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哲学の科学

science of philosophy

絶滅する人々(7)

2015-11-30 | yy48絶滅する人々

実測データに基づいた最近の経済理論(二〇一三年 トマ・ピケティ〈THOMAS PIKETTY〉「21世紀の資本 LE CAPITAL AU XXIe SIECLE」)によると、平和が続く今世紀には会社勤めの勤労層よりも会社オーナーなど資産家富裕層のほうがたいてい高収入となる、という結果が示されています。長期にわたる市場競争が原因でその結果がでるのか、またなぜそうなるのか、という経済学上の理論はいくつも提案されていますが、いずれにせよ、実測データの結果は経済格差の存在事実を示しているのでしょう。社会には高収入で富裕な少数の人々と低収入のまま一生を終わる多数の人々とがいて、現代人の栄養供給システムは少数の富裕層に多く占有されていることになります。
そうであれば栄養供給システムの中に埋め込まれなければならない人類の繁殖生態、つまり妊娠出産育児は少数の人々の間でしか機能しなくなる。つまりその人たちが特に多子となるような婚姻生態が実質に進行していくことになるでしょう。
勤労による女性の収入よりもはるかに大きい資産収入を持つ男性の家族には婚姻は容易に埋め込まれます。現にアラブの大富豪などはそんなようですね。ヨーロッパ先進国では非嫡出子の法的差別撤廃が進んでいますが、これにより資産収入の大きい富裕層の周辺にばかり出生数上昇が起こる可能性が批判的に論じられています。
歴史には王侯貴族の後宮など一夫多妻の現象は近代にいたってようやく消滅したとされていますが、社会から見えにくい母子家庭の形で復活するのではないか、という予想です。モラルの低下を嘆く議論が多い中で動物の性淘汰にもどることであるから自然への復帰である、との論調もあります。
性淘汰を制限してきた婚姻モラルと制度が弱まれば、男性は複数の女性に子を産ませることができるし実際そうなるだろう、という予想です。男性はクジャクの羽のように美的外観によって選好されるのか、住処や生活物資を提供するような経済的寄与によるのか、保護防衛力によって選ばれるのか、人間の場合はどうなのでしょうか?
金色夜叉などに描かれる現代人の価値観からすれば、どうも経済力がある高収入の男性が子を得やすいようです。








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絶滅する人々(6)

2015-11-25 | yy48絶滅する人々

婚姻生態が食糧・生活必要物資の獲得過程に埋め込まれた人類の繁殖生態であるとするならば、高度産業化時代における婚姻は、その時代の生産形態、つまり現代であれば、国家、企業および市場に埋め込まれているはずであろう、という推測がなりたちます。
今日、先進国の多くの人々は、勤務労働、つまり会社に参加することによって食糧・生活必要物資を獲得しています。このことから、現代の婚姻生態は、それが持続可能であるためには、会社への参加、就職とその後の勤務の継続という過程に埋め込まれていることになるはずです。

人類の繁殖過程が生産単位としての家庭に婚姻を通じて埋め込まれていた過去のシステムを、現代の生産形態に当てはめてみましょう。
妊娠出産は会社勤務に埋め込まれなければなりません。成人した若い人々は生産拠点である会社、政府など大規模な組織機構に組み込まれる。その必要から高学歴化が起こる。そうであれば会社への参加によって妊娠出産育児が可能となる必要が出てきます。かつて家族内で行われていた妊娠出産育児が会社などの内部で行われるシステムに変容したのであるならば、それが現代の婚姻システムとなって持続可能なものとなるはずでしょう。
しかし実情はまったく違うようです。むしろ女性の場合は、勤務時間の拘束のため、会社への参加によって妊娠出産育児が不可能になります。男性の場合は、競争の結果、収入の格差が大きくなるため、高収入の人は子女を多く育てることができるが、低収入の人は無子あるいは少子となります。
現代先進国における婚姻は、高収入の男性にだけ専業主婦を妻とすることで妊娠出産育児を容易にするシステムになってしまうようです。

市場競争にもとづく収入格差が、婚姻をうまく生産拠点に埋め込むことを妨げていることが現代先進国の特徴といえそうです。このことは、本当に、少子化の原因なのか?あるいは人口減の原因なのか?事実を知るためには実測データによる検証が不可欠です。








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絶滅する人々(5)

2015-11-14 | yy48絶滅する人々

女性に限らず男性も含めて、成人したばかりの若い人々が社会的経済的に安定できる位置を獲得しようとすることは、原始時代以来いつの時代でも同じだったでしょう。栄養供給システムの中心である集団に帰属し、その集団と運動を共鳴させる。それは人類の身体に埋め込まれた社会性であり、それによって原始人類は地球上ほとんどの地域で生存繁殖し、大発展を遂げてきました。それを結果的に、経済学的観点からみれば、生産活動の拠点への参加です。
狩猟採集時代は、それが狩猟の単位である大家族・への参加であり、農耕牧畜の時代は農村・都市国家への参加であり、それらの参加は婚姻を介して集団の単位である家族へ組み込まれることでした。生産拠点における生産の単位である家族とそれに埋め込まれた婚姻の内部で妊娠出産育児が行われ人口を維持する仕組みが働いていました。
それぞれの時代の生産活動が異なることから生産の拠点の形態も大きく異なっています
狩猟採集の時代であれば狩猟と採集の集団。農耕牧畜の時代であれば、農作業や道具製作の集団、武力活動の場合は軍隊。また百年前の近代先進国社会では、産業生産の拠点、すなわち企業、政府、学校、軍隊など組織機構への就職でしょう。
いずれの場合も、これら生産拠点は家庭を包含しそれを基礎単位として存立していました。その家庭には婚姻が埋め込まれ、婚姻の内部で妊娠出産育児のサイクルが稼働できるような、完結した生存繁殖システムとなっていました。

婚姻が埋め込まれている家族の機能は、社会の生産形態の変化に応じて変わってきました。狩猟採集の時代は、家族を包含する大家族集団が生産つまり食料獲得の基本単位でした。家族が集団で家の外に出ていき、食料を採取して家へ持ち帰る。食料は大家族の間で必要に応じて分配されたでしょう。この栄養供給システムにおいて最適な身体を保有する人類が発展し増殖して、今日の現生人類の祖先となったはずです。
農耕牧畜の時代にも家族は生産の基本単位であったでしょう。やはり家族は集団で生産し、交換で入手したものも含めて、食料は家族内で分配されました。
ところが前世紀ころまでに、先進国では、大多数の人々が都市労働者となって産業市場に参加する高度産業化時代となります。賃金あるいは貨幣を介して食料等必要物資を獲得する生活では、家族は消費の単位ではあっても生産の単位ではなくなります。
家族の生産によって供給されていた生活必要物資は、産業化にともなって、会社と市場を介して流れるように変化します。生産拠点のこの変化と婚姻の条件変化が関係しているのではないでしょうか?








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絶滅する人々(4)

2015-11-07 | yy48絶滅する人々

そうならない場合があり得るとすれば、婚姻生態は人間の身体に埋め込まれてはいないのでしょうか?有史以来、人類は営々として結婚し続け、家族を再生産し、その結果今日の人口に達しました。人類学によれば、人類の婚姻形態は、単婚、一夫多妻、一妻多夫など多様性が認められますが、長期にわたる婚姻の内側で妊娠出産育児が行われる繁殖生態は、人類普遍的とされています。
そうであれば、婚姻が人類共通の繁殖生態であることになり、その生態は人類共通であるその身体機構にもとづいていることになります。少なくとも婚姻を構成する多くの行動因子が人間の身体に埋め込まれているに違いありません。しかしそうであるとすれば、最近の先進国にみられる少子化現象は、婚姻生態を構成する何らかの因子が欠損する現象である疑いがでてきます。
その欠損因子は文化、あるいは社会機構に起因するものである、という議論がマスコミあるいはアカデミズムに広く行われています。もし文化が婚姻構成因子の欠損に関わるものであるとすれば、かつては身体反射からなる行動因子によって構成されていた婚姻生態に、ある時代から、文化あるいは社会機構に起因する行動因子が決定的役割を果たすものとして入り込んだことによる、といえるでしょう。
たとえば文化が人間の婚姻可能条件を決定するようになってくれば、文化的社会的な条件不備による婚姻不可能、つまり未婚、晩婚現象を招来することになります。未婚、晩婚現象がつい最近の先進国に限って起きていることから推論すれば、この条件不備は、狩猟採集文化では存在せず農耕牧畜文化においても存在せず近代産業化の初期にもなかったにもかかわらず現代のたかだか百年足らずの間に欧米、日本、韓国など高度産業化諸国において急速に顕在化した現象である、といえます。

ではここで、最近百年の高度産業化にともなって文化的社会的な婚姻可能条件の何かが致命的に欠損するようになった、という仮説を立ててみましょう。
まずマスコミあるいはインターネットなどに表れている多くの議論では、未婚化晩婚化の原因は、女性の就職が容易になったことで、未婚女性が経済的に自立して快適な生活を維持することが可能となったことである、とされます。
また高学歴を獲得した女性たちは、組織内出世競争に参加し高収入と社会的地位を得る希望を持つので、独身生活を中断して結婚する場合は、人生の交換に値する高収入高ブランドの男性を要求するから、となっています。つまり現代社会においては女性を婚姻に誘導する文化的社会的因子が委縮してしまった、とされます。わかりやすい理論です。
現代的問題を経済から説明している点で冷静な優れた理論といえます。しかし拙稿の関心は、それら理論の裏にある原始時代から人類の身体機構に埋め込まれた行動因子です。








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