個々人に働くお金の力はよく分からない。人により事情により違う。しかしマクロ的なお金の働きは、経済学によりよく分かっています。変動をならす効果のある為替取引や経済政策も作れる。だから通貨システムはある程度の不確定性の範囲内でよく安定しています。その価値に大きな変動はめったになく、ほぼ(物価、為替など変動量として)安定している。それゆえに、貨幣は貨幣として働く。
個人が生活のために毎日お金を必要とする。その事実を基盤としてお金は価値を維持しています。逆に言えば、各個人が生活のためにお金を必要としないとすれば、貨幣は成り立ちません。
社会に、いったんお金が普及してしまうと、その後、お金は使われ続ける。政権が変わったり、他国に支配されたり、極度なインフレになったりすると、貨幣の信用は失われて他国の通貨や、新発行の貨幣に置き換わったりするけれども、短い混乱期が過ぎると、依然としていずれかのお金が使われ続けることには変わりがありません。
このように近代以降の社会では、どんな状況でもお金は使われている。使われ続けている、という事実があります。この事実から考えると、近代以降の社会は、お金がその土台をなしているのではないか、と思われます。つまり現代に至る近代以降の社会は、通貨システムをその基本構成要素として成り立っている、といえるでしょう。
現代では、社会のだれもがお金という共通の価値観を共有している。そのことで社会は成り立っている、といえるようです。
現代、世界中のどの国の人であっても、お金の重要さを知っている。生きていくためにお金は必要であり、さらにたいていの場合お金さえあればなんとか生きていかれる、と思っています。お金の重要性の上に、すべての人の人生が成り立っている。社会全体がその上に成り立っている、と思っています。
現代ここまですべての場面において重要なものとなっているお金というものが、たかだか一万年ほど前の歴史時代に至って突然現れた現象であって、遠い過去の貨幣がない時代の人類にとってはまったく無関係の存在である、というのは無理があるでしょう。
これは結局、もともと人類の身体構造に、お金のありかた、通貨システムというものを支える機構が埋め込まれている、ということなのではないか?そしてそれは貨幣が存在していない時代にももちろんそうであったし、さらには人類発生のときからそうであったはずだ、ということを表しているのではないでしょうか?
もしそうであれば、人類はもともと、遅くとも十数万年前から、現代の通貨システムのようなものに適合する身体機構を持っていた、ということになります。そして現代に至ってその身体機構が顕在化してしまった。あるいは現代社会が、人類のその特徴を顕著に浮き出させるような環境を提供することになった、ということでしょう。