哲学の科学

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日本人論の理論の理論(6)

2021-06-26 | yy78日本人論の理論の理論


明治期に日本がはじめて西洋化に成功した孤独な非西洋国であることと、日本における国民的自意識および日本人論の発展とは何か深い関連があるのではないでしょうか?
日本人はなぜ非西洋世界で初めて、突然、西洋化し近代化したのか?そしてなぜ西洋列強と競合してアジアで帝国主義的拡大を始めたのか?帝国主義が挫折した後、なぜ今でも他のアジアやアフリカ諸国よりも西洋に近い生活水準や科学技術を維持しているのか?これは現代の日本人論の大きなテーマとなっています。

西洋人の観察者も、日本人と他のアジア人の違いに注目した著述を残しています。日本には西洋と似た騎士道があり武人階級が権力を持つが中国では官僚階級が権威を持って支配している。中国人は西洋人のように椅子に座るが日本人は中東人のように床に座る。日本人は中国人のように箸でコメを食べるが、肉は食べない(一五八七年 Kapitza「Japan I」など)。 
たしかに日本人は西洋人とは全く違う人々であるようだが身体が似ている中国人とも違う、ほかのアジア人とも違う。その違いの中に、近代化が一番早くできた理由が見つけられるのでしょうか? 
江戸時代に芽生えた日本人の国家意識は儒教、仏教などの中国文化からの独立を目指した国文学の創設からはじまります。江戸幕府の官学である儒学を批判し日本語文学など日本固有の文化の尊重を唱えたのは本居宣長(一七三〇年―一八〇一年)です。
この頃から中華秩序から独立した日本中心思想が揺籃され、さらに幕藩体制を排して中央集権・海外膨張を指向する強権思想の萌芽(一八二三年 佐藤信淵「混同秘策」)が見られます。これが幕末の尊王攘夷運動に発展し、明治以降、大日本帝国の重商主義・帝国主義の思想的源泉として展開されていったと見ることができます。
西洋への対抗意識は尊王攘夷から開国進取と変わり、文化の対立は逆転して拒絶から西洋文明の積極的導入、融合、同化へと誘導されていきました。









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日本人論の理論の理論(5)

2021-06-20 | yy78日本人論の理論の理論


しかしなぜ日本人だけが他のアジア人と隔絶して西洋人と似たような能力を持っているのか?それは能力なのか、幸運にすぎないのか?これからは欧米と日本以外の国でもそれは起こりうる現象なのか?
たとえば中国が最近では日本を超えて世界第二のパワーになっているようです。国家体制は全く違うように見えるこの国も結局、時間遅れで日本の発展を追ってきているように見えます。さらに、これからは人口十倍の規模の効果が表れてくるにつれ、多くの場面で日本を抜きさり、いずれは西洋を超えるであろうという見方も多そうです。
非西洋の国でも、条件が整ってそれが閾値を超えれば離陸できるのではないか?日本は離陸が一番早く、ほかの国も徐々に追ってくるだろう、その後は人口や自然資源の規模などの効果で格差がでてくるであろう、という予想ができます。この理論がスタンダードな現代世界観として認められているようです。
では、中国でも日本のように中国人論が盛んにおこなわれていて人々の関心を集めているのでしょうか?どうもそのような話は聞こえてきません。彼らも他国民と同じように、懸命に個人と家族の栄達繁栄を目指し、また国家の拡大を図っているに違いありません。しかし中国人のアイデンティティについて劣等感に悩んで不安を持っているとか、逆に自信過剰になっているとかはあまり言われてはいないようです。
もちろん中国のエリート層は世界独特の中国式共産主義体制に関しての自意識が高く、自己顕示したり自己擁護したりしながら内外でのその評価に強い関心を持っているようです。しかしながらそれと中国人論というものを深く関係づけての議論にもっていく傾向は見えません。
これは当然でもあって、中国に限らず世界中どの国でも、自国の国民性についての反省的議論はありますが、日本での日本人論ほど自意識過剰に不安を伴って論じられてはいないようです。
どの国民も個人として自己や家族の幸福や安全には深い関心を持っていますが、それが自分たちの国民性によって決定されているとは思わないようです。この点に注目すれば、いくつかの日本人論で論じられているように、日本では個人の自我が国民集団の自我意識に吸収されている、との見方もできるでしょう。
歴史的には、この集団的自我意識が国民の団結と一体感に寄与し、富国強兵や経済躍進に寄与したともいえます。
もしそうであれば、集団的国民的自我意識が日本における日本人論大発展の原因であり、またその結果でもある。つまり、再帰的に国民的自意識を強化している面があるといえます。











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日本人論の理論の理論(4)

2021-06-12 | yy78日本人論の理論の理論


日本人は日本人論が好きである。この理由は、たぶん、自分がまず日本人であると思い、かつ日本人は非日本人とは大きく違っていてそれが自分たちの問題の根底にあるからと思っているところにあるのではないでしょうか?
そしてまたさらに深いところには、ベルサイユ条約の五列強のうち唯一非西洋文化圏の出身であり、今も(今のところ?)先進国中で唯一の非西洋国である、というところがあるでしょう。
日本人は世界の先進国である欧米諸国とは全く違う文化の出身であるにもかかわらず非欧米人の中で唯一彼らに比肩しうる能力を示している。これは誇るべきことではあるが、何か不安を催す事態でもある、という感覚があるようです。
西洋人やアジア人から、日本人は優れている、日本人は奇跡を起こした、と褒められるたびに何か不安を感じます。その奇跡を起こした能力といわれるものは実際何なのか?それは偶々うまくいっただけでまもなく消えてしまうのではないか?それとも自信をもって安心していてよいのだろうか?
この疑問を語るためにさまざまな日本人論が論じられているのではないでしょうか?

日本人は西洋人とは違う。それは顔や身体を見れば明らかです。つまり遺伝子群としてかなり違う。住んでいる場所も世界地図の反対側です。それに言葉が全然違う。文字も違う。横文字を見ると頭が痛くなる、と最近の若者は言いませんが、実は英語が嫌い、怖い、という人は今もまだ多い。
日本人は、他のアジア人とも違う。自分たちの利点として、規律正しい。協調性が高い。生活水準が違う、科学技術も優れている、などと思っています。結論として日本人は西洋人に負けない程度の仕事能力を持ち、現実処理の潜在能力を持っている、と思っているようです。










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日本人論の理論の理論(3)

2021-06-05 | yy78日本人論の理論の理論


日本人だからその行動をするという人は多い。ボランティアや公務員だけでなく、協力、参加、取引の対象に同じ日本人を選ぶ。無意識的に自分が日本人であるというアイデンティティが働いています。

日本人だから、という理由付けで自他ともに納得しています。日本人ならばだれでもそうなのか?日本人は日本人を対象として行動する。日本人に聞くと日本列島ではどこでもそうであるようです。しかしこのような話はどこの国でも通る話なのでしょうか?

こういう現象の原因について、日本は島国だからとか日本語だけが使われるからとか単一民族だからとか、自明のようにいわれます。それはそうであるかもしれません。しかしたとえば江戸時代の人々は、自分はまず日本人である、とは思っていなかったでしょう。どうしてもここには近代の歴史というものが決定的な因子として影響していると考えられます。
江戸時代には庶民だけでなく支配階級、知識人であっても、自分をまず日本人とは思っていなかったようです。まず徳川直参であるとか、江戸っ子であるとか三河人であるとかは思っていたでしょうが、日本人であるという意識は明治以降の日本人よりずっと薄かったでしょう。
しかし明治になってしばらくすると、日本人はいつの間にか日本人でしかなくなっていました。世界は日本人と日本人でない人からなりたっている、となりました。明治維新における大変化は多々あるでしょうが、日本人が日本人になった、という歴史的事実は大きい。
現代でも、「日本人は外人と違うから・・・」とか日常会話で使われていて、それを話している人は、当然自分は日本人だ、と思っていますね。
このような事情が、各日本人論の背景にあります。









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