モブは眠っているのか?沸騰直前の熱湯なのか?ふつふつとたぎっているようにも見える。そういう観察の意見は多い。怖い状況なのでしょうか?
いつまでもモブが眠っているはずがない。ボスたちはいつもそれを恐れています。口には出しませんが。つまり、ボスたちは、モブの行動が自律的であるはずがない、と思っています。突然、恐怖感情が燃え上がって群棲動物のように暴走する。自律的な個人とは対極の人間像です。
そういえばマインクラフトの草食動物たちは、仲間が襲われても暴走して逃げませんね。リアリティが足りない。
少子化も平成不況もマクロの結果から後付のモデルは作れても、現場でリアルタイムな、ミクロな個人行動の予測モデルは無理です。ミクロな個人個人は意外と奇矯な、ときには奇怪な、行動を取ります。しかし集団に所属する場合、ほとんどの人は、典型的な、保守的な、つまらない行動を取ります。同調意識、社会的圧力その他、複雑なフィードバックによって影響しあっているようです。
個人行動はフィードバックによっては共振し発散する複雑系であるので、世間話やテレビバラエティやインターネット口コミの微小なゆらぎが突然発散したりすぐ収束したりして情勢を作り出す場合が多々あります。
カタストロフィックな現象は理論予測が困難です。ビッグデータから人工知能に学習させれば、いずれは、暴発的なモブの行動も予測できる、という未来予測もあります。ある程度はそうでしょう。しかしそうできたとしてもディープラーニングなど現代の人工知能の結論は、勘の良い相場師の予想のようであって、理論が分かりません。
モブはなぜ、あるシステムには安住して、その可動範囲内でルール通り競争するゲームに毎日夢中になっていられるのか?その中心に統一パワーを持つボスとそれが座るシステム、たとえば君主制、貴族制、民主制などの政権があって、それが外国からの侵略やモブ同士の暴力、恐喝、強盗などから個々のモブの生命と家族と財産を守ってくれるならば、モブはシステムに安住して真面目に生活するでしょう(一六五一年 トマス・ホッブズ「リヴァイアサン」)。
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消費増税によって自律的個人の行動はどう影響されるか?モデル化して人工知能で予測してみてもなかなか当たりません。たしかに大正の米騒動を起こしたモブと現代の消費者行動は違う。それでも受け継がれている深層の傾向はある。それは自律的な個人ではなく、家族や帰属集団や社会の構造に大きく影響されている。その具体的なダイナミクスは実は現代社会学でも解明できていない。したがって実用的な予測理論は作れていません。
自律的な個人を理論化するよりもビッグデータから人工知能で趨勢を算出するほうが当たります。理論から方程式を作るよりも、経験豊かな達人が直接の現実を体感して直感で結論を出すほうがよく当たる。これを人工知能で高精度化するにはビッグデータを収集する(世論調査やグーグルやアマゾンのような)システムと超高性能のコンピュータが必要ですが、今日では、すでに少しずつ実現されつつあります。
逆にコンピュータの出力として、現実に得られるようなビッグデータのソースを出せれば、現実そのものをモデル化したゲームが作れるわけですが、それは現在技術では無理です。ビッグデータによる社会動向の結果は現実そのものをよく集約してはいますが、理論化できない、モデルが作れない、したがって生成できないからです。
現実の社会とは、どういうものなのか?モブはなぜ、安定しておとなしくGDPを作り出してくれるのか?なぜ政権党に投票してくれるのか?マスコミが大事件や紛争や不祥事を日々報じているのにインターネットが盛り上がるだけで、株価や不動産はなぜ暴落しないのか?
モブはなぜ突然、大規模デモや米騒動を起こすのか?そしてそれらはなぜ、たいてい沈静化してしまうのか?なぜじわじわ少子化するのか?なぜ貧困層が固定される傾向を甘受するのか?なぜ平成不況からは脱出できないのか?モブの行動は謎ばかりです。
テレビや新聞はいつも、不平不満を煽る。著名人の中には、しばしば不穏な発言を好んでする人が少なくありません。インターネットの世界では政府の腐敗、大企業や公共機関の虚偽や陰謀が糾弾されています。眼の前には不安ばかりあるかのようです。モブは毎日、このようなマスコミ、口コミにさらされています。
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実際、このモラルで、現代先進国のシステムは、表面的には、支えられていきます。この理想モラルを持って社会が動いて行けば、理想的な資本主義システムができるはずです(一九〇五年 マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)。
自律的な個人は安易に極端主義の政治や宗教に染まらない。極左、極右その他の反社会的団体や単独テロに走りません。健全なモラルを持ち自尊心を持つ健全な理想の市民像です。
そうであれば、与えられたルールのもとで自己利益最大を目的として動いていく自律的個人、という擬制モデルが使えます。この擬制モデルを使えば近代経済学のマクロ理論が成り立ちます。また比較的に単純な定式化ができるので、人工知能で、コンピュータゲームの中に、自律的に動くモブを作れます。
理想はそうです。現実においては、しかしながら、自律的な個人という人間モデルは生得的ではなく近代の歴史的産物です。
快楽と苦痛を感知し物事を思考する自己という個人(一六九〇年 ジョン・ロック「人間理解に関する随想」)から展開する人間像です。
近代以降、このような個人像は内面化され、現代ではたしかにグローバルに敷衍していますが、歴史の試行錯誤を経て進化したものです。どこまで普遍性があり、現実の社会で安定しているのか、理論化はむずかしい。
経済学や社会学などで定式化されている理論だけでモブをモデル化すると、形式的な現象は似ているが、条件が変化すると現実と大きくずれてしまいます。特に経済状況により個人の自律可能性は違ってきます。マクロ的に見ても、好景気と長期不況とでは、個人の自律モデルも実は相当違ってくるのではないでしょうか?
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羊飼いはいらないのではないか?つまり、うまくシステムを設計すればボスは不要なのではないでしょうか?
しかしそのようなシステムをモブは感情的に信頼しないのではないか?システムに責任を持ってくれる顔のあるボスが必要でしょう。
システムには、もちろん、大統領とか主席とかボスの顔が必要ですが、それは羊飼いである必要はない。人工知能のプペットを演じるだけで給料をもらいたい人を選んでおけばよい。ただしそれがうまく働くためには、代理人であることを知られてはなりません。
そうできるのであれば、システムは人工知能とその代理人である傀儡代表で構成できます。しかしモブの方は?
モブこそ、それぞれ自律の人工知能で単純に作れるように見えます。しかしそれではだめです。現実を正しくシミュレートできません。
まず個々の人間は、ミクロ的に見れば、ゲームのモブのように自律の人工知能で代替できるような動きはしていません。ゲームのモブは自律的な個人をモデルとしていますが、これで現実は作れません。自律的な個人という理想像は、社会の規律を維持するために効率的であるから定着した近代社会のモラルから来ています。
個人は自律的であるべきである。自己決定、自己責任、自己利益追求のモラルを持つべきである。パワーに裏打ちされたこのモラルのおかげで集団内の協力は効率化されています。毎日がそこそこ楽しく生活できていけます。
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