哲学の科学

science of philosophy

探検する人々 (4)

2018-03-31 | yy62探検する人々


ガラパゴスで調査中のダーウィンが、漠然とではあっても、このような進化理論の存立可能性を予期していたことは否定できません。聖書の創世記を否定する危ない思想です。書きつけることは危ない。うっかり口に出すことも危ないでしょう。実際、ガラパゴスでの観察ノートには進化論的思想の片鱗もありません。
たしかにガラパゴスの海イグアナと陸イグアナの形体は似ているが生態はかなり違う。一方は海で暮らし、他方は陸で暮らしています。何万年か前には共通の祖先から分かれたのかもしれない。当時のダーウィンもそのくらいは考えたでしょう。しかし、すべての生物のすべての過去に適用すべき進化論は思いつかない。そこで思考が止まってしまうのが当時の博物学者だったでしょう。
地球にこのような多種多様の動物や植物がにぎやかに生息している謎。生物を分類すると、非常に似ているものも多く、また全然似ていないものはさらに多い、という事実。これらの事実は何を意味するのか?聖書の創世記は間違っているのではないか、という疑問。
その答えを博物学は知らない。未知の何かがある。観察記録を編集していた長い時間のある時から、ダーウィンにはその答えが浮かんできたのでしょう。
地球生物の過去を我々は知りません。目の前には見えません。しかし、過去があったことは確かでしょう。数十億年の過去。未知の過去です。
現在を形作った未知の過去があり、私たちはそれを知らないが、現生生物の分類学的系統関係、化石、そしてなによりもDNAの系統図に全生物の過去はしっかりと刻み込まれているはずです。ダーウィンから百数十年たった現在、私たちは進化論を確信し全生物の系統図を持っています。しかしその系統図の根元がどうなっているのか、生物の根幹はまだ分からない。未知のそれを調べることが、これからの科学の大きな課題です。
















自然科学ランキング
コメント

探検する人々 (3)

2018-03-24 | yy62探検する人々


ビーグル号がイギリスを出港する時、地質学者でもあるフィッツロイ艦長はダーウィンに、当時出版されたばかりの新刊学術書を渡してくれました。「地質学の基本原理:過去の地球表面の変化を現在作用中の変化原因によって説明するための試案として」というまわりくどい副題の論文でした(一八三〇年 チャールズ・ライル 「地質学の基本原理:過去の地球表面は現在と同一の原因によって変化してきているとする説明の試案として Principles of Geology: being an attempt to explain the former changes of the Earth's surface, by reference to causes now in operation」)。
地球表面は超絶的な長期にわたる非常に緩慢な作用を継続的に受け続けた結果、現在の姿となったのであって、瞬時の天変地異や大洪水などで一挙に無から生じたものではない、という学説でした。聖書の天地創造説を否定するようなちょっと危ない感じの学説です。ビーグル号で大西洋を渡る間、若いダーウィンがこの本を読み続けていたと想定すると、南米での調査意識に相当な影響を与えたと考えられます。
地質の過去の変化は地層の断面に物質的に残り、生物の過去の変化は化石に残るとともに形質遺伝として子孫の形体と生態に物質的に残る。地質を変化させる熱や圧力や水化作用は場所によって異なるから場所によって岩石の生成結果は違う。生物を変化させる要因も場所によって違うだろう。生息場所が違う生物が交流して混血しない、できない、という条件があれば、場所によって異なる形質が遺伝として徐々に蓄積され、種の分化が起こるのではないだろうか?
退屈な遠洋航海の間、ダーウィンはフィッツロイ艦長にこんな話をしていたのではないでしょうか?
ガラパゴスを離れて二五年後、ダーウィンは「種の起源」を出版します。
神学生であったダーウィンは神による世界創造を信じていました。聖書によれば、生物の各種は、天地創造の日から変化せずに現在のように存在していたはずです。もしそうではない、と言ったら、聖職者たちは石を投げつけるでしょう。前掲「種の起源」の序文がくどいような弁解で始まっているのを読むと、ダーウィンの躊躇がよく分かります。しかしそれだからこそ、当時の読者はその理論の説得性を感じ取ったのでしょう。
長い時間の間には、生物の形体と生態は変化し、種は分化して祖先とは違うものとなる。この理論が正しいとすれば、人間をはじめ現在の生物すべてが過去には現在とは違う形体と生態であったことになります。しかも分化を遡れば、似た種の生物は共通の祖先を持つことになります。
無限に近い過去にまで遡ればすべての生物はただ一種の祖先から分化したことになる。実際、「種の起源」の最終章(14章 結論)でダーウィンは全生物の共通祖先の概念をちらっと述べています。
「したがって類推により私は、おそらく、かつて地球に存在したすべての有機体はあるひとつの原初的形体を祖先とするのではないか、と推論せざるを得ない。それはその中に生命がはじめて息づいた存在である(訳筆者)」
ちなみに、現代生物学では、この共通祖先概念は最初の生物ではなく、何度かの絶滅と変遷の後、現生生物全体系図の根になった生物体として最終世界共通祖先LUCA:Last Universal Common Ancestorと呼ばれています。















自然科学ランキング
コメント

探検する人々 (2)

2018-03-17 | yy62探検する人々


一八二六年夏、英国軍艦ビーグル号は南米マジェラン海峡で水路の測量をしていましたが、艦長プリングル・ストークスは最果ての世界での激務に(孤独が原因と言われているが)うつ病に陥り拳銃自殺してしまいました。後任に任命されたロバート・フィッツロイ(一八〇五年―一八八五年)はフェゴ島の住民をイギリスに拉致し宣教師として訓練しました。教育に成功した彼らをフェゴ島の教化に使うため、フィッツロイは、一八三一年一二月二十七日にビーグル号を南米に向けて出帆させました。
フィッツロイ艦長は、世界の果てでの調査航海では、艦長の孤独が艦を危険に陥れる可能性があると考え、艦長の僚友となり得る学究の紳士(メイト)を求めました。フィッツロイは若手の地質学者であったので、若手の博物学者であるチャールズ・ダーウィン(一八〇九年―一八八二年)が同船することになりました。
実は、若いダーウィンはケンブリッジ大学神学部の卒業生で、博物学は趣味で勉強していただけでしたが、著名な博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズロー(一七九八年―一八六一年)の紹介があったので、艦長の友人という肩書で乗船できたということです。
ビーグル号は海岸線の水路測量を進めながら南米東岸を南下します。停泊するたびにダーウィンは上陸し、南米沿岸の動植物を採集し標本を作り、スケッチし、詳細な記録を作成しています。
一八三四年九月一五日から一〇月二〇日まで、ビーグル号はガラパゴス諸島に停泊しました。この地での動物観察でダーウィンは進化論の着想を得た、といわれています。
実際、「種の起源」(一八五九年 チャールズ・ダーウィン「生存競争における適者保存あるいは自然淘汰の作用による種の起源について」 Charles Darwin, M.A.  On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life,1859)の序文は次のような記述ではじまっています。
「博物学者としてのビーグル号乗艦時、私は南米の生物分布とこの大陸における過去から現在に至る生物の地質学的関係についてのある事実に感嘆した。これらの事実は、偉大な哲学者たちが神秘中の神秘と呼ぶところの、種の起源に関するなんらかの光明を投げかけているように私には思われた。一八三八年の帰国後、この疑問に関して、それに向かうすべての事実を辛抱強く蓄積し熟考することによって何かが見いだせるのではないか、という発想が私の中に湧き起こった。その後五年の研究を経て、私はこの課題に関しての仮説をまとめ短いノート類を作ることとした。それらを一八四四年にその時点で適当と思われる結論のスケッチにまで拡張したが、その後今日に至るまで私はこの課題を営々と追求してきた。細かな私事を述べるに至ったが、出版を決心するまでに私が急がなかった理由を弁解するためとして許されるのではないかと思う。(訳筆者)」
「種の起源」の出版が当時、狭い博物学の学界だけでなく一般社会、あるいはヨーロッパ中の知識階級に衝撃を与え、さらに現代にいたる科学全般の基本原理の一つとなっていったことから見れば、ダーウィンが慎重であったことも当然と思えます。
しかしビーグル号航海時、本当に進化論の発想が若いダーウィンの中に芽生えていたのでしょうか?
ガラパゴス諸島でダーウィンが書きつけた観察ノートは三四ページにわたり、いかに精力的にこの若い博物学者がこの未知の世界を駆けまわって地質と生物の有様を探査したかが表れています(二〇〇六年 ゴードン・チャンセラー、ランダル・ケインズ「ガラパゴスにおけるダーウィンの野外ノート Darwin's field notes on the Galapagos」。
この航海によってダーウィンがどこまで進化の概念に迫れたかは歴史家の間でも諸説ありますが、彼の興味が単なる新種発見だけでなかったことは明らかです。ダーウィンの研究を指導したヘンズローは生物の地理的分布を重要な研究テーマとしていて、ダーウィンには、特に南米と周辺島嶼との各種生物の変異の実態を観察し記録するように、と指導していました。
ガラパゴス諸島は南米大陸から九〇〇キロとかなり離れているため大陸から漂着あるいは飛来する生物はまれであるとされていて、ダーウィンがのちに「種の起源」で論じた地理的隔絶による種の分化の好例を示しています。当時の博物学界での重要なテーマは新種の発見であったため、採集した標本が新種であるのか、亜種であるのか、変異個体にすぎないのか、大きな論点になります。
違うように見えるけれど同種だ、とか、いや個体差にすぎない、とかいつも大論争が起こっていて、ダーウィンも巻き込まれていたのでしょう。
ガラパゴス諸島は若い(五百万年前くらいにできた)活火山で噴火など変化が激しい、という点にもダーウィンの地質学的興味は向いていました。地質や地形は変化する。そうであれば生物の種も長い時間をかけて変化するのではないか、というアイデアが生まれたでしょう。また当時、ハレー彗星が地球に大接近していました。天空もまた変化する、という観念が当時の科学者の間にはあった、と想像できます。















自然科学ランキング
コメント

探検する人々 (1)

2018-03-03 | yy62探検する人々

(62 探検する人々 begin)



62 探検する人々  未知の存在論


一六世紀初頭につくられた古い世界地図を見ると、世界地図の端のほう、南米の辺り、が空白になっていて未知の地(terra ignota)と書いてあります。北米の辺りは大陸の形になっていなくて断片的な海岸線がきれぎれに描かれています。

未知とは何か?私たちは、自分たちが未知なものを認識できるのでしょうか?それを知らないから未知である、とすれば、それが未知であることも分からない。未知というものの存在さえ知らないはずではありませんか?

ヨーロッパ人にとって未知であった最大の地アメリカ大陸の発見者とされるクリストファー・コロンブス(一四五一年頃―一五〇六年)は、一四九二年一二月五日にカリブ海のハイチに到達してそこをスパニョーラ島(イスパニョーラ島)と名付けました。彼はそこが伝説の黄金国ジプガンヌ(Sipganus ジパング)であると主張するためにパトロン国スペインの国名に似せてスパニョーラSpagnolaと名付けた、という説があります。語呂合わせちょっと苦しい。
一四九二年一二月一九日、ハイチのロンバルド・コーヴ(入り江)に投錨したコロンブスの船団は現地人の訪問を受けます。そこがインドだと確信していたコロンブスにインド人と呼ばれたその現地人たちは、天から降臨したらしい神秘的なエイリアンに食べ物や土器やオウムを贈呈して親睦を求めました。コロンブスは大いに満足して、インド人たちをキリスト教徒とみなすことにしました。
コロンブスは、いつもどこにおいても、未知の事物に対し同じように自己中心的な感覚で押し通しました。あたかもこれらの驚くべき光景は、彼自身の利益と彼のパトロンであるスペイン王家の利益のために神によって創り出されている、というかのように受け取っていたようです。中世的な思想のまま、コロンブスの知性と想像力は、これらの驚異的光景を自分が理解し得るカテゴリーの内部で解釈した、ということでしょう(二〇一一年 ローレンス・バーグリーン「コロンブス Columbus the four voyages」)。
コロンブスは、たしかに中世精神の残照のような人物であり、現代の私たちから見ると、ルネッサン期のジェノヴァ人らしい黄金欲と人種偏見に満ちて現地人を略奪虐殺した悪人でもあります。しかし現世的な欲にかられて世界の果てまで突き進むという人間像は、なにか現代人の生き方に通じるところがあるような気もします。
いったい、コロンブスにとってアメリカ(彼はインドと思い込んでいましたが)の探検は何だったのでしょうか?後世の人々はそれを偉大な発見だと評価しますが、コロンブスにとってこの航海で発見したものはたいしたことではありません。やはり地球は丸い、アジアは大西洋の対岸だ、という誤解と、文明が遅れている未開人は無知で搾取の対象として好適である、という当時の常識を再確認しただけでしょう。
コロンブス、あるいはさらに当時のヨーロッパ人すべてがこの探検によって得たものは、未知の大発見というよりも常識を再確認しその適用範囲をわずかだけ広げた、ということに過ぎない、といえます。
コロンブスのような探検家は、未知の世界に心躍らせて飛び込んでいく、という物語を私たちは語られ、そう思い込んできましたが、どうも実態はちょっと違うのではないでしょうか?
偉大な探検を成し遂げた人たちは、むしろ、未知なものなどに驚きはしない。心を動かされない。つまり恐怖も不安も感じないからこそ、未知の世界にずんずん進んでいくのではないか?彼らは、自分の住んでいる既知の世界がどこまでも続いているだけだと思っていたのではないでしょうか?既知の世界の辺縁を広げて、そこで自分の欲望を追求する。
ただ、ひたすら自分の理解できる常識に沿って、いま欲しいものを限りなく追い求める。コロンブスは、この生き方で(アメリカ現地人の悲惨な衰亡と引き換えに)ヨーロッパ人に大成功をもたらした最初の人物でありました。













自然科学ランキング
コメント

文献