さて、社会学的には、このような現実に徹する人間は社会に何パーセントくらいいるのか、あるいは、どういう職業、階層、集団に多いのか、などを問題とすべきでしょう。実は、こういうことは学問的には研究されていないようです。その理由は、まずこの人々の定義がしにくいこと、したがって問題を定式化しにくいことでしょう。だいたい、拙稿本章で興味の対象としているこの、現実に徹する人、という人をどうやって見分ければよいのか? 簡単ではありません。
「あなたは現実に徹する生き方をしていますか?」と質問してもその回答で見分けることは不可能でしょう。たいていの人は、現実が分かっていないと思われるのは嫌ですから、「はい、もちろん現実に徹して生きています」と答えるでしょう。しかし、その人たちの行動は、明らかに現実に徹していません。皆に喜ばれるから試合で頑張る。まじめに質問されると、言わないほうがよいことでもつい気が引けるから本当のことを教えてしまう。というような行動をいつもしています。そういう行動は結果的に得する場合もありうるでしょうが、たいていは得しません。
結局、その人の行動を詳しく長期にわたって観察し分析すれば、その人がどの程度、現実に徹する人かを定量的に評価することは可能でしょうが、大変な調査コストがかかります。それ以外に簡単に識別する方法はなさそうです。
そうであるとすれば、学問的興味で研究するには調査にコストがかかりすぎて無理です。したがって残念ながら、今までもこれからも、当分はこのテーマに関しての社会学的研究はなされそうにありません。実際、現時点ではきちんとした社会学的調査データはないようです。したがって拙稿としても、アカデミックでない世間常識的な方法で憶測するしかありません。
さて、現実に徹する人間は社会に何パーセントくらいいるのか?
まず本章で例示する現実に徹する人は、極端な人物像の例を挙げて描写していますから、これは人口分布の端にしかあたりません。つまり無視できるほど少ない。数パーセント以下という感じでしょう。本当に徹底的に現実だけに徹する人を探せば、ゼロパーセントかもしれない。逆に極端な典型ではないけれど、こういう傾向がある程度強い人ということになると、ぐっと増えて人口の10~20%ともいえることになります。
結局、人間はだれもが、大なり小なり、いくらかは現実に徹する傾向があるのでしょう。その傾向の程度を「徹する」という語で表現しているだけということです。つまりこの質問(現実に徹する人間は社会に何パーセントくらいいるのか?)は実はあまり意味がない、トリビアルな質問です。
さてそれでは、人種、民族との関連はどうか? これも残念ながら、信頼できる調査結果はないようです。ただし理論的にはある程度相関がありそうです。というのは、この現実に徹するという傾向は、文明化、都市化が進むほど強く表れるからです。つまり欧米、日本、あるいは都市化の進んだ国などに多い、と思われます。
次に職業、階層との関連はどうか? 冒頭の例に挙げた遠洋漁船の船長など、独裁的な権力を持つ経営者管理者には現実に徹する人が多いと思われます。現実に徹しないとやっていられない人生を送っているからでしょうね。
具体的には、医者、法律家、官僚、軍隊指揮官などいわゆる知的管理的職業、社会的に重要な専門的行為をする人、多くの人の運命を預かる操作行為をする人、社会の支配層を形成する人、などの中でも有能な人は、現実に徹する人でしょう。いわゆるエリート階層ですね。
その中で有能といわれる人たちは、現実に徹する人、という表現があてはまるでしょう。ラーセン船長なども野蛮な船乗りでもありますが、主人公のインテリ青年ハンフリーと対等な教養知識を備えているように描かれているので、当時二十世紀初頭の欧米におけるエリート階層出身の人なのでしょう。
このように、エリート階層には現実に徹する人の割合が多い、といえそうです。