たとえば、物干しを作る。垂直の木を二本見つけてその間に水平の木を渡す。長方形になります。応用で、ベッドもできるし、高床やイカダもつくれます。この技術を数千年もくり返し使用していれば、四角という幾何学的概念を言葉として作ることもできるようになるでしょう。
四角という言葉が作られて使われるようになれば、幼児でもすぐ理解して使いこなします。たぶん新石器時代以降の住宅や什器には四角に作られたものがかなりあったでしょう。これらを四角い,と形容することで、四角の概念が定着します。そうなればますます四角いものが作られ、ついには現代のように、人間の身の回りは長方形や正方形で埋め尽くされることになるでしょう。
人間の身体が動きやすい形を作っていくとそれを概念として定着することができます。幾何学ができる。幾何学を使って自然を測定すると単純な方程式になる。力学ができる。そうなると、自然は数学で記述できるようになります。これが科学者の作った現代科学です。
天動説でも自然は理解できるが地動説で説明するほうが結局は簡単で分かりやすい。数学に合わせて科学を作ると使いやすくて便利です。現代人は、立体幾何学を使って人工衛星も飛ばせるからカーナビも天気予報も信用できます。
現代人の生活は、幾何学の上に作られている、と言えばその通りでしょう。その幾何学は結局、四角い、四角くない、という直感的な空間感覚に基づいている。空間感覚は人間の身体の中に作りこまれているようです。これは生まれつきそうなっています。
チンパンジーは、四角い、四角くない、は分かるのか?分かるようですね。しかし四角いものを作ろうとはしない。そこが人間との違いでしょう。
四角を四角いと思えるから私たちは四角で文明を作り、正方形と長方形に囲まれて現代人としてこのように生活している、ということになります。■
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逆に人間の身体が水平と垂直の軸を決めている、とも言えます。たしかにまっすぐに立っている人は両肩を結ぶ直線が水平軸であり頭から両足の間の重心をむすぶ直線が垂直軸である、となります。
面白いことに、机の上に置いた紙に絵を描くときは前方が上、手前が下として、描きますね。自分の身体の軸を上下軸とみなしています。垂直軸を90度回転させて水平面に埋め込む操作をしなければなりません。幼稚園児でも当然としてこの回転操作をして、紙に絵を描きます。顔が下を向いていても額の方が上で顎の方が下と決まっているようです。
そうであれば、机の上に置いた紙に人間の絵を描けばその足は手前にあって頭は向こうにある、という絵になります。山を描いてもそうです。山のてっぺんは前方で裾野が手前になるでしょう。
地面は、それに乗って身体が移動する平面ですから、その広がり具合は直感ではっきり分かっています。人間の、というより、陸上動物すべての神経系にこの直感システムは埋め込まれているはずです。
地面は理想的には水平面である。水平面から傾いていればすぐ分かります。水平面に置かれる直線は水平線です。
水平線が作れれば、それに垂直な線が描ける。水平線がある空間を左右二つに分けます。右手と左手のように向き合って同じ空間が作れる。右半空間と左半空間は対称です。真ん中の縦線が左右どちらにも傾いていない。きれいにバランスしている。水平線と垂直線は左右に対称な角を作る。直角ですね。バランスが美しい角です。直角の美しさは感情に訴える。
つまり、人間の身体が自然に運動することで垂直軸と水平軸は美しいものとして感知できるから、目をつぶっても頭の中にその軸線が描けます。もし必要ならだれでも、だいたいではあるが、ほぼ水平垂直の図形は描けるはずです。
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ガリレイからニュートンにいたる古典力学の成功は数学に基づいた近代科学を確立し、産業革命を実現し実生活の土台として信頼されるようになりました。
しかしこの成功により今度は、現実のこの世界が数学の土台の上にしか存在しないように見えることになりました。これでは科学の基礎は人間の生活感覚から離れたものとなってしまいます(一九三六年 エトムント・フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学Die Krisis der europaeischen Wissenschaften und die transzendentale Phaenomenologie」)。
四角い、という言葉を知っていれば数学など知らなくても正方形は分かります。むしろ数学者ではない人々の方が感覚的に、四角い顔、とかの表現が理解できるようです。
正方形つまり四角とは、人類言語の中には存在するが、現実の自然の中には存在しません。ほぼ四角い、というものは見つけられるし、ほぼ四角い図形は筆記用具やパソコンで描くことができますが、幾何学的な意味で正方形、というものは物質としては存在しません。
それなのに、数学者でない人々のだれもが正方形を知っているのはなぜでしょうか?
人類は歴史的発展の過程で、生活の実用上、できるだけ四角いものを作ろうと努力し続けた結果、正方形という幾何学的な抽象概念を獲得するに至った、といえます。
立って、手を素早くふりおろすと垂直線が書けます。腕を横に引っ張ると水平線がかけます。身体を移動しながらこれを繰り返すと縦横の碁盤の目が描ける。こうして方形はできたのではないでしょうか?
あるいは、目を開けるとまぶたが垂直に上がって世界の幕が開く。眼前の世界を見ているこの両目は水平に並んでいるらしいから垂直と水平は、世界を感知する人間の軸である、と思えます。
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紀元前二五〇〇年頃に構築されたと推定されるインダス文明のモヘンジョダロ遺跡は東西南北に延びる格子状の街路設計で、建物は現代と同様のレンガ積みで建築されています。直方体のレンガを積んで作る建築は当然、直方体の組み合わせになっています。
この遺跡都市には現代の銭湯より少し大きいサイズの公共浴場がありますが、まさに長方形に造ってあります。
実際、現代の建築物も長方形の組み上げでできています。その形が現代人にも嫌われていないし、使いやすく建築しやすい。つまり経済的になっているからでしょう。
人間には生まれながら直感として空間の知覚を持っている(一七八七年 イマヌエル・カント「純粋理性批判 Kritik der reinen Vernunft」)ということは正しいような気がしますが、正方形の感知能力はすべての人間の頭の中に生まれながら入っているのでしょうか?
東京大学柏キャンパスにあるカブリ数物連携宇宙研究機構では三時に全員でお茶を立ち飲みするホールがあって、真ん中にある柱には「universo é scritto in lingua matematica(宇宙は数学という言語で書かれている)」と書かれています。
ガリレオ・ガリレイ(一五六四年ー一六四二年)の名言「宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、 宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである」
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どこの国でも窓はだいたい正方形や正方形に近い長方形です。開け閉めに便利だからでしょうか?
だいたい、入口やドアは長方形。通過する人体の形をしています。どこでもドアも縦の長方形です。
窓は通過するわけでもないのに、上半身の形に合っているような形です。のぞくためでしょうか?そういえば洗面所の鏡もそう。
現代人の必需品、テレビ、パソコン、スマホ、どれも長方形。縦横のある額縁を通して世界を覗く装置です。
そもそも昔から絵は額縁に入っていました。掛け軸も屏風絵も、巻物さえも長方形です。つまり水平線があって垂直に立っている人物や樹木を描く。それが絵だということでしょう。
字も現代では四角い紙やウェブ画面に描かれています。
黒板がそうだし、本がそうでしょう。子供が出会う絵本、漫画、ゲームどれも長方形が水平に置かれている。左右の目を結ぶ直線を画面の水平軸に合わせなければなりません。そうして自分の顔を画面に相対してそこにある画像やテキストを感受するのが人間だ、ということになっています。
しかしもっと昔はどうだったのでしょうか?そもそも文明が発生する以前に人工物はもともとなかったでしょう。人が作った建造物や図画などのほかに自然の中に正方形や長方形はありません。
マインクラフトの世界で太陽は正方形ですが、実際、文明人は正方形を作りやすい。一方、工物はどうか?天体を見ても分かるように自然は球形を作ることが得意です。正方形はありません。
原始の動物的生活から抜け出した文明人が正方形や長方形を好み、その形で住居や図画を作ることは人間の本性なのか?それとも歴史上、人類文明がそのような環境を作ったからなのか?どちらなのでしょうか?
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垂直であれば、次に天井の辺、上辺を調べます。上辺は水平ですか?
水平でなければそれは正方形ではありません。
水平であれば、次に太り具合を調べます。その四角は太っていますか?痩せていますか?ちょうどよいですか?
底辺と左右の辺が同じ長さですか?
同じでなければそれは正方形ではありません。
同じならば正方形です。間違いありません。
言葉で言うと、このようにめんどうですが、幼稚園児などは目で図形を見て一瞬で判断できますね。しかく!と叫んでくれます。
腕を横に広げた長さは身長と等しい。
日本でいわれる両手を一杯に広げた長さの「一尋(ひとひろ)」。
ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図
日本古来の建築、構造物も正方形や正方形に近い長方形が多い。桝 茶室 方丈 能舞台。書院造では窓は円形だったりしますが、ふつう長方形が多い。
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(76 四角はなぜ四角いのか begin)
76 四角はなぜ四角いのか?
あれは四角。これは四角ではない。形を見ればすぐ分ります。
もちろん、どっちつかずの形もある。しかし典型的な四角、というものがある。それは四角い。実に四角い。
幼稚園児でも分かります。
左右対称。上下対象。四つの角がすべて等しい。
正方形。正四角形。
英語でスクエア。その語源のラテン語はquadrus(四であること)。
幼稚園児は形を習う。まる。さんかく。しかく。すぐ見分けられます。
四角はなぜすぐに見分けられるのか?幼稚園児に聞いてみましょう。
答えは「しかくいから」。
つまり、四角は四角いから四角と分かる。ということです。
四角形はその見方がある。正しく見る方向が決まっています。
その仕方はこうです。自分の顔の真ん中に四角の中心を置く。ちなみに、中心は、つまり数学的には重心ですね。その点を通るどの直線も図形の面積を二等分する。
自分の顔から見て落ち着く向きに四角形を置きます。下の辺が水平で地面に置いたとき傾かないような向きがよいですね。そうしておいて、左右の辺を見る。左右の辺は底辺に垂直に立っていますか?垂直でなければそれは正方形ではありません。
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