学生運動が盛り上がった一九七〇年代、ボクシング漫画の最終場面で、真っ白く燃え尽きる主人公、明日のジョー(1970-1973 高森朝雄/ ちばてつや)の伝説的画像は現在のインターネットにもよく登場します。日本経済のピークが終わろうとしていました。闘争の果ての死のイメージは終わりの暗示として当時の漫画のシーンによく出ています。
地球侵略軍マゾーンの女性型の指揮官ヌレームは捕虜尋問に引き出されると即時に自爆します(一九七七年 松本零士「宇宙海賊キャプテンハーロック」)。二度目の敗戦といわれた日本経済のその後の凋落を予言するような漫画が当時すでに読まれていた、といえます。
日本は外国からどう思われているか?日本人は毎日コスプレをしている、と思われている、という答えもかなり正解です。
日本人は、毎日、刀を磨いている、とか、毎日寿司を食べている、というのも正解。アメリカ人は、みんな、弱いやつを殴り倒す、という答えが正解であるのと同じくらい、正解でしょう。
どうせそんなものですから、外国にどう見えるかなど、気にする必要はありませんが、日本人論は日本で特に熱心に語られます(拙稿78章「日本人論の理論の理論」)。
日本の社会福祉は世界一、という人もいる。日本人はそう言いませんが。平均寿命を見れば、そうも言えます。
日本はめずらしく大成功した社会主義国である、とも、いう人もいます。これも、多くの日本人はそう思っていませんが。そういえば、最近の記事では、社会民主主義的に成功したはずの北欧諸国が、移民問題で困っているという話も漏れてきます。日本としても無関心ではいられない。社会福祉は正義なのか?民主主義は正義なのか?
教育は正義であるべきなのか?右翼左翼問題が嫌いでよいのか?政治家やマスコミは良い人であれば良いのか?二十世紀は、勝てば官軍とか、弱者擁護とかモラルがあったらしいが、この世紀ではよく分からない、という人も多くなっています。
『星の王子さま』(Le Petit Prince 一九四三年)は、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリの小説です。
人生の職を探している王子は、四番目の星でビジネスマンに会います。La quatrième planète celle du businessman. Cet homme était si occupé qu'il ne leva même pas la tête à l'arrivée du petit prince.ビジネスマンは忙しすぎて、王子が来ても頭を上げられませんでした。アメリカと同じで、日本でもビジネスマンが一番偉いことになっています。それでこそ先進国です。
日本という国民国家は、吉田松陰以来、日常を超えて、戦争を作り、生活を作っていった時代がありましたが、二百年を経て、また日常の中に薄れていくでしょう。それから世界はどうなっていくのでしょうか?戦争は歴史上の記述だけになってしまうのでしょうか?■
松陰門下の伊藤博文と山形有朋はこの道を忠実に進んで、明治維新を達成し、五十年後、ついに日本を世界列強(一九一九年ベルサイユ条約五列強:英仏伊米日)に押し上げました。松陰の夢は、その後も実現に向けてまい進し、昭和の帝国主義日本は、大東亜共栄圏と称する西太平洋全域から朝鮮、満州、東南アジア、シンガポール、ミャンマーに広がる赤く塗られた最大版図を達成し、ヨーロッパとは反対側に、東京を中心とする大球冠を削り取りました。
一転、一九四五年、大日本帝国は崩壊し、連合国軍占領下の復興、非武装独立をはたした戦後日本は、米ソ冷戦下の経済成長に成功し、進取の勢いを示して、再び先進国の仲間入りを実現しました。敗戦でいったんは否定された明治体制ですが、その土台である松陰の国際展開主義は戦後経済の原動力となって復活を果たし、明治以来の政府の業界指導、国民の勤勉、教育制度の充実などと相まって、昭和日本の経済大繁栄を招来しました。
ソ連崩壊後の国際緊張緩和の中、日本社会はまた一転して平和享受にまい進し、安定守勢を非とする松陰の戒めに逆らい、縮小鎖国を是とする江戸期の保守思想に回帰して三十年、少子高齢化に苦しみ経済不振に落ち込んでいます。
赤い靴 はいてた 女の子、異人さんにつれられて 行っちゃった、とうたわれる大正期の童謡 赤い靴(一九二二年 野口雨情 作詞)。青い目の異人さんは、アメリカ人の宣教師、とされています。古今の童謡で人気三位(一位は、赤とんぼ)。大正期の作品ですが、一九七〇年代以降、各地に銅像が作られています。紳士的な欧米人に保護される幼い日本人のイメージが鮮烈です。
筆者が持っているガラクタ骨董品の皿の裏面に、メイドインOJ(made in occupied Japan)の銘があるものがあります。 進駐軍時代、輸出品にはこの刻印が必要でした。第二次世界大戦敗戦後、日本を占領した進駐軍は、巨大な足跡をこの国に残しました。一九五二年、占領体制が解散し、進駐軍が去ってから七十年、原爆、大空襲の記憶は消えていません。しかし不思議なことに、目に見えるものは、かなり早い時期に消えています。
現在の代々木公園の前身、ワシントンハイツは 進駐軍の将校用宿舎でした。進駐軍撤収後は、日米安保条約に基づく無期限使用施設として治外法権を保ちました。ハイツが解体撤収されたのは一九六一年で、東京オリンピックの選手村になりました。オリンピック後、現在の代々木公園となっています。
進駐軍の足跡のうちで、現代にまでこの国に巨大な形で残っているものには、憲法があります。一九四六年二月一三日、進駐軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの承認を経て、「マッカーサー草案」(GHQ草案)が日本政府に提示されました。
(英語原文constitution of japan前文)
we, the japanese people, acting through our duly elected representatives in the national diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim the sovereignty of the people's will and do ordain and establish this constitution, founded upon the universal principle that government is a sacred trust the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people; and we reject and revoke all constitutions, ordinances, laws and rescripts in conflict herewith.
desiring peace for all time and fully conscious of the high ideals controlling human relationship now stirring mankind, we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world. we desire to occupy an honored place in an international society designed and dedicated to the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance, for all time from the earth. we recognize and acknowledge that all peoples have the right to live in peace, free from fear and want.
we hold that no people is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all peoples who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other peoples.
to these high principles and purposes we, the japanese people, pledge our national honor, determined will and full resources.
(外務省仮訳 [一九四六年二月二六日臨時閣議で配布])
我等日本国人民ハ、国民議会ニ於ケル正当ニ選挙セラレタル我等ノ代表者ヲ通シテ行動シ、我等自身及我等ノ子孫ノ為ニ諸国民トノ平和的協力及此ノ国全土ニ及ブ自由ノ祝福ノ成果ヲ確保スヘク決心シ、且政府ノ行為ニ依リ再ヒ戦争ノ恐威ニ訪レラレサルヘク決意シ、茲ニ人民ノ意思ノ主権ヲ宣言シ、国政ハ其ノ権能ハ人民ヨリ承ケ其ノ権力ハ人民ノ代表者ニ依リ行使セラレ而シテ其ノ利益ハ人民ニ依リ享有セラルル神聖ナル信託ナリトノ普遍的原則ノ上ニ立ツ所ノ此ノ憲法ヲ制定確立ス、而シテ我等ハ此ノ憲法ト抵触スル一切ノ憲法、命令、法律及詔勅ヲ排斥及廃止ス
我等ハ永世ニ亘リ平和ヲ希求シ且今ヤ人類ヲ揺リ動カシツツアル人間関係支配ノ高貴ナル理念ヲ満全ニ自覚シテ、我等ノ安全及生存ヲ維持スル為世界ノ平和愛好諸国民ノ正義ト信義トニ信倚センコトニ意ヲ固メタリ、我等ハ平和ノ維持並ニ横暴、奴隷、圧制及無慈悲ヲ永遠ニ地上ヨリ追放スルコトヲ主義方針トスル国際社会内ニ名誉ノ地位ヲ占メンコトヲ欲求ス、我等ハ万国民等シク恐怖ト欠乏ニ虐ケラルル憂ナク平和ノ裏ニ生存スル権利ヲ有スルコトヲ承認シ且之ヲ表白ス
我等ハ如何ナル国民モ単ニ自己ニ対シテノミ責任ヲ有スルニアラスシテ政治道徳ノ法則ハ普遍的ナリト信ス、而シテ斯ノ如キ法則ヲ遵奉スルコトハ自己ノ主権ヲ維持シ他国民トノ主権ニ基ク関係ヲ正義付ケントスル諸国民ノ義務ナリト信ス
我等日本国人民ハ此等ノ尊貴ナル主義及目的ヲ我等ノ国民的名誉、決意及総力ニ懸ケテ誓フモノナリ
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