宇宙のそこここに眺められる風景を楽しみ、一日一日、春夏秋冬が過ぎていくことを感じ取って、それを楽しむ。それを言葉にして遊ぶ。俳諧はそうなっていきました。どこまでもミクロスコピックに、そこにあるものを愛でる。そこに楽しみがある。
それでは帰納ができないではないか?宇宙のマクロな全体像が掴めないではないか?日々の発句をする人は宇宙の存在をどう思っていたのでしょうか?
何の木の花ともしらず匂ひかな(芭蕉 笈日記)
この句の詞書に芭蕉は「西行のなみだをしたひ、増賀の信をかなしむ」と書いています。西行(一一一八年ー一一九〇年)の和歌「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行法師家集)」を下敷きにしての発句ということです。
何の花から出る匂いであるかは知らないが良い匂いだ、匂いがよいからそれで十分だ、花が何かを知る必要はない。イデアは要らない。体感が全て。と言っているようです。
西洋哲学では、全く逆の発想が主流です。精神と物質の二元論は未だに終わっていません(拙稿23章「人類最大の謎」)。自然科学は見事にこれを回避して現代の技術文明を作りました。正面からこれと戦ったヘーゲル(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 一七七〇年ー一八三一年)は宇宙のすべてを説明しつくすためにエンチクロペディー(Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse 哲学の百科)を著述しました。
感覚だけではものは存在しない。精神(Geist)がなくては何も存在できない、としました。ヘーゲルの戦いは精神を武器にして宇宙の存在の根源を掘り進む、という感じです。宇宙は精神からなる。精神から国家が出て、法が出てきて、現実の社会ができてくる。言葉でその構造と発展を説明し尽くそうとしました。
これに対し、芭蕉は、心に映る宇宙の風景を言葉で捕まえることを楽しむ。楽しむと言っても、命がけで楽しむわけですから、つらく苦しい戦いでもありますが、結局は楽しんでいる。宇宙や科学や人間社会の構造や発展は、もちろん、それらがある事は知っているが、そんなことよりもそれを見る自分の感覚を、言葉で詠じて、楽しむほうが先である。と考えていたようです。
どちらの戦い方も、宇宙の万物を次々に取り上げてどんどん言葉にしていくわけですが、心の方向がかなり違う。知り合ったとしても、お互いに相手を、バカみたい、と思うでしょう。
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宇宙を理解したければ、まず目の前の、個々の事物をしっかり理解しなければならない。
芭蕉は弟子を諭して「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ(三冊子赤冊子)」と教えましたが、まさに事物の本源を見すえよ、ということでしょう。
芭蕉は目に映る事物を感じるままに、あるいはそれに引き出される連想をそのままに、発句にしていきます。そこで、帰納という発想は起きないのでしょうか?かれはグローバルな世界観というものは持っていたのでしょうか?
奥の細道の書き出しは、まさにグローバルからローカルへの敷衍です。
「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず海浜にさすらへ去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひてやゝ年も暮春立る霞の空に白川の関こえんとそヾろ神の物につきて心をくるはせ道祖神のまねきにあひて取もの手につかずもゝ引の破をつヾり笠の緒付かえて三里に灸すゆるより松島の月先心にかゝりて住る方は人に譲り杉風が別墅に移るに
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。」
名文として名高い。朗読しても気持ちが良くなります。これは、唐の詩人、李白(七〇一年ー七六二年)の漢詩「春夜宴桃李園序」を下敷きにしています。
夫天地者萬物之逆旅光陰者百代之過客而浮生若夢爲歡幾何
古人秉燭夜遊良有以也況陽春召我以煙景大塊假我以文章
會桃李之芳園序天倫之樂事
これはさらに名文。しかしこの詩人はエピクロス派?と思わせる内容ですね。
七世紀の唐では莊子思想が浸透していました。莊子は次のような記述を残しています。
去知與故循天之理故無天災無物累無人非無鬼責其生若浮其死若休(荘子 刻意十五)
つまり余計なことを知ろうとせず、天に従い浮かぶように生き休むように死ぬとよろしい、という理想を語っている。莊子はエピクロス派哲学者である、と言いたくなります。
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具体的な個々の観察事実から一般的な大法則を導き出す、この方法を帰納(エパゴーゲー、ラテン語inductio、英語induction)と名付けたのはアリストテレスです。科学の大原則です。
どの観察によっても、カエルの子はカエルだ。トビの子はトビだしタカの子はタカである。つまり動物の子は皆親と同じ動物になる。経験により、こういう現象が存在する。ここまでは帰納論理です。
これはどうしてか?どういう仕組でそうなるのか?生物の身体にはこの現象を実現する仕組みが隠されているはずではないだろうか?その仕組みの物質的構造を知りたい、と思います。
メンデル(グレゴール・ヨハン・メンデル 一八二二年ー一八八四年)からダーウィンを経てクリック(フランシス・クリック 一九一六年ー二〇〇四年 拙稿58章「生物学の中心教義について」)まで百年かけて科学はこれをつきとめ、DNAを発見しました。
これで帰納による仮説は証明されました。さすがアリストテレスです。帰納は人間の直感に合っています。幼児が世界の構造を理解するのも、言葉を覚えるのも、帰納による推測です。
幼児は身の回りのものを眺めたり触ったりなめたりして世界を理解する。アリストテレスもそうして宇宙を理解したかったのでしょう。
宇宙はなぜ存在しているのか?それは宇宙の隅々に存在するモノたちを詳しく観察すれば分かる。モノの目的を考えればわかる。ウニの口はフジツボを食べるために存在している。フジツボはプランクトンを食べるために存在している。プランクトンはプランクトンの子を生むために存在している。太陽は昼夜を分けるために存在している。そのように宇宙は存在している。存在の目的を考えれば理解できる。そうして宇宙のすべては分かってきます。
アリストテレスの目的論哲学です。
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古代ギリシアの原子論は、レウキッポス(紀元前四四〇ー四三〇年頃)とデモクリトス(紀元前四六〇ー三七〇年頃)からはじまりエピクロスが完成したドグマです。ルクレティウスはその宣教師の役割を果たそうとして著作をすすめたといえます。
世界に現れている事物を、ドグマにとらわれず、まず事実通り、正確に観察すべきである、という科学の姿勢を重視する立場からは反発も出そうです。
ここでむしろ古代ギリシアにおける正統派の自然哲学を挙げるべきでしょう。自然そのものの観察、天文気象、動物植物、人体、人間心理、人間社会、それぞれの具体的観察と記述、いわば百科事典的研究の始まりはアリストテレス(紀元前三八四年ー紀元前三二二年)であるといえます。
エピクロスは宇宙が真空と原子からできているという古典原子論から哲学を展開しますが、アリストテレスはいわゆる四元素(土,水,空気,火)からなる宇宙とその目的論を展開します。それも具体的な観察から始めます。古代ギリシア、ローマでも、こちらの哲学のほうが人気がありました。人間の素朴な感性に近いからでしょうね。
アリストテレスは万学の父といわれるように論理学、自然学(特に霊魂、人間心理、生物、動物)、形而上学、倫理学、政治学など知的探求の対象となりうる森羅万象にわたって膨大な著作を残しています。古代ギリシア語で書かれたこれらの書物は古代ギリシア文明の崩壊後、ビザンティン帝国、イスラム帝国を経由してシリア語、アラビア語、ラテン語に翻訳されながら千数百年にわたり西洋世界(およびイスラム世界)の最高知識とされていました。
この哲学は、キリスト教神学の基礎ともなり、ガリレオ・ガリレイ(一五六四年ー一六四二年)の近代科学を弾圧しましたが、同時に古代ギリシアのような知性の復権を揺籃し、啓蒙思想の発展に契機を与えたとみることができます。
アリストテレスは、なぜこれほどの影響を西洋思想におよぼしたのでしょうか?これはその著作の膨大さやその具体的記述方法と関係があるのではないでしょうか?
たとえば、彼は、動物の内臓の分類と解剖による知見について延々と描写しています。(マケドニア出身であったがために)迫害されてアテネから移住したレズボス島では(紀元前三四四年)、漁師から買ったウニを詳細に解剖し餌をかじり取るための口が四十の小さな骨によりランタン状の五角錐(現代の動物解剖学でも「アリストテレスのランタン」と呼ぶ)を形成していることを記述しています。
生物観察に関するこの情熱はチャールズ・ダーウィン(一八〇九年ー一八八二年)の観察ノート(拙稿62章「探検する人々」)を思い起こさせます。
古代世界で宇宙の森羅万象について、これほど具体的に詳細に記述し尽くした人は、アリストテレス以外にありません。だからこそ千数百年にわたって、最高の教科書とされ続けたのでしょう。
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