日本以外の国では、もともとマスクは嫌われていたので、今後数か月でマスク有害論が急復活しマスク装着率は急減するでしょう。マスクはコミュニケーションを阻害し感情を抑圧する野蛮な風習であるとされて、来年ごろのワクチン実現とともに世界中から消えていく運命にあります。
しかし日本では、拙稿で分析した理由で、たぶん完全に定着します。日本はマスク国として有名になりそうです。
もしそうであれば(海外旅行の時以外)私もしているでしょう。
私はなぜマスクをするのか?それは皆さんがしているからです。(二〇二〇年夏至)■
(私はなぜマスクをするのか? end)
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この新型コロナウイルスの世界的感染拡大は、すでに中国で終息し、ヨーロッパでも第一波が過ぎ去り、北アメリカでも第一波は沈静化しつつあります。しばらく前まで恐れられていた南米、インド、アフリカなどの感染後進国の感染爆発も世界経済に致命的打撃とはならないようです。
ワクチンや治療法の普及が追い付くには一年あるいは二年以上かかるかもしれません。しかしそれでほとんどは元に戻る。では。感染対応生活(新しい生活様式new normal life)は消えていくのでしょうか?
パンデミックの恐怖は世代の記憶に刻まれます。半世紀以上それは残るでしょう。目に見えて残るものは、感染症医療システム(法体系、設備、組織、看護教育など)です。
それと、日本では、たぶん、通年のマスク高装着率が残る。これはこの感染者がゼロになってからも数年から十数年以上、維持されるかもしれません。
もともと、十数年前の花粉症増加とSARS上陸の前は、日本でも、夏にマスク姿は異様に見えていました。それが花粉症で急増し、さらに今回のパンデミックでついに全員マスクの国となり、この姿が全世界に輸出された形です。
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人間は身体にかかわる物体を介して現実を認知する(二〇一三年 ランブロス・マラフーリス Lambros Malafouris「物体はいかに心を形作るか?How Things Shape the Mind: A Theory of Material Engagement」)。常時身に着けるマスクというものは自己と世界との関係認知に影響をおよぼさないでしょうか?
マスクをしたお母さんがベビーカーを押して歩いています。全員マスク姿の大人たちを見ながら育つ子供たちはふつうに発達できるのでしょうか?
口が見えないと表情がよく分らない。子供は周りの人の表情を見て感情を認知し他人の心を感知できるようになります。幼児が現実世界を理解できるようになるには人の心を読み取ることが不可欠です(拙稿19章「私はここにいる」)。この機会に、全員マスク現象に関する発達心理学の研究を取り上げる学者が現れてほしいものです。
顔(の半分)を見せない布あるいは不織布。どうしても自分を隠したがっている、という印象がしてしまいます。四六時中つけているとマスクが顔の肉になってしまわないか、心配です。嫁を脅すためにつけた般若の面が肉からとれなくなった姑の伝説(越前吉崎観音の霊験譚)があります。
マスクはラテン語mascaから派生した英語maskが明治期に輸入された外来語ですが、いまや完璧な日本語です。マスキング・テープは塗装の飛沫をカバーするもので、この用法が現代日本語のマスクに近い。外来語の常で原語のmaskには、日本語のマスクよりずっと広い用法があって、たとえばハロウィーンマスクというと骸骨のお面などです。能面もNoh mask。
今次パンデミックで各国のリーダーは「Wear a mask(マスク着用)」と訴えだしましたが、これはふつうのコンテキストでは「猫を被れ」という意味になります。ちなみに昔の日本語では覆面という正確な語がありました。覆面パトカーなどに原義が遺っていますね。
西洋人の持つマスク概念はこの覆面でしょう。覆面パトカーとか覆面強盗とか、猫被りとか、けしからん、ずるい奴、嫌われ者のイメージです。自分がするのは嫌なはずです。米国の大統領は、反科学主義者と批判されながらもマスク着用を拒否しているようですが、保守的な大衆感覚を頑固に遵守する政治家として自己イメージを守っているのでしょう。
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あるいは単に、家こもりが好き、とか。アウトドア派がそれほど多くない、とか。アウトドア生活は実はキャンピングカーなどに金がかかりすぎるからしない、とかいう理論もできます。
逆に欧米など、マスクを嫌うカルチャーのほうが隠された特有の動機を持っているのかもしれません。
街なかに犯罪者やテロリストが多いから顔を隠すと疑われる。とか、言葉もしゃべれない下層の外国人と思われないように正面から人の顔を見て大声でハローとあいさつする習慣にしている、とか。いつでも自我を全面に出すべきだという信念、とか。これが社交好きを助長して大声での立ち話、握手やハグ、あるいは会食やパーティ、集会やデモの頻度を上げているとなると、感染拡大に貢献していると言えるかもしれません。
しかしながら結局どの理論も完全な説得力に欠ける。実は、マスク高装着率と低感染率は偶然、相関が高いだけかもしれません。パンを食べるよりもコメを食べるほうが感染率が低い、という理論はあまり言われませんが、その程度のこじつけかもしれない。マスクと関係なく、もしかすると単に、保健システムが完備しているなどで日本の老人が元気なだけ、という巷間の俗説が一番当たっているのでしょう。
さて、善男善女が必ず身に着けるマスク。
マスク装着率が五割を超えると加速度的に装着率は高まる。市場理論では暴走現象(スタンピード)といいます。スマホもそうして普及しました。いったん普及率が八割を超えると、所有している理由を考える必要がなくなります。自分だけ所有していないと不安。自分だけ身につけられないとなると外にも出られない、社交もできない。理由もなく不安になります。
何のためにつけているかは、どうでもよくなります。とにかくつける。習慣になっているというか、毎朝、顔を洗うのと同じでしょう(拙稿65章 「私はなぜ顔を洗うのか? 自我の存在論補」)。
しかし全員がマスク姿で歩いている都市の風景は、慣れてしまいましたが、あらためて見直してみると、不気味なホラー映画のようでもあります(日本社会をそのまま描けばホラーになる、と芥川賞作家が書いていましたが)。ときどき見る西洋人の家族は子供も大人もしていない。この人たちがおかしな人たちなのか?残りの全員がおかしいのか?
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