哲学の科学

science of philosophy

子供にはなぜ人生がないのか(9)

2020-08-29 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


逆にそうでない場合、その人生は、残念、少し間違っている、あるいは何かむなしい、という感じが残ります。
ふつう自覚はしていない。しかし、たとえば、子供が死ぬ。これは悲しい。不条理を感じる。あってはならない、とだれでも感じるでしょう。
人生は多様ではあるが、やはりスタンダードがあって、それからの偏差はあまり大きくない、という必要条件があるようです。人生のそのスタンダードを期待することで、生命保険はなりたつ。生命保険ばかりではなく、市場予測も、労働市場も、会社経営も、教育システムも、医療システムも、政府も、およそ世の中の制度やシステムはほとんどこの人生のスタンダードを土台として組み立てられています。

子供は、ある一定の時間経過にしたがって大人になることが期待されている。大人になって社会のシステムを支えることが期待されている。子を産み育てることが期待されている。つまり子供は、ある一定の時間経過にしたがって、個々の人生を持つことがゴールとして求められている存在である、といえます。
人生のスタンダードにそって、大人は過去を持ち未来を持つ。国はその歴史を持ち次の時代にも存続することが期待されている。会社は信頼され来期も利益を分配することが期待されている。社会は時代を乗り越えて次の世代にも平和を引き継ぐことが期待されている。
人生は過去と未来から成り立っています。過去があるから未来がある。しかし未来があるからこそ過去に意味がある。個々の人生はその未来のためにある。つまり未来が人生にとってすべて、といえます。
ほかにこれほど、未来に依存している概念はないでしょう。人生を組み上げて作られる家族も、会社も、経済も、歴史も、どれも未来への期待に依存している。すべて未来の幸福、未来にある理想、未来から来る子供、に依存して存在しています。







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子供にはなぜ人生がないのか(8)

2020-08-22 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


社会と人生とのこのダイナミックスの働きは毎日の生活で直接みられることはなく、卒業、就職、結婚、引退、葬式など個人の身分の切り替わりの時に現れます。
個人の立場から見ると、入学、卒業、結婚、出産、離婚、就職、転職、退職などは自分の人生経過を認知させます。数年おきに家族内で起こる冠婚葬祭は、家族の成員が変わる、役割が変わることで場面が切り替わり、長期的な時間経過に沿った人生という物語の進行を感じ取れます(一九四九年 小津安二郎監督「晩春」など)。
個々の人生の過程はバラエティに富みながらもスタンダードに沿って進むものと期待されています。そして大家族、集団、集落、コミュニティとしての大きな観点からは、おおかた一定の速度で世代交代していくものと期待されています。
人間の集合としての外観は変わらない。しかし個々の要素部品は交換されていく。新幹線など人工の設備もそうですが、人体など細胞組織もそうです。私たちの目に見えるものは、実はそのような構造体が多い。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。(一二一二年 鴨長明「方丈記」)。
無数の個々人は生まれ老いて消えていく。構造体としての社会は存続する。それを構成する人生のスタンダードなプロセスは、慨すれば、どれも同じ。時代は変わっても変わらない。
それが大事。逆に言えば、人生はそうでなくてはならない。いつの間にか生まれ、社会と交わり、ついには老いて消えていく。このようなスタンダードに沿っていなくてはならない、と私たちはだれもが実はそう思っています。







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子供にはなぜ人生がないのか(7)

2020-08-15 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


伝統がまだ生きている欧米の大学の卒業式では、今日でも「陽気な青春の後、苦難の老年の後、土が我等を覆うのみ」と歌う学生歌が斉唱されています。
Gaudeamus igitur.Iuvenes dum sumus.Post iucundam iuventutem.Post molestam senectutem. Nos habebit humus.(ガウデアムス 一七世紀頃に発するラテン語学生歌)
日本で人生の無常が語られるのは葬式での説教くらいでしょう。しかも誰も聞いていません。祇園精舎の鐘の音はどこにも聞こえません。これでは、吸い上げシステムはうまく働きませんね。

人生。英語ではライフ、生命の意味もある。多くの言語でも生命と人生は同語です。生命保険など、人生の保障です。生命がなければ人生はない。しかし人生がなくても生命はあります。
生物はみな生命がある。虫にもあります。では、虫は生命保険に加入すべきなのか?
人間は、社会の一員となり経済システムに組み込まれて収入を得る。税金を払う。あるいは資産を持つ、あるいは生命保険に加入する。虫はそうしないので人生がありません。生命はあるが、人生はない。これは、ライフはあるがヒューマンライフはない、と英訳できます。
人生は社会からの吸い上げシステムで稼働し、マクロには社会を稼働させています。人類以外の動植物はこのような生き方はしていません。人生を持つ人類特有の生き方でしょう。







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子供にはなぜ人生がないのか(6)

2020-08-08 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


吸い上げストローが大人の人口を高齢化の方向へ吸い上げていくので一番下には真空のギャップができる。ギャップはたくさんの真空の穴、というかスロットからなっているので、そこへ新人は吸い付けられる、という図式が描けます。
「お前、大きな身体になったな。槍をもって一緒に来い」とか、「もう、髪を結えるね」とか、年長者の側からのリクルートがあるでしょう。そのとき子供は大人になります。
集団の真空スロットを埋めるこの吸い上げストローがうまく働いていると、子供は順調に大人になれます。現代では新卒一括採用制度、学校の先生や先輩、親類の年長者、友人知人などの見る目の変化、などに加えてSNSや懇親会、パーティなどでの空気の圧力。これら、いわゆる就活や婚活の場面が、押し上げ、吸い上げシステムの役を果たしているようですね。
これらの社会システムは、しかしながら、現代日本においては、いずれも劣化しつつあるかもしれない。人口の高齢化少子化はシステムの劣化警報信号でしょう。

実際、現代の卒業式、入社式など式典や若者同士の宴会などでは、かつてよく語られていた人生の教訓が語られることがなくなっているらしい。特に日本では人生の短さを語ることは控えなければいけないかのようです。
いのち短し恋せよ乙女 あかき唇褪せぬ間に 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを(一九一五年 吉井勇「ゴンドラの唄」)の感傷は過去のものとなりつつあります。
今日のテレビやSNSを見れば、世代交代や引退の話題は避けられ、代わりに永遠の青春が謳歌されているようです。






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子供にはなぜ人生がないのか(5)

2020-08-01 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


子供は自分の身体の成長を見て周りの大人と比較します。世の中には幼児、青年から老人まで各世代が混在して生活しています。子供はそれを見ながら成長します。老人は間もなく消えていく。葬式を見れば分かります。そうして人生の流れを知る。間断ない世代交代の流れを身体で感じ取ります。

大家族が発展した大きな人間社会、村落、職業組織なども、いわば、ところてん式システムになっています。学校がそうであり、会社もそうですね。このようなシステムでは、新しいものが入ってくると古いものが押し出されて消えていく。あるいは別の言い方をすれば、古いものが消えてしまうから新しいものが入らざるを得ない。
子供が大人になるのは、この社会的ところてん式(push out)ないしストロー吸い上げ式(pull in)のシステムによる、といえるでしょう。

洛陽城東桃李花飛來飛去落誰家洛陽女兒惜顏色行逢落花長歎息今年花落顏色改明年花開復誰在已見松柏摧爲薪更聞桑田變成海古人無復洛城東今人還對落花風年年歳歳花相似歳歳年年人不同寄言全盛紅顏子應憐半死白頭翁此翁白頭眞可憐伊昔紅顏美少年公子王孫芳樹下清歌妙舞落花前光祿池臺開錦繍將軍樓閣畫神仙一朝臥病無人識三春行樂在誰邊宛轉蛾眉能幾時須臾鶴髮亂如絲但看古來歌舞地惟有黄昏鳥雀悲(六七五年頃 劉希夷「代悲白頭翁」)。

常備軍は常に新兵を補充しなければなりません。それをしないと軍隊が高齢化し経年劣化してしまうからです。生物体の新陳代謝と同じです。会社は新入社員を募集する。大家族は新生児を求めます。そのために嫁入り(あるいは婿入り)を奨励する。
各地域の結婚式場や教会に親族や職場の仲間が集まって盛大に結婚式が行われるのは、もちろん両性の合意によるところでありますが、ところてん押し出し(push out)やストロー吸い上げ(pull in)による社会システムの圧力を儀式化する必要が背景にあるからでしょう。

思春期の子供は自身も大人になりたいと思っているでしょうが、直接の行動を促すきっかけとしては、大人の社会がそれを要求しているからという圧力が大きく働いています。思春期の子供は大人社会によるストロー吸い上げ式の吸引力によって子供状態から離脱していく、という社会力学が描けそうです。






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