哲学の科学

science of philosophy

エゴイズムな人々(7)

2017-12-30 | yy60エゴイズムな人々


スポーツで勝つためには、できることは何でもする。してもよい。することが当然だ、となっていきます。ボールを取ろうとする相手に体当たりする。野球は格闘技ではないのだから体当たりは禁止すべきではないか?しかし、頭突きが主要な技術であるフットボールで、脳損傷への対策はどうすべきなのか?
スポーツのルール改訂委員会は、スポーツ人口がそれによって減ることがないか、安全性は損なわれないか、現在の強国が拒否権を発動しないか、悩みながら議論を進めています。
一般社会でも時代が変わると常識も変わり技術も変わり市場も変わります。法やシステムの抜け穴を利用するエゴイズムがはびこるようになると、法を改正し、システムを更新する必要が出てきます。そうしてもまた抜け道を通るずるい連中は増える。新手の悪行が横行します。
矛と盾、あるいはコンピューターウイルスとウイルス駆除ソフトとの軍拡レースのようです。
欲望むき出しのエゴイズムが暴走しないように社会はシステムを改正する。新しいシステムの中でもまた、不公正な、過剰に利己的なテクニックが開発され蔓延しそうになります。またルールを改正し、システムを改良する。それでもまもなく、システムは悪用されます。また改正が必要となるでしょう。
社会は、エゴイズムの横行から逃れられないのか?平和で公正な社会はいつになったら実現するのでしょうか?社会の進歩というものはないのでしょうか?

走っても走っても、いや速く走れば走るほど、周りの景色もついてくる。走るのをやめれば、もちろん、後ろに取り残されてしまいます。アリスと赤の女王の世界(一八六五年 チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン/ルイス・キャロル「不思議の国のアリス Alice's Adventures in Wonderland」)です。
病原体と免疫、あるいはウイルスとワクチンとの果てしない競争のようです。
赤の女王は走り続けるしかないのでしょう(一九九四年 マット・リドレー「赤の女王/性と人間性の進化 The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature」)。■







(60 エゴイズムな人々 end)






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エゴイズムな人々(6)

2017-12-24 | yy60エゴイズムな人々


社会で活動する人々だれもが、自由の在りかたを正しく理解して行動すればすべてはうまくいくわけですが、現実はまったくそうなっていません。これはむずかしい、というより無理なことを皆に要求しているからではないのか?
世の中は、私利私欲を夢中になって際限もなく追っている人々で満ちあふれています。節度というものがありそうにない事件がよく起こっています。
ルールもしばしば踏みにじられます。市井の人々がたまに犯す違反行為ならばしかたないともいえますが、これが昨今は政治家、官僚、一流企業のトップ、エリート層、セレブに多くなっている。モラルもルールもコンプライアンスも口先だけなのか?
エリートが腐敗して、嘘で固めた製品や間違った理論を売りつけるようになったら国の将来は危ない。インフラストラクチャは維持できない。子供は教育できない。そこはどうなのでしょうか?

七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず、と論語にあります。つまり六十九歳までは矩を踰えてしまうわけです。モラルというものは結構厳しいものなのでしょう。我執を去るべし、といわれてもできるものではなさそうです。そこで私たちは互いに戒めて、論語を読んだり、聖書を読んだり、テレビでセレブたちのディスカッションを見たりしながら、ノリを超えないように毎日努力しているのです。
自由を守るには厳しい努力が必要である。日々進化し変遷する現代世界にあって、エゴイズムを正しく制御し、活力のある社会を維持するにはどうすればよいのか?







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エゴイズムな人々(5)

2017-12-16 | yy60エゴイズムな人々


では、どのようにしてエゴイズムをコントロールすればよいのか?法律で規制すればよいのか?警察が取り締まればよいのか?モラルを向上させればよいのか?文化と教養を教育すればよいのか?マスコミを規制すればよいのか?柵や壁や鍵やパスワードを作って物理的に制約すればよいのか?
歴史的にけっこううまくいった社会では、武力、宗教、知識人、伝統カルチャーなど複数の権力、権威の合わせ技で、エゴイズムをコントロールし、平和で安定的な社会運営がなされていたようです。それぞれがある程度の強さを持っている必要がある。どれか一つが強すぎても、社会は崩壊するか衰退するかになってしまいます。
現代社会では、武力にあたるものは司法警察や軍隊でしょう。宗教に当たるものは、伝統的宗教のほかに、現代人のモラル、マナー、人生観、知識教養というようなものでしょう。現代人は教条的信仰や伝統カルチャーが弱くなっている代わりに、教育、マスコミ、コミュニティなどの空気、常識、に支えられた内面的な規範が昔の人に比べてしっかりしています。カルチャーに関しては、いわゆる(マスコミ、サブカルチャーを含めた)現代市民カルチャーがかなり堅固に現代社会を支えているといえます。
互いの力が節度を守り、うまく機能している習慣を法律や常識ルール、マナーにして安定を維持する。安定と活力。社会が生き残るためにはダイナミックな安定が必要であって、固定的で変化も変遷もない社会では新興の内部勢力や外部勢力との競争に負けてだめになるでしょう。

複数の権力、権威、良識、善意、そしてエゴイズムが互いに競争し、牽制しあって、バランスよく、健全な社会を維持する。言葉で言えば簡単ですが、うまくやっていくのは簡単ではありません。
そもそも、現実社会をうまくやっていく、という発想も間違いかもしれません。社会の現実は、多数の人々が、それぞれの権力、権威、良識、善意、そしてエゴイズムを持ち寄って互いに頑張り、互いに協力し、遠慮しあいながら毎日をつくりあげているものである(たとえば一九六〇年 フリードリヒ・ハイエク「自由の条件 The Constitution of Liberty」)。そうであるとすれば、試行錯誤の歴史的経験によって作られた自由の現実、にまかせるしかないことになります。






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エゴイズムな人々(4)

2017-12-09 | yy60エゴイズムな人々


そもそも国が違うと、自由がかなり違うが、どれが正しいのか?世界で一番自由がある国はどこか?アメリカか、北欧か?
日本だろう、という意見もあります。いやアフリカなどジープで走れば制限速度も右折禁止もないし、とても自由、ともいえます。

自由といい、平等といい、結局はその社会が決めることなので、どういう自由どういう平等が正義であると法が述べているのか、あるいは社会モラル、倫理規範がどうなっているのか、が、現実社会では実際、個人の自由放逸なエゴイズムを制御し、実質かなり固い壁で囲い込んでいます。
暴力の自由とか詐欺の自由とかが許されると、追剥や強盗やインチキ商法がはびこり、見知らぬ人と話すのも目を合わすのも危険ということになって、かえって自由に外を歩けなくなるでしょう。自由放逸ということは自由の最大の敵である、と近代法システムの創始者は言っています(一七四八年 シャルル‐ルイ・ド・モンテスキュー「法の精神 De l'Esprit des lois」)。
たとえば世界最大の経済大国であり自由主義の模範とされるアメリカの社会が成功しているのは、個人の自由が奔放なエゴイズムに走らずに共通の目的をもって共同社会を作っているからである(一八三五,一八四〇年 アレクシ・ド・トクヴィル「アメリカの民主政治 De la démocratie en Amérique」)といわれます。自己利益を追求する個人の集団が共同して私企業と民事司法行政の活動を支える社会が保持されればアメリカは健全であるが、マスコミが支配する大衆独裁社会となる危険もある、とされます。アメリカの成功は、危険と隣り合わせであって、そういえばどの時代でも、屋根から滑り落ちそうではないか、という警告に満ちています。
ようするに、エゴイズムは社会にとって活力の源泉となる良いものでもあるが、放置すると混乱あるいは専制を招く危険なものでもある、ということのようです。






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エゴイズムな人々(3)

2017-12-02 | yy60エゴイズムな人々



ちなみに実際問題、この法とモラルがうまくできていないと国家はうまくいきません。法の作り方にしても、政治家がよく考えて理想の社会を目指す体制を作ればよいとする理想主義、現状維持を原則に時代に合わせて逐次改善すればよしとする保守主義がせめぎあいます。
保守主義では、社会のモラルはエリートが理論で考え出すものではなく、歴史と伝統の中に蓄積されたカルチャーから自然に発生したものでなくてはならない(一七三九年 デイヴィッド・ヒューム「人間本性論 A Treatise of Human Nature」)とされます。現代の経済先進国は、だいたいこのような(社会民主主義と称するものも含めて)保守主義を軸としています。
先進国でも昨今、環境破壊や移民急増や軍事的脅威などの危機意識から右派的あるいは左派的極端理論を主張する政治勢力が台頭する現象がありますが、これも復古現状維持の欲求がポピュリズムとして反動的に表現されたものとみることができます。ある意味、デモクラシーつまり大衆による支配がますます徹底してくるにつれエリートの理想論が駆逐されてくる、という現代の政治風景でしょう。

ミクロスコピックな個人のエゴイズムをどのように認知するか?という問題は、モラルや社会制度、法律システムの根幹にあります。
人間は誰も、自分がしたいことをしたい。他人に邪魔されずにしたいことができる状態でいたい。自由と言う。好き勝手とも言います。
結婚の自由。職業の自由。離婚の自由。結婚しない自由。働かない自由。結社の自由。政府批判の自由。暴走の自由。
スピーカー大音響の自由。放浪の自由。資産所有の自由。銃砲所有の自由。破産の自由。ゴミ放棄の自由。蒸発の自由。自殺ほう助の自由。などなど。我が国はどの程度自由か?









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