哲学の科学

science of philosophy

勉強が嫌いな人々(11)

2020-02-29 | yy72勉強が嫌いな人々


極端な例を作ってみましょう。フィクションですが。
勉強が嫌いな少年A君は、たとえば小学校卒業の時点で中学校に行かずにプロサッカーの選手を目指します。親も学校の先生も反対しません。プロサッカー選手養成学校に行くとします。
学費は教育財団が出してくれました。養成校では、まず身長を大きくするためのおいしい栄養食を取らせます。三食とおやつも無料です。それと並行して基礎体力、基礎運動能力を訓練する。サッカーの技術教書を読ませる。身体運動の物理学と生理学を教える。同時に、海外に進出できる能力、英語力や国際マナーを学ぶ。そうして、毎年実技と理論の定期試験を受けるでしょう。十四歳で一回目の試験には合格。
先生は「まあ、身体が大きく成長すればプロになれるかも」と言ってくれますが、A君本人は、身体が大きく成長するかどうかは確実ではないし、それからプロになるのはもっとむずかしそうだ、という考えを持ち始めます。
そこで今度はプロのユーチューバーになるためにプログラミング学校に通います。パソコンに精通して、コードも書けるようになり、インターネット世界もよく分かるようになりましたが、プロのユーチューバーは安定した収入がありそうにないことが分かってきました。十六歳になったA君はアルバイトの経験がしたくなり、宅配便のワーカーになります。しかしすぐに退屈し、もっと面白い仕事はないか、と思い始めます。
仕事仲間から聞き込んだドローン配達オペレーターの募集に問い合わせたところ、三ヶ月のトレーニングが必須と言われて訓練所に入りました。そこで知り合ったドローンの先生から配達ロボットの開発をしていると聞いて、ドローン操縦のオペレーターをしながら研究所のアルバイトをさせてもらうことになりました。A君十七歳のときです。
ロボット研究所で大学院生の助手になってプログラミングの補助をしました。プロジェクトに参加させてもらい、毎日、ロボットの開発に夢中になっているうちに五年経ってしまいました。正規の研究補助職の試験に合格しました。給料もあがりましたが、そのとき「君の実力なら博士号をとれるよ」とみんなが言ってくれるので、大学院入学検定の準備をはじめました。英語と中国語の勉強は大変でしたが二年間で大学院入学資格が取れたので博士課程に入学しました。A君二十四歳のときです。
四十歳になったA君は家庭も持ち、ロボット開発会社の社長として世界中を飛びまわりながらも、ボランティアとして、少年サッカーチームのコーチをしています。








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勉強が嫌いな人々(10)

2020-02-23 | yy72勉強が嫌いな人々


これはどこかおかしい。そう思っても現代社会の宿命のような勉強至上主義は改めるすべがありません。
無理にでもこれを改めて、勉強が嫌いな人々を救うためには、相当な荒療治が必要です。拙稿本章では、ここで空想の荒療治を考えてみましょう。

まず就職のために学校での勉強が必要というシステムを止めさせる。企業の採用試験が学歴を重視している現状を改めなければなりません。
しかし学歴を見ることで優秀な人材が選別できるという信念が採用側にある限りこれは困難でしょう。学歴以外に、勉強と関係ないもっと優れた選別基準を与えなければ、採用者の行動を変えることはできません。
自社独自の高品質な入社試験、信頼できる社内あるいは社外の人物からの推薦、複数面接、インターン、実務経験重視、人材ハンティングその他、コストのかかる採用選別方式も一部企業では試行されていますが、良い決め手は見つかっていないようです。

それでは、とにかく国が、強制的に法律などで学歴採用を禁止したらどうなのでしょうか?まあ、世論が許さないでしょうね。
それでも、仮に空想で、ですが、採用試験において学歴学校歴を知って選別してはいけない、というルールが強行されたと仮定します。
応募履歴書に学歴を書いてはいけない、面接で学歴を聞き出してはいけない、とする。さらに徹底して、罰則税制を作る。たとえば大卒者に支払う給与と非大卒者に支払うそれとの差額を企業から税として徴収する、としましょう。
空想のそういう世界はどうなるでしょうか?

まず企業は大卒優先の採用をやめるでしょう。大卒と非大卒との収入格差はなくなる。
大学へ行かなくてもよい、となれば、高校へも中学へも行かなくてもよい、となるかもしれない。青春まっさかりの大事な年月を学校で鬱々と過ごす代わりに、好きな仕事をして好きな人たちと交流しながらお金を稼げる、とします。
十代から、働いて得たお金でこつこつと貯金や株投資をしてもよいし、憧れのプロジェクトチームのインターンになるのもよし、趣味や恋愛やレジャーに夢中になってもよいし、世界放浪してもよし、親の家で家業を継いだり、あるいはニートになったり、時々アルバイトやボランティアでもよし、インターネットの動画やオークションや中古品販売で稼いでもよし。もちろん、起業して社長になってもよし。いずれにせよ生活費は楽に稼げるとなれば、親に気兼ねせず自由に生活できます。
世間がそれを当然と認めれば、小学校の先生やテレビ、マスコミが、青少年は大学や高校に行く必要なし、と教えはじめます。そのうち中学も行かなくてもよし、となってくるかもしれません。







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勉強が嫌いな人々(9)

2020-02-15 | yy72勉強が嫌いな人々


学生が減れば教員も減る。数が少なくなる大学教員には高い給料と研究資金を与えて優秀な人材を世界中から募集する。もちろん、ノーベル賞が取れそうな人には奨学金や生活資金を与えて大いに研究してもらう。

これはしかし、いわゆる、昔に戻れという復古主義です。今どきこんな事をいう人は少数です。しかもたいていは成功主義者です。学校に行かなくても社会的経済的に成功できる事例がある、だれにも成功の可能性は開かれている、という主張です。これは、逆にいえば、成功できない人は切り捨てられるのみ、という乱暴な意見に聞こえて多くの人に嫌われるでしょう。

政府も学習課程を改定し、役に立たない勉強を減らす方向に改革も進めています。しかし、週五日制の学校制度はしっかり維持するという前提に立っています。
勉強が嫌いな人はしなくてもよい、学校に行かずに就職すればよし、という方向への(働き方?)改革は、政府も教育界も、だれも取り組もうとしません。まずマスコミがそういう考えは拒否するようです。
勉強が嫌いな者は学校に行かなくてもよし、とはだれもいわない。むしろ、勉強が好きになれ、好きになれるはずだ、若者はぜひ学校に行って勉強せよ、なるべく上の学校に行け、そのためにどんどん学校や大学を増やしていこう、となっています。
実際、学校や大学はますます増え、近い将来、ほとんどの若者は大学生になるしかない、という時代が来るでしょう。二二歳あるいはそれ以上まで勉強は続く。それも毎日の生活で勉強最優先といわれ続ける。いわば勉強至上社会になっていく、といえます。人はだれもが、勉強するために生まれ生きていく。それはユートピアなのか?なにか、疑問ですね。






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勉強が嫌いな人々(8)

2020-02-08 | yy72勉強が嫌いな人々


昔は勉強が好きな人だけが勉強した、ともいわれます。事実としての昔がそれほど牧歌的であったかどうか疑問がありますが、ロマンとしてそう思いたい。
それでは、その(ロマンとしての)原点に戻って、勉強が嫌いな人はしなくてよい、と徹底したらどうなのか?
学校や大学は勉強が好きな人だけが行く。行かない人も人生で不利になることにはならない、という社会が作れないでしょうか?空想の世界ですが、どんな世界になるでしょうか?
そうすると、学校に行かない若者が多くなるでしょう。昔は、中学校くらいから、学校に行かない若者が行く者よりも多い、という状態がふつうでした。たいていの子供は学校に行かずに働きに出ました。あるいは家業や家事を手伝った。ではその昔のように戻して、小学校卒業くらいで皆、それなりに満足できる職業につけるとしたらどうか?少なくとも嫌な勉強はしなくてすみます。

おとなになってから英語や方程式など使ったこともない、そういう勉強は不要、無駄という意見が多いことからして、おおかたの社会人は、生活と仕事の場面で、高等学校以上の知識はほとんど必要としない、と思われているようです。学校の勉強を経験しなくても支障なく生活できる、と思われている、ということかもしれません。図書館で本を読めてインターネットで検索できる人ならば中学校もいらない、という意見もあります。
大学で習う高度な知識を必要とする少数の専門家、科学者、医師、弁護士、エンジニア、教師、官僚などだけが高校や大学に行けばすむ。他にリーダーになる経営者や政治家などは大学程度の一般教養は必要でしょう。

空想の中ですが、もしそうできたとすれば、職業の必要から大学や大学院に行かなければならない人は同世代人口全体の一割くらいでしょう。そうなれば九割の人は勉強から解放されます。
もちろん、勉強が嫌いではない人は強いられなくても大学へ行くでしょう。また人生の途中で大学に入学、復学する人も多くなるかもしれません。それらの人数を加えて同世代の二、三割の人が大学へ行くとしても現在の大学進学率五割よりはかなり減るでしょう。











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勉強が嫌いな人々(7)

2020-02-01 | yy72勉強が嫌いな人々


自分がつらい勉強を強いられるのは嫌だが、他の人は大いに勉強して教養と良識を身につけ、その成果として安全で生産性の高い良い社会を維持して欲しい、それができる人材の品質保証が学歴だろう、とだれもが思っている、ということでしょう。
学歴競争を抑制できない二番目の理由は、学歴の獲得が、若者の将来の幸福に不可欠だ、という思い込みがあるからでしょう。これは後で述べるように、学歴と社会的地位およびそれに伴う収入その他の利得が深く結びついているという社会通念から来ています。そうであれば、受験競争は、個々人の信念からくる競争を外的な圧力で抑制しない自由で健全な社会である証拠といえるでしょう。
その他、これも後で述べますが、学歴が社会階層を表現する属人的なシンボルであるとの思い込みも学歴競争の背景にあるようです。
これらの理由により学歴競争は続く、といわざるを得ません。
まあ、それでも、我慢してつらい勉強を耐えた者たちによって安全で生産性の高い良い社会が維持できるのであるからしかたないではないか、という暗黙の了解が政府にも、教育界にもあるようです。

はたして、我慢してつらい勉強を耐えた者たちが作る社会は、本当に安全で生産性の高い良い社会なのか?まあ、現状の社会がまあまあ満足できる程度に良い社会であると思うならば、今のやり方も大きな間違いはなさそうである、ともいえる。
しかし逆に、これほど多くの若者に青春の全期間、極端な我慢を強いなくてもまあまあ良い社会は維持できるのではないか、という疑問が残ります。この思いが皆さんにある限り、学校改革や入試改革は提案し続けられるでしょう。

これほどつらいといわれる勉強をすべての若者に強いる事自体が間違いではないか?という思いも、実は私たちだれもが持っている。しかし学歴競争がある限りやめられそうにありません。
勉強のつらさはどこまでもついてまわる。実際、登校拒否、中途退学、あるいはそれらがきっかけとなった若年者の鬱屈、敗北感、挫折感が精神を傷つけ、それが自暴自棄、自己放棄の行動につながる、というような事態は増えてきそうです。











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