再開発では幹線道路の水準レベルは変化しません。変えてはいけないでしょう。しかし幹線道路に囲まれた部分は、なるべく平らにするほうが便利です。麻布台ヒルズの場合、元が深くえぐれた崖地であったため、過去に存在した地形は消えました。埋め立てられた地下には歴史があったはずですが、いまやだれもそれを語りません。
麻布台ヒルズ敷地で未完成の西端部分、レジデンスB建築現場西通路、つまり我善坊谷が麻布通りに突き当たるT字路の南側はゆきあい坂と言われていてⅤ字型にくびれていました。
坂の途中に二〇一七年まであったニコラスピザは戦後高度成長期六本木の夢のあととして知られていましたが、今回の再開発でついに消えました。いまではだれもそこにあったことを知らないでしょう。拡幅された麻布通りの地の底に埋もれているはずです。
前世紀のアメリカ文化を象徴するピザの老舗でその店主、米海兵隊退役のイタリア系アメリカ人、ニコラスさんは往時、六本木のマフィアと呼ばれ、闇の世界の顔役だったそうです。
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この谷の北側中央に大養寺という浄土宗の寺があります。現在、保育園の正面でもあり、クリスチャン・ディオールの店舗とも向かい合っている小さな寺院です。江戸時代には我善坊谷東部に広大な境内を持っていて、桜田通りに面した山門の両側に門前町を作っていたそうです。明治以降、衰退して民家の並びに交代していましたが、今回の再開発で立派な寺院建築に復活しました。
我善坊谷の北側は麻布台ヒルズ一階よりさらに高い台地になっていてそこに林野庁所有のホテル麻布グリーン会館(一九六七―二〇〇〇)がありました。一九九〇年代、宇宙開発事業団と宇宙科学研究所の合同前、所属機関を超えて月探査計画の検討会が頻繁に開かれていました。
麻布グリーン会館での会合の後、前の喫茶店で鶴田浩一郎先生(後宇宙科学研究所所長)と研究組織をうまく進める話をしていた記憶があります。
麻布グリーン会館は二〇〇〇年代になると取り壊されて、アークヒルズ仙石山森タワーが建てられました。
実は、筆者は竣工直後からこのビルに住んでいて、もう十年以上になります。東日本大地震直後の不動産パニックのためか当時新築の高層ビルはどれも廉価で分譲されていました。
隣接の保育園が我善坊谷崖上にあり、孫が通っていて迎えに行かされました。断崖絶壁の崖には武骨な金網フェンスが続いていました。今回麻布台ヒルズ開発で、一帯は外苑東通りと地続きの平面になっています。
保育園の隣は書道塾を持つ書壇院で大きなガラス戸に向かって小学生が習字をしています。書壇院の始祖吉田苞竹の居宅であった吉田苞竹記念会館を含む公益財団法人書壇院は我善坊谷の中央付近にありましたが、再開発で現在地に移転しました。
移転前の場所は、現在エスカレーターで降りる麻布台ヒルズマーケットになっていて、食品、野菜の買い物客でにぎわっています。市場原理からいえば、書道塾とは桁違いの当然の収益率でしょう。
麻布グリーン会館の西側、公務員宿舎跡地には六本木ファーストビルが建てられ、ここにJAXA傘下のリモートセンシング技術センターが入居していました。このセンターの発足時、一九七四年ころ、筆者は当時の上司、土屋清先生(千葉大学教授)に引きずられて米国地球観測衛星の画像処理研究をしていました(アーツ1号撮影のデータ処理で伊勢湾の疑似カラー画像取得/日本初)。
発足時のセンター準備室は六本木の明治屋ビルの五階にありましたが、ろくなコンピュータがなかったので浜松町の宇宙開発事業団本社まで外苑東通りをバスで往復していました(このころは電車通勤)。
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(96 なりゆき begin)
96 なりゆき
去年の暮れオープンした麻布台ヒルズの森JPタワー(325 m)は現在、日本一高いそうです。建て替え前には郵政省本省のビルがあり、それがJPというビル名に残されています。一九六九年に郵政省が霞が関に移転した後、同年新設の宇宙開発事業団(現JAXA)が入居していました。 第一期の新入社員として入社した筆者は最上階六本木側窓際の席に座らされていました。予算を作る企画課という部署で水野さんという係長の机の横でした。
向かいの有名レストランキャンティの並びにあった藪そばで、昼飯を食べていました。中華蕎麦屋もあり、水野さんは辛いほどいいと言って、担々麺を食べていました。
飯倉片町交差点の角にクレージーホースというサパークラブの派手な看板があって、入ってみたい思っているうち、半年後に、浜松町の世界貿易センターという当時日本一の高層ビルができて引っ越しました。パリのキャバレー・クレイジーホースには数年後出張で行くことができました。
郵政省の東にはソ連大使館(現ロシア大使館)があって、江戸時代に狸が穴を作っていたという脇の狸穴坂を南に下ると、新装開店のスパゲティ屋などあってランチに利用していました。
現在麻布台ヒルズ一階のあたりは旧郵政省ビルの駐車場で、職員用駐車パスがもらえたのでマイカー通勤をしていました。昼には麻布十番の更科に行きました。当時の麻布十番通は駐車禁止ではなかったのでしょう。覚えていませんが。
旧郵政省ビル駐車場先の北側裏は断崖で、梯子のような急階段で下に降りられました。現在の麻布台ヒルズ中央広場のあたりです。ここは現在地下四階まで駐車場になっていますが、その最低部あたりが元の地面で、東西方向にのびる深い谷でした。南北幅百メートルくらいの細長いその土地にごく普通の一戸建てやアパートが立ち並んでいました。
江戸時代、ここは我善坊谷と呼ばれ、先手組火付盗賊改の同心たちが住んでいたそうです。
この谷の東端、八幡神社下あたりに永井荷風の妾宅があって、六本木一丁目駅近くの自宅(偏奇館)から谷底を歩いて通っていたようです。徒歩二十分くらいです。
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幕藩システムの復活。県知事を藩主にする。藩単位富国強兵の復活。徴兵制の藩防衛隊は自衛隊と並存。小学校では藩旗掲揚。
各藩共同国際研究開発機構を設けて世界先端科学研究推進、核兵器無力化システムの開発、パンデミック研究、月面移住計画など。
どれもマンガ的トンデモ極論ですが、幕末期高杉晋作の倒幕論ほど荒唐無稽ではありません。
新しい長期目標は世界一の非核防衛大国を目指す。家康に比肩するゲームチェンジャーとしては、この程度の理念は必要でしょう。
いずれにせよ。新しいゲームチェンジャーが新しい長期目標を作る。そうして新しい時代が見えてきます。■
(95 長期目標について end)
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