哲学の科学

science of philosophy

チンギス・カンの子孫(4)

2024-07-29 | その他


征服地の王族を抹殺し、貴族と豪族の女子を妻妾として王子にめとらせることで新しい宮廷(オルド)を形成し、そのもとに多くの千人軍団を組織し新しいウルスとする。こうして王子たちのY染色体DNA型は新しい支配地に拡散していきます。
チンギス・カン一族による世界制覇の特徴は、子孫を増殖するシステムを、超遠隔地にまで急速に拡大できる能力です。強力な騎馬軍団の常勝実績と移動速度が他朝の王国システムに卓越していたことが挙げられます。
戦闘軍団の形成と維持の能力、支配地、隷属民の取得と維持の能力、が他の政治勢力に比べて抜群の実績を持っています。これが王族としての増殖力、つまり一族のY染色体DNA型の急速な拡散を実現した、と推測できます。
ウルスの中心にあった宮殿(オルド)における妻妾集団の経済的自立がありました。皇后を中心とする側室、女官、数十人からなる閉鎖されたこの女性集団は、王族の増殖システムであるばかりでなく、従僕や宦官を介して外部の外国商人との商業取引を業務としていました。
オルドの内部統制から発展して、警護体制、下僕奴婢の管理、隷属民の牧畜生産の支配、外国商人を介する物流・貿易の保護と活用を通じて、ウルス経済の重要なハブとなっていました。
軍の遠征により獲得される戦利品、金銀財宝、奴隷、家畜群、物品の需要、供給、流通の活発化が、戦争経済の急速な拡大とそれに並存するユーラシア横断商圏の活性化に寄与していた、という理論が可能です。

Y染色体DNA型の急速な拡散が実現するためには、一夫多妻制の王族を持つ大帝国の存在が必要です。同時に遠隔地に展開する支配者一族の安定的な増殖と権力維持を可能とする支配体制が必要です。最後に王権の男系相続のルールが徹底されなければなりません。
大英帝国などにはなく、モンゴル帝国だけが装備するこれらの構造を、意図し、設計して創造した何者かがいたのでしょうか?チンギス・カンがその設計者なのでしょうか?
モンゴル帝国の構造は、たしかにチンギス・カンが命令し指揮して構築されたものが基盤となっています。しかし彼の完全な独創とはいえません。戦争技術、婚姻制度など、多くのシステムはモンゴルその他の大陸遊牧民族の伝統的習俗から引き継がれています。
チンギス・カンの独創は、世界にたぐいまれな常勝実績を持つ侵略軍をつくりあげたことでしょう。大陸遊牧民が伝統的に持つ騎兵戦闘力を再編成して厳しい軍紀のもとに明快な指揮命令系統を備えた大軍団を創設しました。
これを支える家族軍団による機動的兵站、外国貿易商人による財務流通交通のインフラ。武器、馬具、馬車、天幕などの技術改良を進め、効率的機動的な戦争体制を築き上げました。これらの創意工夫、技術、開発、組織機構の発展が、地球上の他の民族、王国、国家連合など当時の軍事システムのどれよりも抜群に優れていたから、大帝国が実現した、といえます。








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チンギス・カンの子孫(3)

2024-07-19 | その他


軍は左右両翼と中央軍に分ける。進軍方向の左右です。モンゴルから見て右翼軍五万人くらいは西に進軍させる。左翼軍五万人は東に進軍。実際の戦闘は最大でも二、三万人くらいで戦う。左右の各一翼は一万人なのでその将軍を万人長(トゥメン)と呼びます。
進軍は家族家畜帯同で進み、万人長軍の支配領域(ウルス)は牧草地を中心に山地砂漠湖水被征服民居住地など広大な土地を含み、人口は数万人から数十万と推定されます。
万人長は原則、皇族つまりチンギス・カンの血族と姻族しかなれません。チンギス・カン直系の男子、兄弟、孫、女婿、女婿の兄弟、子息、などです。
万人長は十人の直属部下を持ち、それを千人長(ミンガン)とよび、多くは万人長の親族と姻族です。彼らがモンゴル最上級の世襲貴族階級(ノヤン)を形成します。千人長は帝国全体で百人くらい任命されていて、お互いに兄弟姉妹、血族姻族のネットワークでつながっています。
千人長の下には十人の百人長(ジャウン)が所属していてこれも親戚姻戚血縁ネットワークで結ばれています。百人長は十人の十人長を持ちます。十人長が小隊長ですね。千人長は宿営地の中心に大きなゲルを建てて居住し、部下とその家族は周辺に各戸のゲルを作って放牧村落として生活します。
このモンゴルシステムに随伴して、一夫多妻制により、権力と富を集中できる王族と貴族は多くの子孫を次世代に送ることになります。征服領域が拡大すれば千人長の村落は増加し、その男子の子孫を通じて王侯貴族のY染色体DNA型が大域に頒布されることは理解できます。

たとえば、カスピ海からウクライナ、ロシアにいたる西北アジア一帯(ジョチウルス、昔の教科書の国名ではキプチャク汗国)を支配したジョチ(チンギス・カンの長男)は一四人の息子を産み、それぞれ王族として支配地と軍団をあたえています。ジョチのひ孫のモンケ・テムルは十人の王子(ウズベク王朝の祖など)を持ち、個々にウズベク地方に軍団を展開させています。








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チンギス・カンの子孫(2)

2024-07-13 | その他


チンギス・カンの一族は一三世紀、ユーラシア全域にわたるモンゴル帝国を構築し、歴史上、一九世紀の大英帝国にならぶ巨大帝国を成立させました。
この帝国は、卓越した軍事技術と世界規模の貿易・商業、虐殺の恐怖風評、などを活用して世界の半分を征服しました。結果、人類の歴史上、大規模侵略の組織化と国際貿易の経済性の飛躍的発展により、全地球が一体化された時代を作り出した、といえます。
帝国の基盤は、世界で卓越した戦闘力を持つ騎馬軍団とその統率力です。戦闘力はモンゴル諸族の統一戦争と世界制覇の過程で洗練された合板短弓の武装と騎馬戦術、家族家畜帯同の集団的兵站と高速移動能力、で実現されました。
統率力は、モンゴルの伝統である一夫多妻、兄弟姉妹の姻族ネットワーク、皇后支配の妻妾集団による王国経営、皇族、将軍、兵士にいたる封建階級体制が、騎馬伝令(ジャムチ)による遠距離統制を実現し、世界貿易による商業収益を下敷きに完成していました。
モンゴル帝国の統帥体制は、基本的に伝統的封建体制であり、概括すれば日本や西洋の封建体制に似た血縁地縁を下地とする階級制忠誠契約制の人間関係によって維持されていました。
軍が社会と一体となり帝国を支配する。最盛期で軍人の総数は数十万人程度の世界帝国としては少数精鋭の組織でした。







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チンギス・カンの子孫(1)

2024-07-06 | その他


(98  チンギス・カンの子孫  begin)




     98  チンギス・カンの子孫


ジンギスカン料理とかバイキング料理とか、山賊や海賊の野蛮な料理ということで人気があります。割り勘負けするので筆者はふつう避けます。
歴史上のチンギス・カンといえば、人類史上最も多くの子孫を持つ男性として大いに人気があります。DNA考古学のポピュラーなテーマです。

前世紀末から日進月歩の分子生物学ですが、DNAをPCRで増幅し解析する技術が確立してから考古学にも応用され、目覚ましい発見が続いています。ジャーナリズムなど一般の興味を引き付けたテーマの一つは、先史や歴史上の事件の解析にも応用され、歴史上の諸民族の興廃と子孫の地理的拡散を、ミトコンドリアのDNA型とY染色体のDNA型で調査した研究成果です。
Y染色体は父系遺伝しますから祖父の祖父をたどって系譜を作りやすい。DNA型を地図上にマッピングすれば祖先の始まった土地が分かります。
最近のアジア人Y染色体DNA型調査(二〇一三年 Mark Jobling Edward Hollox Toomas Kivisild Chris Tyler-Smith「Human Evolutionary Genetics」)によれば、約千年前の過去、東アジアから急速に拡散したY染色体が発見されました。時期と地理上分布から推測するとその中心はチンギス・カンの足跡とみなしてよい、とされました(二〇一五年 Patricia Balaresque, Nicolas Poulet, Sylvain Cussat-Blanc, Patrice Gerard, Lluis Quintana-Murci, Evelyne Heyer & Mark A Jobling 「 Y-chromosome descent clusters and male differential reprodutive success: young lineage expansions dominate Asian pastoral nomadic populations」)。

チンギス・カンのY染色体DNAはそれを注入された子息たちを通じて子孫に頒布されました。モンゴル軍の拡張に沿ってユーラシア全域に拡散したと推測されています。
チンギス・カン一族は諸国の王家を抹殺し、新たな王朝を作り、自分が生ませた男子を王位につけ、また旧王家の子女を妻妾として子を産ませ、女子は政略結婚を通じて諸国の支配層の姻族とさせました。その結果、一家のY染色体DNAは満州、中国、チベット、中東、ウクライナ、バルカン、ロシアの王族貴族に頒布されています(二〇一八年 太田博樹「遺伝人類学入門——チンギス・ハンのDNAは何を語るか」)。
このDNA型を持つ男性は、一説では、世界中で一六〇〇万人いると推定されています。






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