車輪は天体の運行を表現する、という見方からは、科学の起源、といえます。同時に機械技術の原点ともいえます。現代文明が科学と機械の実用化を基礎としているとみれば、車輪はその物理的な実体、と言えます。
家の洗濯機が故障しました。数年以上、毎日使っていたので回転部分が摩耗したようです。ベアリングの摩耗は回転機械の寿命です。部品を交換するか、全体を買い替えるかしないと、使用を続けられません。劣化の概念は車輪の利用から発生した、と思われます。
電動モーターの概念からは電磁誘電の科学が生まれ、電波通信の発明によって、今日の通信機械が大発展します。電波技術を発展させて、前世紀に発明された光通信技術は今世紀に入って完全に社会インフラになっています。
これらの基盤技術の基本概念は、車輪の回転運動の数学的表現(微積分)を基礎としています。
回転運動の概念は、スピンと波動の概念を生み出し、物理学の基礎を作りました。
車輪は、実用価値が他の道具に比べて飛躍的に高いがゆえに、短期間で世界に普及しました。近代には産業革命を導き、エネルギー変換技術と融合して、さらにその実用価値を高め現代文明必須のインフラを構成しています。
過去の文明になかった現代文明の特徴は、基礎科学の研究と応用が各国の競争と協力によって新産業を生み出し、経済と生活を向上させるという図式が、世界にいきわたっていることです。
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蒸気機関車と蒸気船の出現は、輸送と交通の大革命でした。19世紀の世界は、これらのエンジンの普及によって景色がまったく変わりました。車輪の世界制覇は新しい段階に達しました。
蒸気機関の実用化が普及するとすぐ続いて、石油を使う内燃エンジンが実用化され、自動車が出現しました。試作機の段階まで達したものは一九世紀から出現しましたが、数十年の開発競争の結果、ダイムラーなどが実用の自動車のシステムを確立し大量生産の時代がはじまりました。二〇世紀は、鉄道と自動車が現代文明の基盤を作っていきます。車輪の要素としての鉄道のレールと自動車のゴムタイヤが進化の極限に達したことは、これらの基本形が二一世紀になっても変わらないことからも、見てとれます。
エンジンの普及とほぼ並行して、発電機と電動モーターの実用化が産業と生活に波及し、二十世紀の電化時代が到来します。地下鉄から新幹線に至る電動車輪の全盛期の最後には、今世紀に至り、電気自動車の普及が車輪による世界制覇の最終形態となりそうな勢いです。
人間の活動というものが自身の身体あるいは貨物を移動させることであれば、荷重を移動させる機能は結局、車輪によって行われます。陸上ばかりでなく、船舶による海上の移動、あるいは航空機による空中の移動もまた、プロペラやタービンの回転を使う。肉体の両足では実用にかないません。生物は回転できない。車輪は人類文明の必然であった、と言えます。
車輪は両足歩行と同じように、前方へ進行する機構です。交互に左右の足を出して進行、という機構原理を車輪へのアナロジーと見立てることができます。丸い車輪の上部と下部が百八十度回転によって交代することと、右足が左足の前に来ることとを、位相の交代とみることができます。この機構原理を、現代では、コンピューターのビット記憶素子に使い、計算の進行ステップとして利用しています。
左右両足の交互運動をフリップフロップの回転とみなす見方は車輪の回転として現実化しました。さらに回転という構造概念は、古代の人々の思想の基礎的な要素となり、昼夜、夏至と冬至、天体の回転を観察することにより、歴史の変遷や輪廻の概念を生んだと思われます。
車輪は天体の運行を表現する、という見方からは、科学の起源、といえます。同時に機械技術の原点ともいえます。現代文明が科学と機械の実用化を基礎としているとみれば、車輪はその物理的な実体、と言えます。
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ロバ、牛、馬など輓曳動物の利用も、徐々に普及したと思われます。動物の飼育と馴致には、また専門的な技術集団の維持を必要としますから、需要が大きくないところには発展しません。
馬にひかせる車輪が飛躍的に大きな需要を持つようになる時代が三千三百年前の小アジアに出現します。この地で大勢力となるヒッタイト文明は、鉄の品質の高度化と量産化の技術を開発し、馬にひかせる二輪の戦車、チャリオットの車軸軸受けに適用し、これを高性能兵器として開発しました。
ヒッタイト帝国は、製鉄製鋼技術を国家機密として秘匿しましたが、徐々に漏洩して周辺諸国に伝搬しました。槍や弓矢と同時に、チャリオットの軸受けなど鋼鉄製の機械部品が各地で製造できるようになるまでに百年単位の時間がかかりました。数百年後にはインドや中国にも鋼鉄製武器とチャリオットが出現しています。
当初、高価な兵器であった車輪は、数百年を経て、材料と工程が低コスト化し、荷車など日常的実用品として普及します。ユーラシア大陸の東西端に達した後、日本列島にも上陸したようですが、鉄器時代以前の考古学遺物としては顕著ではありません。
車輪と武具の発展に伴って、鍛治、金属加工の技術が発展、普及すると、次の時代には馬具が発達します。轡、鐙の発明普及と乗馬技術が騎兵戦術を発展させ、戦争の形態を変えていきます。甲冑を装備する重装歩兵の時代に続いて、騎兵の時代が到来します。これらの武器の製造技術は、またユーラシア大陸の東西に波及し、車輪製造は戦略的技術の地位を失っていきます。
車輪の構造概念は、人や貨物の運搬の基盤技術として、世界的に軍事、民事、生活一般を支えていました。運搬のほかに、碾き臼、轆轤、水車、風車、滑車として、生産技術の基盤となり、中世から近代の文明の底流を作っていきます。
一方、構造としては、車軸、軸受け、ベアリング、スポーク、接地材料などは、用途別にそれぞれ完成形に達し、数百年にわたり機能はあまり進化してきません。
重力荷重を支え、回転して前進する機構としての車輪は、発明されると同時に材料と構造に種々の改良がなされ、かなり早く実用に達しました。おそらく初期の文明の黎明期に発明され、実用化されたといえます。その後、急速に、ユーラシア大陸の東西に普及します。
古代初期、つまり文明の黎明期に生まれた重要技術;車輪、鉄製武器、陶器、高温加熱炉、機織り、大規模建築、などは数百年で世界に拡散し、その後、世界各地で各種の改良はなされつつも、飛躍的な進化はなく、中世にわたって同様技術が使用され続けます。これら基礎技術が革新的な進化を遂げるのは、産業革命期以降です。
一七六九年、イングランド北部の町の床屋であったリチャード・アークライトは、水力紡績機を発明して特許を取得。工場を設立し拡大して、事業化に成功しました。
アークライトの発明は時計職人ジョン・ケイと組んで成功したとのことですので、歯車やプーリーを組み合わせたからくり仕掛けを試作していたのでしょう。デウス・エクス・マキナ (deus ex machina)機械仕掛けの神、という存在が信じられる時代背景があった、と思われます。
水力紡績機により衣料の大量生産が可能となった繊維産業は、英国の主力な輸出産業となりました。現代世界中に展開するアパレル産業の原型です。水力を動力源としていましたが、蒸気機関の発明を取り入れると、立地や労働力供給の制約から離れて、大産業化しました。
一七一二年、鉱山技術者トーマス・ニューコメンはピストン・シリンダー式の蒸気機関を開発し炭鉱の揚水機を実用化しました。その後数十年間、炭鉱以外の実用用途には使われていませんでした。一七七五年ころからニューコメンの機関の改良を進めていた機械技師ジェームス・ワットは、一七九〇年ころ、高効率の蒸気機関の開発に成功し実用の蒸気機関を量産化しました。
ワットの蒸気機関は小型軽量で大出力が可能でしたので、炭鉱の揚水ばかりでなく紡績機や機織機の動力に採用され、英国を中心に各国の工場で動力源として応用されました。特に蒸気機関車と蒸気船の発明を引き起こしました。これらの発明の普及による産業の大発展が、のちに産業革命と呼ばれるようになります。
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(102 車輪の世界制覇 begin)
102 車輪の世界制覇
電動キックボードというものが街角の未来風景になっています。渋滞の脇をすっと抜いていく。なんだ、あれは?
あのキックボードというおもちゃは、筆者が子供のころ、つまり七十年前ですが、みんな乗っていました。スケートとか、言っていました。歩道もない悪舗装の道を子供が突っ走ていて、よほど危険でしたね。
車輪がついたものを、子どもや、幼稚な人が、運転すれば危険に見えるものです。
車輪がついた乗り物に、子どもは乗りたがる。三輪車、キックボード。
車輪は、人類文明初期の大発明といえます。六千年前にイラクのあたりで都市を作り始めたシュメール人が使い始めたらしい、とされています。
車輪を発明する前段階があったはずですが、それらしいものの考古学サンプルは発掘されていないようです。四輪車や二輪車の発掘物あるいは描画などの形でしか発掘されないでしょう。コロから車輪に移る前段階は、車軸がない運搬方法が使われたはずですが、それがどのようなものだったかのエビデンスは得られていません。
コロから車輪への進化の中間段階は、ミッシングリンクです。突然、飛躍的に、車輪が発明された、と思うしかありません。
中間段階は、なぜ、発掘品になっていないのか?なぜ、描画やおもちゃとして、残っていないのか?
その制作物は、まず数が僅少であった、と推測できます。それは実用性がなかったからでしょう。
実用性がないから模倣する人も少ない。素材も、たぶん木製や粘土製で崩壊腐敗消滅する。
印象も弱いので、描画も遺跡に残らないでしょう。
考古学的遺物としての車輪のエビデンスは、たぶん上述の理由で、古いものは発見されていませんが、憶測すれば、六千年くらい前から存在していたようです。遺跡や遺物として数千年残るためには、金属製あるいは骨製、石造である必要がありますが、初期の車輪は製作が容易で軽い木製で用を足した時代が長く続いたと考えられます。
木製の車輪は、木工製品としては最も高度な技術を必要とします。高速で回転する機構は、現代でも高精度の工作技術を要するタービンやベアリングですが、同様に木工でも高度な計測、切削、研磨の技術を必要とします。木製の車輪は、木工製品としては最も高度な技術を必要とします。高速で回転する機構は、現代でも高精度の工作技術を要するタービンやベアリングがそうですが、これらの製品は、木工でも同様に、高度な計測、切削、研磨の技術を必要とします。この技術を持った職人は、専門職として、大規模の都市国家に基盤を持つマニュファクチュア組織に組み込まれていたはずです。古代には、シュメール文化など最先端の文明の中にのみ、このような技術は存在したでしょう。
当時、最先端の技術を要求する需要は、宗教上の権威の象徴、あるいは王権の示威をもたらすものだったかもしれません。僅少であるが故の貴重性です。華麗な装飾の類です。それが徐々に貴族層に所有され、街路を練り歩く。祭事の山車、あるいは牛車、あるいは戦場の指揮車。
実物の遺物は残りませんが、描画、文献にその存在の叙述が残るでしょう。
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