「売り家と唐様で書く三代目」といわれるように世代が交代すれば上層の子や孫は落ちてきます。その分、知恵と勇気と運を持つ者が上がっていきます。現代は、どの国でも親の世代に比べれば階層間流動性は高くなっています。
ただし最近を見ると、日本など先進国では、上昇意欲が急速に停滞してきているようにみえます。一つの理由は、教育による上昇という夢への幻滅。もう一つの理由は、上級階層であることが幸福につながるとの思い込みへの幻滅、でしょう。
そうであれば階級格差など、現代では、問題にする必要がない。肩書や収入がどうであろうと、すでに今や人間みな平等である、ということになります。
地位や富を求めて格闘する必要はない。平等願望(isothymia)は、すでに満足されてしまってドライビングフォースにならないのでしょうか?それとも上昇志向は苦しそうだからやめる、面倒だからあきらめる、ということなのでしょうか?
階層をよじのぼることをあきらめるとすると、これは江戸時代の身分制のようになります。その時代の人々は階層をのぼることなど夢想せずに、自分の階層の中でしっかり生活することに懸命でした。そうするほうが幸福になれたのでしょう。
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変身はどうでしょうか?
貧富の格差がますます広がってくる、と言われているので、この格差が作る階層を上へよじのぼることを目的に人生を積み上げて行ってみましょうか?
職業が現代の階級階層を決定しているようなので、それをしっかり意識してみましょう。
収入が高そうな(または偉そうな)順に並べてざっと人口比をみる。
超富豪投資家 500ppb(人口の千万分の五)
テレビに出るような有名人 5ppm(百万分の五)
医者科学者設計者などエリート専門職 2%
会社経営者 3%
大企業サラリーマン・官僚 5%
個人事業者・公務員 20%
エッセンシャルワーカー(農林水産・製造・サービス・福祉医療)30%
パート・フリーター・遊び人・零細投資家 20%
無職者・高齢者・病人・ニート 20%
とんがったピラミッドのように上にいくと極端に狭い。この格差を深刻にみると上層に上るのは大変そうです。コツコツとお金を貯めるだけでは間に合いそうもありません。
なによりも、社会を支えるエッセンシャルワーカーの収入と社会的地位は上がりそうにありません。
では、一つ上、あるいは二つ上を狙って努力してみましょうか?それには大学入試や公務員試験をクリアしなければならないようです。逆に、よい大学に合格しなければ下に落ちてしまうかもしれない。勉強が嫌いな人にはハードルが高い(拙稿72章「勉強が嫌いな人々」)。
ピラミッドの最上層あるいはその下くらいに挑戦するには全国的なコンペティションやオーディションあるいは国家試験、国際コンクールなどに入賞しなければなりません。それか、エリートコースで大出世。または会社を受け継ぐ。あるいは買収する。大株主になる。起業する。アルフレッド・ノーベルやビル・ゲイツのように革命的技術革新を発明する。いずれにしてもまあふつう、不可能に近そうですね。
上昇は難しいが下降は簡単。自分の代はあきらめて子弟の教育に賭ける人も多くいます。しかし昨今、景気低迷は長引き、大学(/院)は出たけれどドライバーや店員などになるしかない人が多い。大学(/院)は増えていてもそれを目指すメリットは減ってきています。
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現代人はさらにシニカルに、かつニヒルになっています。金銭欲出世欲に駆られた競争生活はむなしい。かといってひたすら安全を求め延命医療にすがって長生きすることの意義も分からない。
快楽に生きることも趣味に生きることも、どこか嘘くさい。セックスもギャンブルもドラッグも、さらに虚しい。結局は逃げようがない退屈だけが残る。
「したがって、人間であることはつらい。人間であるとは退屈に向き合って生きることを意味するから。(二〇一一年 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』)」
こうして、戦うことをやめさせられた人間は死んだ人間になるしかない(一九六九年 アレクサンドル・コジェーヴ「ヘーゲル読解入門Introduction to the Reading of Hegel」)との見解も現代人の心象風景をよく表している、といえます。
「何よりもはっきりしているのは・・・新しい物に目を向けようとしなくなったことだ。人類全体の性向がそうなっている。わしのように古い記録をあさっていると昔の人と現代人の違いにがく然とすることがある。(一九七八年 藤子不二雄『老年期の終わり』)」銀河系の開拓に飽きた人類は辺境の星を捨て、大挙して地球へ戻っていきます。一組の若い男女だけが銀河連邦政府に反抗して逆向きに宇宙へ旅立っていきます。
銀河系の開拓はさておき、当分地球上で暮らすしかない現代人としては、これからどうすればよいでしょうか?
どうするといっても、大雑把に言えば、次の四つくらいでしょうか?
1. 現状を維持(けっこうきつい)
2. 成長(家財を蓄積/収益力を増加)
3. 変身(階層上昇・脱俗・革命・戦争)
4. 終息(がんばらない・引き籠り・隠居・死去)
今までがんばってきた現状維持や成長は結局、退屈に陥ってしまうとすれば、あとは変身か終息しかありませんね。
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「羊飼いはいない。いるのは羊の群れだけである。(一八八五年 フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』)」
鄧小平の座右の銘とされている、耐冷耐苦耐煩耐閑不激不躁不競不随以成事(王陽明の四耐四不の辞 一五〇七年頃)では耐閑、つまりひまに耐えることが一番むずかしい、と言われます(拙稿43章 「ひまを守る」)。開発独裁を進めても血沸き肉躍る戦いにはなりません。高度成長期が終わるにつれ夢が消え大義が見えなくなります。日常的ビジネスの退屈に耐えることが、大国のエリート層の資質になってきます。
こうして現代の平和は続きます。その巨大な退屈からどう抜け出せばよいのか?
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(一九五七年 寺山修司「われに五月を」)
失われた大きな物語を背後に感じられる世代は、まだ退屈は少なかったでしょう。現代人はかつてそのようなものがあったことさえ思い出せません。
宗教が消え、ナショナリズムが消え、マルキシズムが消え、さらに政治組織であろうと地下組織であろうとゲリラであろうと、献身を求めるコミュニティはどれもが消えかかっています。
世界を征服したアレキサンダー大王(紀元前三五六年―三二三年)の死後に興隆したエピクロスの庭(哲学の道場 紀元前三〇七年)は心の平安(αταραξία:ataraxia)を最高価値としましたが、神秘的あるいは崇高なものをすべて否定する哲学です。宗教の敵ですね。
なにか現代人の心情に似ています。ディオゲネス(紀元前四一二年―三二三年)のシニカル哲学もこのころできました。
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