哲学の科学

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勉強が嫌いな人々(15)

2020-03-28 | yy72勉強が嫌いな人々


こうした教育縮小案は実際、前述したように、皆さんの反対が多そうなので実行不可能でしょう。
仮に実行できたとしても、最後には、学歴による階層化の弊害が残ります。高学歴を獲得した人が上級市民でそうでない人は下級市民、というとらえ方が敷衍してしまっては困ります。
欧米社会では、歴史的に根強くある階級社会の弊害が、現代に至って、学歴による階級分断の再生産という社会現象になっています。富裕層が高学歴を占有し、その子弟が親の資金力と高学歴カルチャーによる進学指向によってふたたび高学歴を占有するというサイクルです。
これはまたグローバリゼーションの副次効果として、新興国・発展途上国も含め世界中で、現代の階級階層化というべき学歴の世襲現象にもなっています。
社会現象の解釈における原因と結果の倒錯の一例といえますが、上級階層であるから高学歴になれた、という見方よりも、高学歴であるから上級階層になれた、という認識のほうが定着しやすいようです。
高学歴であれば大企業、上級官庁など社会的に上級といわれる組織に採用され、そのような組織に所属することで上級階層になれる、と思われています。このような世間の認識は、逆に、上級階層のコミュニティを維持するために高学歴者を選別して採用したい、という潜在的な動機を採用する側に生じさせます。
組織としての権威を維持したいという暗黙的な意図を持つ役所、公企業、有名大企業など、終身雇用年功序列の残照が残る職場は高学歴を好む、といわれています。このような組織は実際たしかに時代とともに減ってきていますが、一般認識の時間遅れによって社会全般では、かえって高学歴組織のブランド価値は高止まりしている、ように見えます。
このいわば幻の組織ブランド価値が学歴階層化の背景にあるため、多くの若者が学歴獲得を目指すつらい勉強に追い込まれている面がある、といえます。
こうして学歴の階層化が進むということであれば、国民の平等という理念からすれば、まことにけしからんことです。マスコミや知識人など理想を語る人々から警戒と批判の声が上がります。
一方この学歴による階層化については、一般の人々からの深い怒りはあまり報道されません。たしかにこの階層化現象は、封建時代の身分階級のように、武力や法や因習的圧力から強制的に来たわけではありません。むしろ本人の努力によって獲得した学歴による、いわば自己責任による後天的な属性の差異である、と認識されています。
しかも現在の階層位置から上へ登る機会は原則として必ずある、いつでも次回の挑戦権は確保されていると思われています。意欲さえあれば、学齢を過ぎた成人でも、あるいは少なくともその子弟は、勉強などの正当な努力を積み重ねることで、それを獲得することに障壁は大きくない、とされているようです。
そうであれば学歴による階層化は、世襲制の身分格差のように怨念や諦観を呼び起こす種類のものとは感じられないでしょう。自由経済の市場原理から来る富の蓄積格差の一形態として、流動的な、いわばゲームの途中経過として捉えられているといえます。






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勉強が嫌いな人々(14)

2020-03-22 | yy72勉強が嫌いな人々


大学のレベルを維持するためには学生数は少数でよい。毎年、定員を減らしていきます。学期ごとに厳しい試験で成績の悪い学生を退学させてよし、とすれば卒業時には入学時の半数くらいになります。
少数の教育しかしない大学に多額の公費は投入できませんから大学の経費は主に授業料と寄付や研究支援金などで賄うしかありません。教員を充実させると、当然、学費は世界一級にまで高くなります。
それで富裕層の子弟だけが有利にならないように(公的私的、ひも付き、ひもなし)奨学金を十分に用意する必要があります。たとえば欧米の例にならえば、大学への(公的私的)研究資金を潤沢にして研究プロジェクトに学部生・院生を雇用させ実質奨学金を支給するシステムなどが可能でしょう。
学生を続けるには、奨学金を得る、あるいは大学プロジェクトに雇用されるために学業成績を上げるというつらさがあり、成績が悪いと卒業できないリスクがあります。ますますいやな学校になります。
行きたい人は多くない。それでも勉強が嫌いではない人はよろこんで勉強して大学を出るでしょう。社会としてはコストもあまりかからず、必要な人材は確保できます。







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勉強が嫌いな人々(13)

2020-03-14 | yy72勉強が嫌いな人々


学歴を評価できないとなれば応募者をどう選別すればよいか分からない。コネや縁故による前近代的な採用に戻るのは禁止されている。そうであれば、結局、独自の入社試験を開発するか、優秀な業者の試験問題を買うか、中途採用で実績のある人材を常時探し続けるか、幹部や社員の人脈を頼って、あるいはフェースブックを見て人材ハンティング、人材紹介エージェントによる引き抜き、あるいはインターン採用または期限付き試験雇用にして正社員雇用に値する人材に当たるのを待つか、試行錯誤を繰り返すしかありません。採用コストは高くなる。採用担当はタフビジネスになります。安易な学卒一括採用・終身雇用は崩れます。
そういうことで産業界はやっていけるのか?国際競争力は大丈夫なのでしょうか?
まあ、心配することはないかもしれません。インターネット求職システムや失業保険のような制度を拡充して解雇の弊害をなくす、人材紹介業は需要が高まるので優秀なプロが増えるでしょう。労働行政が雇用流動性を適切に監視し転職サポートセンターや人材紹介業の質を監督する。また転職が一般的となれば欧米のように仕事仲間が仕事を紹介するというような習慣ができてくるでしょう。
一方、人材の流動性にさらされて企業内の評価方法も洗練されてきます。頻繁に勤務実績で厳しく評価して給与、昇格を与える。上司だけでなく、同僚、部下やお客さんに評価をもらう。イントラネット、SNSで稼いだ評価ポイントで昇進させる。など新システムを活用して、雇用の安定と仕事への意欲、企業への忠誠心、競争意欲を両立させる方策はあるでしょう。

このような空想の社会になったとしても、つらい勉強に耐えることが嫌でない若者も少数派ですが、やはりいるでしょう。そういう若者は、勉強が厳しい学校で卒業証書をもらえばよい。自己満足は得られる。しかし安定した高収入は保証されない。となれば、大学へ行く人は漸減するでしょう。
学生以外の人々、つまり社会全体としての立場でいえば、大学のレベルは高いほどよい。世界第一級の研究と教育の能力を持ってほしいものです。教授をはじめ講師や大学院生など研究者は、世界中から優秀な人材を好待遇で集めるべきでしょう。そのためには講義も英語で聴くしかなくなるかもしれませんが。





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勉強が嫌いな人々(12)

2020-03-08 | yy72勉強が嫌いな人々


嫌いな勉強をしなくても、中学、高校、大学に行かなくても、良い職業につける、収入にも満足できる、転職も簡単、休職して海外放浪も自由、というように働き方のシステムが大きく変われば、青少年のバラエティに富んだこういう成長例は多く見られるようになるはず、と思われます。
前提はもちろん空想的な社会システムです。十代の青少年にとって学歴不問で安全で待遇が悪くなく、おもしろそうな仕事がいつでも何度でも容易に見つけられる、という空想の就職市場が存在する必要があります。
近い将来に産業界がこういう方向に変わっていく、という楽観論はあり得るでしょうか?少子高齢化の国では勤労人口一人当たりの生産性を成長させて非勤労人口を支えなければなりません。働く意欲がある人が元気よくどんどん働いてもらう必要があります。実際、近年、有効求人倍率は上昇し完全雇用状態になってきています。働きたい人はすぐ働き先が見つかるようになってくるでしょう。後は若者にとってやる気の出るような良い就職先が見つかりやすいかどうか、です。
若いアントルプルヌールが輩出し、新しいマーケットが次々と大発展し、そこに若々しい元気な若者が参集して新産業が続々と興隆する。経験の少ない若者も職業経験によって新しい知識や技術を素早く身につけてより大きな挑戦が可能となる。そのような理想の産業社会が間もなく来る、という人もいます。
もしそうであれば学歴に関係なく勇気と知恵と情熱だけで勝負できる若者にはすばらしい仕事が待っていることになります。そうなるように、この国でも産業の体質が変わっていくことはできないのか?学歴にこだわる慣性の大きい旧世代をしり目に見て一挙に世代交代を進めることはできないでしょうか?
長期的観点からは世界の潮流に乗り遅れないように、世代交代は早めに進める必要がある。
まあ、しかし、グローバリゼーションの中で生き残りに悪戦苦闘している現実の産業界に、青少年の育成に配慮して世代交代する余裕はありませんから、残念ながらこれは空想でしかないでしょう。

さて、現実はさておき、空想のこの社会システムでは、採用試験の履歴書には、アルバイト歴や職歴やスポーツ歴やpc歴の話は書けるが、学歴は書いてはいけないというルールになっています。学卒一括採用、あるいは同一年齢の若者を並べて学歴で選別することは無意味になります。
そうなれば同年齢どうしの勉強競争はなくなる。勉強が嫌いな青少年は救われ、社会にとっても不都合はなさそうです。将来、国が良くなるかどうかは別としても、すぐに困るのは教育業界と企業の人事担当者でしょう。




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