これら命あるものが生きていることの証拠は、まさにいま私がこうして自然を身の回りに感じている、自分は生きていると感じるところにあります。特に自分の死を意識する老人などは自然の美しさに感じ入ることが多そうです。
ちなみに死の気配は現在の地球全体にある、という認識も昨今言われはじめています。地球生物は六回目の大絶滅に向かいつつある。その原因はもちろん人類の活動です。
いのちが美しいのは、いま私がそれを感じているからです。そうであれば、私が死んでしまえばそれを感じるものがいないから、それはなくなってしまう。世界は、私がいなくなってもなくなるはずはないから、そのままあり続けるでしょう。しかしそこに命の美しさはない。
いや、私がいなくなっても、だれかが、いのちの美しさを感じるだろうから、それはこの世界とともに残るはずだ、ともいえます。しかしどうもこのような話になるとはっきりしないところがある。
「この世界ははっきりとここにあって、同時に、私ははっきりとここにいる(拙稿19章「私はここにいる」)」とはっきり言ってしまって良いのか?
いのちは、確かに美しい。けれどもそれは同時にはっきりしないこの私の世界の中にあるようです。■
(yy77 いのちの美しさについて end)
自然科学ランキング
いのちの美しさについて、サイコーでした。
豊富な知識でテーマを多角的に捉えていく文章が非常に読み易くまた理解もしやすくて、好きです。
知的好奇心や知識の大切さを感じられて、読んで良かったな〜といつも思います。
このブログを作ってくれてありがとうございます。
私は1年程前に発見し、哲学な時間をしたいなあと言う時に少しずつ読んでいます。ゆっくり全部見たいと思ってます。
この気持ちを伝えたいなと思って書いた次第です。
稚拙な文章、失礼しました。
お身体ご自愛ください。