哲学の科学

science of philosophy

いのちの美しさについて(10)

2021-04-24 | yy77いのちの美しさについて


生物は、何か目的意識、意志、意図をもって生きているように見えます。その目的意識、意志、意図あるいは欲望、のようなものの存在を感じてそれが生きている、いのちがある、と感じる。
敵から逃げようとする意図。エサを食べようとする欲望。葉を開いて日光を受けようとする植物。はっきりとした目的が感じられます。
しかし私たちは、生物がなぜ生存目的を持っているのか、分らない。それが神秘感をもたらす。生物現象は不思議。生物にあふれている地球世界は神秘である、と感じます。

さて、この自然は美しい、いのちは美しい、という私たち現代人の直感は結局、人間の本性なのでしょうか?昔の人も同じような感覚を持っていたのでしょうか?
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 西行(一一八六年)
生き延びた自分が三九年前に越えた峠を再び越えられるとは思わなかった。いのちがあることは美しい、とこの歌人は言っているようです。
生きて何かをしている、それだけで人生は美しい、ライフ・イズ・ビューティフル、でしょう。西行、死の四年前です。
今、目の前にこの景色が広がっている。つまり自分は今、小夜の中山を超えて東国に行こうとしている。身の回りの自然は生き続けている。自分もまたまだ生きているらしい。目的を持って生きている。生きているということは素晴らしい。命は美しい、と思ったのでしょう。
生き続けようという目的をもって存在しているもの。あるいはそのように見える姿勢を保っているもの。そのようなシステムは命を持っている、ように見えます。それを美しいと思う感性を人は持っているのではないでしょうか?












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いのちの美しさについて(9)

2021-04-17 | yy77いのちの美しさについて


選択の基準は、もちろん、生存繁殖の効率性です。数十億年にわたるコンペティションの繰り返しで選ばれた作品のすばらしさは驚異的かつ神秘的でしょう。
ダーウィンの著作(一八五九年 チャールズ・ダーウィン「生存競争における適者保存あるいは自然淘汰の作用による種の起源について」 On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life,1859)は家畜の品種改良からガラパゴスの歴史を俯瞰してマクロの観点で進化システムを描写しています。現代の分子生物学の発展は同じダーウィン理論を超ミクロの高分子構造の体内変化過程に適用して幹細胞や神経系、免疫系の分化、あるいは病原体やガン細胞の変異や薬剤耐性のメカニズムを解明しています。
ダーウィン以来百数十年の科学の発展で分かってきたことは、結局、生命に神秘はないということです。地球の自然過程で有機高分子は生命現象を現出させうるし、それは超長期にわたり変化し続けていかにも多様な生命風景を実現できる。それは、いかに複雑多様であっても、自然現象であって、超自然な神秘が働いていると言う必要はありません。
たしかに現在まで、この現象は地球でしか観察されていません。地球環境の特異性と言えます。しかしこのことをもって、地球だけが神秘の天体だ、ということも自己中心性(egocentrism)の誤謬でしょう。
現在までの天体観測では地球とそっくりの天体環境は見つかっていません。しかし近年の高精度天体観測と宇宙探査技術の発展をみると水や有機分子がありそうな多数の環境を発見できる技術が獲得されつつあることは間違いないでしょう。
まもなく生命のような現象が宇宙に満ち溢れている、という予想が証明される、という話の方が本当らしい。そうであれば、生命は神秘というよりもこの宇宙に存在する必然的な本質である、ということができます。

さて、生物現象に神秘はないとすると、私たちが生物を見てそれが非生物とは全然違うものだ、と思う直感はどこから来るのか?











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いのちの美しさについて(8)

2021-04-10 | yy77いのちの美しさについて


まあ、たしかに、ガン細胞は恐ろしい勢いで増えていくけれども、その結果人体を破壊し、自分も死んでいく。個体は死んでも集団が健全に繁殖存続していくならばシステムは安定に維持されていく。それをもって、いのちの美しさ、というならば、ガンや病気、飢餓も含めて、美しい、といってよいのでしょう。
このように生物現象は超ミクロのレベルから超マクロのレベルまで、命をつなぎ生き残り繁殖したいという目的、意図をもって展開されているかのように見えます。その目的意識は強烈に見えます。生きる本能などと呼びたくなります。
生き残り子孫を増やしたいという欲望の存在感が明白に見えます。しかもその生存戦略はまことに巧妙かつしたたかです。命に神秘を感じる私たちの感覚はこの辺を見ることで作られているらしい。
それが神秘感となる理由はダーウィンの理論が直感に反するところからきているのでしょう。生物が機械に還元されるとは信じがたい。これほど複雑かつ多様であるすべての生物が同一構造のシステムであるはずがない、という直感です。
人間の直感は一次関数つまり直線の上に載っていて指数関数は感知できない。瞬間的な判断は得意だが超長期の推測はできません。複利計算は苦手です。むしろ対数関数がよく分かる。その方が短期の勝負で自然界を生き抜いてきた人類の生活では実用的だったからでしょう。
一年間の変化はよく分かるが、十年はひと昔です。百年前となると実はよく分らない。一万年も十万年も同じようなものと思えます。一億年となると言葉だけは分かるが、まったく意味が想像もできません。そういう事情であるのに、生物の進化は十億年くらいで意味が出てくるものが多い。
試行錯誤という言葉はありますが、生命現象の試行錯誤はとんでもなく規模が大きい。数億回の試作品の中から一番できが良い作品を選んで、それを数億個くらいコピーして、さらに数億回くらいこの試行を繰り返す。










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いのちの美しさについて(7)

2021-04-03 | yy77いのちの美しさについて


絵画や彫刻のテーマになる美しい裸体。人体はなぜ美しいのか?それは聖書に書いてある通りなのでしょう。神は自分に似せて人を作り、全生物を支配させた。そうであれば神の姿と同じである人体が美しいことは自明です。
そうであれば、人は神のように世界を支配し、真理を知り尽くし、調和を維持する、という目的をもって存在しているはずです。それを実行する形になっている人体は美しく、それが行動する過程である人生は美しいに決まっている、とキリスト教の聖書は語っているのでしょう。

逆に美しくないもの、醜いものの代表は、骸骨、腐敗した死体、幽霊、これらは目的を失った生物の残骸ですね。ゾンビなど目的なく動き回るから実に醜悪、気持ち悪い。
美しくないものは世の中にいろいろありますが、なぜか、生物で目的を逸脱したもの、行き過ぎたものが特に醜く見えますね。腐敗菌、カビとか雑草、害虫、病原菌、ガン細胞など美しく見える時がありますか?
生物の目的であるはずの成長繁殖の成果が過剰に見えるもの、生命力が横溢している現象はどうか?しばしば美しくない。醜い。風呂場のカビとか、庭の雑草、台所のゴキブリなど主婦は懸命に除去する。命は美しい、というなら慈しんだらいかがでしょうか?
これらの生命現象、つまり自己のDNA情報を複製し伝達していくシステムは、過剰に効率的になると、美しくなくなります。その場合しばしば、人間にとって害である、あるいは害であるかのように見えています。
つまり私たちは、自分に都合がよいかどうかで、命は美しい、と言ったり、すぐ駆除したい、と言ったりしているらしい。
ガン細胞など、最近の研究によれば、自己体内の細胞がまさに体内でダーウィン理論の通り変異進化し繁殖していく。細胞分裂のたびにDNAの損傷が蓄積し自動修理できない変異DNAが繁殖し転移能力を獲得してしまうと、身体全体は老化するのにガン細胞だけはますます若返る。人間は長生きするのでDNA損傷は特に蓄積しやすい。七四歳になる筆者などはなぜガンで死なないのか、偶然の幸運でしょう。(二〇一四年 Bruce Alberts, Alexander Johnson, Julian Lewis, David Morgan, Martin Raff, Keith Roberts, Peter Walter 「Molecular Biology of the Cell 6th ed.」)
こういう細胞は美しいとはいえませんね。









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