部分的にでも複製が起こり始めれば、時間の経過によって同じような分子群がその場所で濃密に増殖することになります。この結果できる生成分子が生物の構造体である有機ポリマーを作る重要な部品分子(モノマー、プリン、アミノ酸、糖など)の生成を媒介する触媒機能を持つと、それは不完全ではあっても一種の酵素となります。
そこに、またまた偶然に、モノマーの重合を促進する触媒(ポリメラーゼ)の役割を、不完全ではあっても、果たす分子群が作られる。そういう分子群が偶然、また複製される機構に組み込まれる。そうなると、現在のすべての生物が持っているRNAポリメラーゼの原型のようなシステムができたことになります。
さて、ここまでは来るとして、ここからクリックの中心教義を忠実に実行する生物の原型はどうすれば出来上がるのか?道は相当遠いようです。
粘土や多孔質岩石の微小な間隙にポリメラーゼの類が高濃度に集積されて、それらが製造するRNAやDNAやタンパク質の類がうようよ浮かんでいるゾルゲルのようなネバネバした物質ができたとしても、それらはまず境界膜がないので、細胞のようには増殖できません。
細胞質膜の部品であるリン脂質、コレステロールなどを製造するタンパク質が偶然できて複製されていけば、部品は自然に絡み合って細胞質膜ができてきます。リン脂質などの両親媒性分子(水と油の両方に溶ける分子)が凝集するとシャボン玉のような球形膜が自然にできます。もしこうなったとすれば、DNAやRNAやタンパク質やゾルやゲルを囲い込む球形に閉じた細胞質膜ができあがることもあるでしょう。
この原始細胞の中にはめちゃめちゃな配列のDNAがあってめちゃめちゃなたんぱく質がつくられていきます。ふつうめちゃめちゃなたんぱく質が働きだすと細胞はめちゃめちゃな状態になって崩壊します。
そうなるとまた、振出しに戻ってRNAやDNAをめちゃめちゃな配列で作り始めるとこらから再出発が始まるでしょう。しかしその場合、近くにうまく働く細胞がすでにできているとすると、それが周辺の出来損ないや発達途上の原始細胞を食べてしまうでしょう。まあ、食べられて細胞膜内に取り込まれれば、ちゃんとした細胞の一部分になれるわけなので、生物進化の観点からは、成功と言えます。
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モノマーをポリマーに結合する機能を持つ触媒高分子(ポリメラーゼ)が出てくれば、そこから先の反応は早い。周辺にはやたらに多くのポリマーが組み上げられ、互いに絡み合い、触媒しあい、なかにはポリメラーゼ的な役割を果たせる高分子がまたまた作られるはずです。
偶然を頼りにする、はなはなだ非効率な、それでも、自己複製システムだと、言えなくもありません。
現在の地球上では、栄養に富んだ有機分子群があれば、とたんにバクテリアなどに食べられてしまいます。生物が皆無の太古の地球の様相は、私たちには想像しにくい。直感に反します。無菌室の中では、たしかにおいしいスープもいつまでも腐りません。
それでも酸化還元や熱分解がゆっくり起こります。紫外線や宇宙線を当てれば高エネルギー反応も起こる。いずれにせよ、休みなくゆすったりかき回したりしていれば変化も少しは速くなります。
百万年の単位でかき回していれば、スープの中にはよほど稀な複雑な有機分子のかたまりもできてしまうことがありそうです。そうなると、めちゃめちゃな配列のDNA,RNA,タンパク質、糖鎖などがぐちゃぐちゃに絡み合ったゾルやゲルのような物質があり得ることになります。
ほとんどは何の意味もないただ大きくつながっただけの高分子群です。しかしそこでまた偶然に、それらのいくつかがポリマーの複製機能を持ち、かつまた自己複製の機能を兼ね備える高分子となることも想定できなくはありません。
単位部品のつながり方が偶然ある機能を持ってしまう。その機能はRNAなど核酸配列を複製するものになるかもしれない。複製された核酸配列がまたある機能を持ってしまうこともあり得る。そうなると、複製されたものがまた、部分的であっても、自己の一部分を複製する。一種の不完全な自己複製システムとなります。まったく偶然が頼りですが。
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どこかで発想を変えなければいけないのかもしれません。自己複製をする機構の設計はあきらめるしかないようです。
それでは設計によって実現することをあきらめたとして、ほかの方法で、どうしたら自己複製機構ができあがってくるプロセスを想定できるのか?
偶然に頼る、という方法があります。猿にタイプライターをたたき続けてもらえば、いつかは、シェイクスピア戯曲が書き上がるというアイデアがあります(無限猿定理)。筋書きの構想も作文も推敲も必要ない。無限の時間がたつうちにはどんな長編戯曲も書き上がるはずです。しかしこの想定には、その前に宇宙の終焉が来る、というオチがついています。
では、猿とタイプライターのペアの数が数兆組あって、猿が打鍵する速度が一秒間に数万回の超高速だったらどうか?シェイクスピアの戯曲ではなくて芭蕉の俳句ならどうか?うまく設定すればできそうな感じもしますね。
クリックの中心教義にこだわりすぎると、これ以上話が進まない。ジョン・フォンノイマンの自己複製概念も同じように物理的には実現可能性から遠いようなので、ここでこれらの教義や概念をちょっと脇に置いておいて、まず偶然に頼って進む道を選んでみましょう。
生物の構成部品である各種有機分子は、適当な温度で適当なイオン濃度の水溶液中に置かれると化学反応を起こしやすい。偶然に放置しておけばいろいろな高分子ができたり壊れたりを繰り返します。偶然おもしろいものもできる。種々の無機化合物を含んだ粘土、アスベストなど多孔質の固形物と水溶液がよどんでいる状態では、結晶や高分子が成長したり風化したりを繰り返します。
多孔質固体の形状が、偶然適当に、ミクロなフラスコや迷路やフィルターの役を果たすような形になっていれば、有機分子の反応は起こりやすいでしょう。ゲル状の有機高分子の絡まり具合によってはうまい具合に触媒効果もでます。そのようなミクロな構造が稠密に集積されていれば、マクロな分子(ポリマー、DNA,RNA,タンパク質、糖鎖など)の単位になる部品分子(モノマー、プリン、アミノ酸、糖など)も集積されるでしょう。
そのようなドロドロした液体を(川や海の水流などにより)無限回に近くかきまぜているうちには、小さな分子がくっつきあってだんだん大きくなり部分的にポリマーのような繰り返し構造をもつ高分子に成長する場合もあります。偶然に任せればほとんどは機能を持たないガラクタの高分子ができますが、偶然たまたま、部品の連結重合を媒介する触媒機能を持つ高分子もできることがあるでしょう。
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だいたい人間の感性は複雑なものが嫌いで、単純なものが好きです。単純さに美しさを感じます。物理学など、ニュートンやアインシュタインは単純な数学を使って森羅万象を描き出すところに快感を求めて探求したのではないか、と思えます。
ところが生物学はそう単純にいきません。ダーウィンの作り出した進化論は比較的に簡単な原理ですが、それを適用することで作り出されることになるはずの生物体はかくも千差万別多種多様、複雑極まりなし、という状況です。
この複雑さは、もう少しなんとかならないのか?クリックの後継者である現代の生物学者たちは内心そう思っているでしょう。
今世紀に入ってからも、一生懸命に研究を進めればよい見通しが得られるのではないだろうか、と頑張ってきました。しかし研究が進むほど、タンパク質の種類は増え、タンパク質相互の反応関係は複雑なネットワークであることが分かり、最も簡単な単細胞生物でさえも、構造や機能はやたらに複雑なことが分かってきました。
三十八億年前の地球に出現した最初の生物は、ずっと単純だったはずであったろう、とはいうものの、その具体的姿は描けていません。
問題は、自己複製という生物の基本機能を備えるためには単純な構造では無理である、ということらしいのです。生物構造体が自己複製するためには、DNAを複製し、(ミトコンドリアなど)エネルギー発生装置や(細胞骨格など)支持構造や膜や壁や液状物質など細胞の機構内容をすべて二倍に増やして、それらすべての機構を左右に分離して再組立てし整頓し、二倍に増大した細胞の中間部分をくびれさせて二個の細胞に切り分けなければなりません。
こういうことを自動的に進展できる機械は人工では作れていません。生物の活動は核酸、タンパク質、糖鎖など有機分子の重合体を切断、接着、ねじりなど分子間エネルギーにより変形していくことで実行されるものですが、これらの変形を媒介するタンパク質の種類は一個の細胞内で数千から数万種あります。タンパク質一個一個は工作機械でたとえれば、一台のNCマシーンくらいの複雑さですが、こういうものを数千種そろえるとなると巨大な工場の数百倍の複雑さでしょう。現代の人工工作物にこういう規模のものはありません。
クリックが活躍した前世紀のころは、生命の神秘、などといって科学者も感嘆しているだけでしたが、今世紀に入って生命科学の進展により生物の細部構造が次々に解明されてくると、現代の科学者はその複雑さに圧倒されそうになっているようです。
コンピュータプログラムの基礎理論を確立した数学者ジョン・フォンノイマン(一九〇三年―一九五七年)は自己複製機械の原理を追求し、方眼紙形式の有限状態システム(セルラーオートマトン)の上で自己複製する数学模型を描き出しました(一九五七年死後出版 ジョン・フォンノイマン『自己増殖オートマトンの理論』)。そこに示されたシステム原理は、自己増殖するシステムは本体の内部に設計情報を記載した記号列を保有し、それにしたがって本体と同一の組み立てを行うと同時に記号列を複製する、というものでした。これは後年クリックが提唱した生物学の中心教義と同一の内容を抽象的に述べたものであるといえます。
この原理により構成されるシステムは、数学モデルとして抽象的に記述する場合にもかなり複雑性が高いものになってしまいます。まずシステムを記号によって表現するDNA的なメモリー媒体、つぎにDNA的記号メモリーを読み出して部品から自己自身を構築するシステム、そしてそのシステムはまた記号メモリーの複製もする必要があります。
メモリーの読出し・部品組み立て機構とメモリー複製機構だけでもかなり複雑なものとなるのに、さらにそれらの機構を部品から自動的に組み上げる機構が必要です。そのうえ、それらすべての機構を組み上げる機構が必要になる。設計を続けると際限なくシステムが大きくなりそうです。
かなり上手に設計して、有限の大きさのシステムで自己複製ができる設計が完成したとしても、最初のシステムは人間が作って部品を十分に供給してやらないと自己複製は始まりません。物理的システムとしてこのような人工機械が作られたことはありません。規模が大きくなりすぎるからです。
さらに自然環境の中で自己複製の機能を持つ自動機械は、一個の都市のように複雑で巨大な物理的システムになってしまうでしょう。何を目的として作るにしろ、現実の世界でそれほどの規模の人工構造物が作られることはなさそうです。
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