私たちがある物事を理解したい場合、どうするか?
物事の原因と目的を知ろうとします。世の中の物事が起こるには原因と目的があるはずです。原因と目的がある結果、世の中の物事はこうなっていると理解できます。
私は、なぜA子が痩せたのか知りたい。
A子の身体の横幅が細くなったから痩せたということが理解できる。身体が細くなった原因は身体の脂肪が減ったからだと理解できる。身体の脂肪が減ったのは一日一食にしたからだと理解できる。A子がそういうことをして痩せたのは美しくなるという目的を持ったからだと理解できる。
こうして私は、A子が痩せたという事実を理解できます。
目的は何か、ということが重要である。アリストテレスはそう教えています(BC三三〇年頃 アリストテレス『物理第2巻 』)。ところが現代科学は、アリストテレスのこの教えに逆らっています。科学の見方によれば、チンパンジーのA子の身体が細くなった原因は身体の脂肪が減ったからだという言い方は認められる。チンパンジーのA子の身体の脂肪が減ったのは一日一食にしたからだという言い方は認められる。しかしチンパンジーのA子が痩せたのは美しくなるという目的を持ったからだという言い方は認められません。
科学の言葉遣いでは、チンパンジーのA子が痩せたのは美しくなるという目的を持ったからだという言い方は認められない。チンパンジーのA子が痩せたという生物現象に関してそれはある目的のためだという言い方は認められません。
人間のA子が痩せたのは美しくなるという目的を持ったからだという言い方は認められるが、チンパンジーのA子が痩せたのは美しくなるという目的を持ったからだという言い方は認められない。これはどういうことでしょうか?
「チンパンジーのA子はなぜ、そんなに痩せたのですか?」
「一日一食にしたからです」
「なぜ、一日一食にしたのですか?」
「痩せさせるためです」
「なぜ、瘠せさせたのですか?」
「美しく見せるためです」
前に挙げた会話と似ていますが、ちょっと違ってきましたね。
また少しだけ変えてみましょう。
「A子はなぜ、そんなに痩せたのですか?」
「一日一食にしたからです」
「なぜ、一日一食にしたのですか?」
「痩せさせるためです」
「なぜ、瘠せさせたのですか?」
「美しく見せるためです」
何かおかしいですね。不気味な会話の感じがします。ヘンゼルとグレーテル の逆バージョンのようです。
この場合でも、質問者の「なぜ」という質問に対して回答者はまじめに答えています。この回答者は、質問者が「なぜ」と聞いている現象を引き起こしているだれかがそれをしている目的を回答しています。このような会話が進んでいるところを私たちが立ち聞きしているとすれば、この回答で質問者は納得しているように会話は進んでいると感じられますね。