながらそれから目をそらさず対等の国際的地位を目指して努力し続けたこの国民国家は、百五十年かけて目標を大きく超え最高に豊かな先進国となりました。それは間違いなくまことに立派な達成です。しかし勝利を勝ち取った者はその瞬間、当然競争の目的を失う。苦境を脱し勝ち抜くことがアイデンティティであった集団は勝った後何をモティベーションとして生きていくのか?
日本人という集団がどうであるかという話はもうよいのではないか?しばらくは今の幸せを楽しんでいたい、と思うのではないでしょうか?
私たちが、もしそう思えるようになってしまっているとすれば、日本人論は売れなくなる。だれも真剣に語ろうとはしなくなります。おもしろいジョークであってマンガ(二〇〇八年 日丸屋秀和「ヘタリア Axis Powers」など)として楽しめるものであり続けるとしても。■




(yy78 日本人論の理論の理論 end)




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日本人論の理論の理論(12)

2021-08-07 | yy78日本人論の理論の理論


かつて日本人全体の集団意識を高揚し、国民を叱咤激励して欧米に対抗する姿勢を保たせることが日本人論の大きな役割でした。その時代は過ぎ去ったようです。
現代の日本人にとっての危険も不安も願望も欧米先進国の人々が抱えている問題と同質となりました。少子高齢化、所得格差、勤労意欲の減退、イノベーションの停滞、挑戦意欲の喪失、退屈倦怠 等々(拙稿75章「現代を生きる人々」)。すべて欧米人にとって深刻な問題です。 
もしそうであるならば日本人というくくりでこのローカルな集団を概念化してその特徴と能力を論じるよりも、現代人の問題、現代先進国の問題、いずれは地球人類全体の課題という枠で論じるほうが説得力を増すようになってきているでしょう。

拙稿本章では日本人論というこの国のある種、特有な国際感覚について、その根底にあるらしい理論に注目してみました。
日本人は特殊な人々であるのか?宗教があるのかないのか?マルキシズムが好きなのか嫌いなのか?戦争が大嫌いなのか?大好きなのか?損得以外は関心がないのか?それとも実現しない理想を語ることが好きなのか?種々の日本人論が今でもあるようです。
日本人は和を尊ぶ、という説は本当か?日本人は集団主義か個人主義か(二〇一八年 高橋 正 英語英文学研究)?実態は単純な理論で割り切れないと分かってきました。












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日本人論の理論の理論(11)

2021-08-01 | yy78日本人論の理論の理論



現代の日本は間違いなく西洋先進国の一角を占めて安定しています。資本と技術を外国に移転することで富を得ています。実績の知的水準も高い。
自然科学系のノーベル賞受賞者の数は米国に次いでいます。科学論文評価も高い(2020年ネイチャーインデックスの大学ランキングではハーバード、スタンフォード、MIT、東大、オックスフォード、ケンブリッジ、中国科学技術大、北京大の順)。現代科学技術の基礎となる発明発見で日本人によるものは多い(青色レーザー、緑色蛍光タンパク質 、fMRI、IPS細胞、QRコード、福井関数、リチウムイオン電池など国内知名度は低いが世界的な貢献)。
スポーツもときどき世界一の選手を出す。事故や犯罪は少ない。高精度な生産品の品質は、価格は別として、いまでも世界一です。
日本人の達成度は、総じては世界一ではありませんが、かなり上層を占めていることは間違いありません。

この状況では、かつての欧米への劣等感も薄まっているでしょう。かといって新興の中華系諸国に対しては、過去にあった蔑視はほとんど消えているものの、逆転して劣等感を持つところまでは行っていないでしょう。
かつて強烈に感じ取っていた欧米先進国から排除され搾取されることの恐怖は消えています。アジアの近隣国がライバルになりあがってきたことに別種の緊張感は出てきているもののそのために感情的な自己意識が引き出されることはないようです。
欧米諸国に対しても中国他非西洋の新興国に対しても日本人であることが自分たちの弱点、ないし問題点であるとは感じていない。もちろん逆に日本人であることに優越を感じてもいません。自国はまあまあきちんとした国だ、くらいの自己評価のようです。
そのようである今日、国民共通の感情を下敷きにして日本人全体を論じようとする日本人論は迫力を欠いてきます。












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日本人論の理論の理論(10)

2021-07-25 | yy78日本人論の理論の理論


「今こそ全ての日本国民に問います」というナレーションが流れるNHKのクイズ・バラエティ番組が人気を集めているようです。全ての日本国民、という語感のレトロな諧謔性が現代の視聴者に新鮮なパロディと受け取られ好まれているようです。これは、しかしながら、日本人論の現代における変質をよくあらわしている、ともいうことができます。
すべての日本国民が同一の問いに集中する時代は、昭和が最後だったのではないでしょうか?昭和とそれ以前の日本人論はまさに日本国民の運命共同体について語っていました。すべての日本人は、日本人全体がどうなのか、どうなるのか、に強い関心を持っていた。そのことに自分と家族の生活と運命がかかっている、と思っていたのでしょう。
令和の日本人は違います。外国人との違いに興味を失ったわけではないけれども、いまや日本人の間の階層、職種別などの違いが自分の問題の根幹にかかわっているとの感覚が強くなっているようです。所得格差。所属組織、エリートと非エリート、富裕層と貧困層、学歴格差、与党と野党、世代間格差、男女格差、趣味、性格、社交能力などなどの相違点、メリットデメリットに関心を持ち話題にします。それに比べれば外国人がどうであるかには昔ほど関心がない。

昨今の日本人論としては、現状の経済的落ち込みの原因を旧来から言われている日本人の同調指向、統制好きに結び付けて論じる理論が目立ちます。昔から日本人は、個人的達成を認めず組織ブランドを信頼する。それがいけない。個人の責任を回避し組織とその構造に責任を負わせようとする傾向が強かった、と論じられます。
高度成長期には日本人集団の利点とされていたこれらの性向が逆転して、いまや生産性を損なうものとなった、と論じられています。
これらの反省的日本人論は、しかし、昭和期以前のそれと違い、あまり熱を帯びていません。理論としてもそれほど売れているようには見えません。自国の反省よりも近隣のライバル諸国の勃興がむしろ話題にされます。
中国、韓国、台湾、香港、シンガポールなど旧儒教文化の国々の新興が目立つ時代になりました。これらの国民の民族と文化は西洋と違い、日本人にかなり似ている。この状況で、日本と西洋との違いだけを強調して日本人論を論じる方法は説得力に欠けるでしょう。

それにかつての最大問題であった欧米との格差はすでに解消されている。大戦争のリスクは極小化している。現実に世界平和が続いています(拙稿75章「現代を生きる人々」)。













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日本人論の理論の理論(9)

2021-07-17 | yy78日本人論の理論の理論


さて昭和の終わりと同時に、日本の高度成長には早くも終焉が来ます。株価大暴落、地価バブル崩壊。その間、ソ連邦崩壊、米国一極化。本格的なグローバリゼーションが襲来します。
日本企業は一斉に中国をはじめとする人件費の安いアジア諸国に工場、技術、資本を移し始め、また製品の販売先である欧米諸国に生産拠点を移しました。結果、国内の産業は空洞化し、労働人口はサービス業など非正規雇用に重心を移し、海外投資からの利子配当金が増加すると同時に国内の賃金は上昇しなくなりました。
国内で完結していた官僚指導による生産秩序、企業集団、系列、年功序列終身雇用など、ジャパンモデル(ないしSCAPanese model)は昭和の終焉とともにグローバリゼーションに蝕まれ機能不全に陥りました。
世界の工場として石油と原料を輸入し自動車、家電、製造機械を輸出する生産システムは、西洋から来てわずかの間、日本で繁殖繁栄し、次に中国他、アジア諸国に移っていった、とみることができます。
つまりこのモデルは昭和に生まれ昭和の終焉までしか機能を発揮できなかった、いわば昭和ジャパンモデルと呼ばれるべき、ある時代に最適応した日本特有の経済社会システムであったといえます。

ちょうど平成元年からスイスのビジネススクールIMDが世界競争力ランキング(グローバルなビジネス環境に重点)を発表しはじめました。日本は世界一位でした。これが平成の最後の年二〇一九年には三〇位にまで落ちています。この落ち込みを経験したことは日本人論にどのような変化を与えたのでしょうか?












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日本人論の理論の理論(8)

2021-07-10 | yy78日本人論の理論の理論


敗戦直後に日本人論として広く受け入れられた米国人の著作では、西洋文化と日本文化との違いが強調されています。
日本人は集団主義的である。村落共同体志向である。恥の文化(一九四六年 ルース・ベネディクト「菊と刀 The Chrysanthemum and the Sword (1946)」)である。など人類学からの理論が日本人論として見られます。
一億玉砕(大本営発表)と叫んで敗戦し次の瞬間には一億総懺悔(敗戦直後の東久邇稔彦内閣)を唱えた政府。いかにも日本人らしい表現としてその後の日本人論に多く引用されています。
日本を占領した連合国軍最高司令官(SCAP)であったダグラス・マッカーサー(一八八〇年―一九六四年)は日本の戦時統制システムを換骨奪胎して脱軍事の政治経済システム(Japanese modelをもじったSCAPanese modelという)に改変しました。
わずか六年間のSCAP占領期間で現代日本の土台となるこのシステムが完成した驚異的な事実については、占領軍の立場を理解し意図を利用して協力の形をとった日本政府の改革努力が功を奏したという理論がありますが、これもまたタテマエの権力をダブルスタンダードとして利用することに長けているという日本人論になっています(一九九九年 ジョン・W・ダワー「Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II 『敗北を抱きしめて』」)。
SCAPanese modelの成功と朝鮮戦争特需に支えられて急成長した戦後日本経済は一九七〇年代には世界最高(一九七九年 エズラ・ボーゲル「Japan as Number One: Lessons for America」)と称賛されますが、この時期、国内でも日本人論は最高潮に盛り上がります。
この時代、若輩だった筆者はNASAやヨーロッパ宇宙機関での会議で生意気にも世界戦略などを述べたりしていましたが、欧米人たちが殊勝に聞いてくれているのでかえって心配になった覚えがあります。
日本人は忍耐強い、計画的である、用意周到に実行する、不言実行である、などなどと褒めながら、彼らも半分は本気でそう信じていたようです。











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日本人論の理論の理論(7)

2021-07-03 | yy78日本人論の理論の理論


明治期の日本人論の中には日本独自の武士道が近代化の基礎になったという理論(一八九九年 新渡戸稲造「Bushido:The Soul of Japan『武士道』」)があります。江戸時代の武士は各藩に所属し扶持米に依存し藩に忠誠心を持ち武芸とともに外国語である漢文の読解に励みました。
明治維新後、階級制は実質廃止されましたが、武士の子孫は官僚、軍人、教員など新国家の構築に人材を供給しました。つまり近代化を担うための人材が豊富であった、という理論です。
また富岡製糸工場の例にあるように労働者の教育が成功した。成功する条件、モラル、習慣、つまり近代化の素質が農民あるいは士族出身の労働者の中にもとからあった、という理論もあります。

開国で現前に現れた彼我の格差を知ってがく然としつつも無我夢中でそれを追ってついに追いついた。それは百年前かなり追いつけたと思うところまで来ました。その過程で国民としての集団意識が強く醸成されてきたとみることができます。また、ここに日本人論の原点があるといえそうです。
当時の状況を冷静に観察していた先賢は、日本人は背伸びしすぎて限界を越しているのではないか、という疑問を呈しています。
「体力脳力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定に入れないにしたところでわずかその半に足らぬ歳月で 明々地に通過し了るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り 得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱に罹って、気息奄々として 今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。」(一九一一年 夏目漱石「現代日本の開化」)

第二次世界大戦での敗北によって日本は四等国に落ちた、といわれました。しかし四半世紀で経済を大復活させ、欧米に匹敵する大国として世界に再登場します。











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日本人論の理論の理論(6)

2021-06-26 | yy78日本人論の理論の理論


明治期に日本がはじめて西洋化に成功した孤独な非西洋国であることと、日本における国民的自意識および日本人論の発展とは何か深い関連があるのではないでしょうか?
日本人はなぜ非西洋世界で初めて、突然、西洋化し近代化したのか?そしてなぜ西洋列強と競合してアジアで帝国主義的拡大を始めたのか?帝国主義が挫折した後、なぜ今でも他のアジアやアフリカ諸国よりも西洋に近い生活水準や科学技術を維持しているのか?これは現代の日本人論の大きなテーマとなっています。

西洋人の観察者も、日本人と他のアジア人の違いに注目した著述を残しています。日本には西洋と似た騎士道があり武人階級が権力を持つが中国では官僚階級が権威を持って支配している。中国人は西洋人のように椅子に座るが日本人は中東人のように床に座る。日本人は中国人のように箸でコメを食べるが、肉は食べない(一五八七年 Kapitza「Japan I」など)。 
たしかに日本人は西洋人とは全く違う人々であるようだが身体が似ている中国人とも違う、ほかのアジア人とも違う。その違いの中に、近代化が一番早くできた理由が見つけられるのでしょうか? 
江戸時代に芽生えた日本人の国家意識は儒教、仏教などの中国文化からの独立を目指した国文学の創設からはじまります。江戸幕府の官学である儒学を批判し日本語文学など日本固有の文化の尊重を唱えたのは本居宣長(一七三〇年―一八〇一年)です。
この頃から中華秩序から独立した日本中心思想が揺籃され、さらに幕藩体制を排して中央集権・海外膨張を指向する強権思想の萌芽(一八二三年 佐藤信淵「混同秘策」)が見られます。これが幕末の尊王攘夷運動に発展し、明治以降、大日本帝国の重商主義・帝国主義の思想的源泉として展開されていったと見ることができます。
西洋への対抗意識は尊王攘夷から開国進取と変わり、文化の対立は逆転して拒絶から西洋文明の積極的導入、融合、同化へと誘導されていきました。









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日本人論の理論の理論(5)

2021-06-20 | yy78日本人論の理論の理論


しかしなぜ日本人だけが他のアジア人と隔絶して西洋人と似たような能力を持っているのか?それは能力なのか、幸運にすぎないのか?これからは欧米と日本以外の国でもそれは起こりうる現象なのか?
たとえば中国が最近では日本を超えて世界第二のパワーになっているようです。国家体制は全く違うように見えるこの国も結局、時間遅れで日本の発展を追ってきているように見えます。さらに、これからは人口十倍の規模の効果が表れてくるにつれ、多くの場面で日本を抜きさり、いずれは西洋を超えるであろうという見方も多そうです。
非西洋の国でも、条件が整ってそれが閾値を超えれば離陸できるのではないか?日本は離陸が一番早く、ほかの国も徐々に追ってくるだろう、その後は人口や自然資源の規模などの効果で格差がでてくるであろう、という予想ができます。この理論がスタンダードな現代世界観として認められているようです。
では、中国でも日本のように中国人論が盛んにおこなわれていて人々の関心を集めているのでしょうか?どうもそのような話は聞こえてきません。彼らも他国民と同じように、懸命に個人と家族の栄達繁栄を目指し、また国家の拡大を図っているに違いありません。しかし中国人のアイデンティティについて劣等感に悩んで不安を持っているとか、逆に自信過剰になっているとかはあまり言われてはいないようです。
もちろん中国のエリート層は世界独特の中国式共産主義体制に関しての自意識が高く、自己顕示したり自己擁護したりしながら内外でのその評価に強い関心を持っているようです。しかしながらそれと中国人論というものを深く関係づけての議論にもっていく傾向は見えません。
これは当然でもあって、中国に限らず世界中どの国でも、自国の国民性についての反省的議論はありますが、日本での日本人論ほど自意識過剰に不安を伴って論じられてはいないようです。
どの国民も個人として自己や家族の幸福や安全には深い関心を持っていますが、それが自分たちの国民性によって決定されているとは思わないようです。この点に注目すれば、いくつかの日本人論で論じられているように、日本では個人の自我が国民集団の自我意識に吸収されている、との見方もできるでしょう。
歴史的には、この集団的自我意識が国民の団結と一体感に寄与し、富国強兵や経済躍進に寄与したともいえます。
もしそうであれば、集団的国民的自我意識が日本における日本人論大発展の原因であり、またその結果でもある。つまり、再帰的に国民的自意識を強化している面があるといえます。











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日本人論の理論の理論(4)

2021-06-12 | yy78日本人論の理論の理論


日本人は日本人論が好きである。この理由は、たぶん、自分がまず日本人であると思い、かつ日本人は非日本人とは大きく違っていてそれが自分たちの問題の根底にあるからと思っているところにあるのではないでしょうか?
そしてまたさらに深いところには、ベルサイユ条約の五列強のうち唯一非西洋文化圏の出身であり、今も(今のところ?)先進国中で唯一の非西洋国である、というところがあるでしょう。
日本人は世界の先進国である欧米諸国とは全く違う文化の出身であるにもかかわらず非欧米人の中で唯一彼らに比肩しうる能力を示している。これは誇るべきことではあるが、何か不安を催す事態でもある、という感覚があるようです。
西洋人やアジア人から、日本人は優れている、日本人は奇跡を起こした、と褒められるたびに何か不安を感じます。その奇跡を起こした能力といわれるものは実際何なのか?それは偶々うまくいっただけでまもなく消えてしまうのではないか?それとも自信をもって安心していてよいのだろうか?
この疑問を語るためにさまざまな日本人論が論じられているのではないでしょうか?

日本人は西洋人とは違う。それは顔や身体を見れば明らかです。つまり遺伝子群としてかなり違う。住んでいる場所も世界地図の反対側です。それに言葉が全然違う。文字も違う。横文字を見ると頭が痛くなる、と最近の若者は言いませんが、実は英語が嫌い、怖い、という人は今もまだ多い。
日本人は、他のアジア人とも違う。自分たちの利点として、規律正しい。協調性が高い。生活水準が違う、科学技術も優れている、などと思っています。結論として日本人は西洋人に負けない程度の仕事能力を持ち、現実処理の潜在能力を持っている、と思っているようです。










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