さて、主観が客観の中に溶融してしまう場合、芸術は、現代的な意味で、最先端に達する。一方、目に映るままの自然を受け入れてしまうため、現象を懐疑して分析し、冷徹な実験操作を繰り返す科学への強い情熱を持てない。
もしそうであるとすれば、鎖国により世界から孤立した場合、美的文化は独自性を発揮して世界最高レベルに達することはできても、科学と技術は、外国との競争のない狭い江戸社会の中に閉じ込められて、遊戯とはなっても実用を目指せず、世界文明から遅れて行ったのではないでしょうか?
宇宙を俳句の中に閉じ込めてしまうことは、科学の発展にとっては危険なことであるのか?主観は、科学のためには、あくまでも客観から切り離して科学者個人の脳の奥深くに隔離して置かなければいけないのかもしれません。それのためにヘーゲルの悩みは癒すことができなくなるとしても(拙稿24章「世界の構造と起源」)。■
(70 宇宙を俳句に閉じ込める end)
自然科学ランキング
絵画でも近代の西洋人は、対象を客観的に捉えて分析し尽くそうとしました。これに対して日本の画家は、少なくとも西洋画の導入以前は、自分の感覚や感情を投影した風物を描いています。
幕末の江戸で活躍した葛飾北斎(一七六〇年ー一八四九年)は残された作品総数が三万四千点という多作の画家です。デッサン帳として描かれた北斎漫画には三千百九十一点の人物姿態、鳥獣、虫魚、草木、建築、工芸、道具類の画像を網羅しています。筆で描ける限りの宇宙の万物を描きつくす、という情熱が見えます。
富嶽三十六景、富嶽百景、同じ地形を無限に違う時刻とアングルで描きつくす。客観的な存在としての富士というよりも、そのときの自分の感覚に写った富士を描くから延々と何枚でも描く必要があったのでしょう。
たしかに画工として生活のために描いた、という面はある。それにしても多すぎます。九十歳近くまで生きて、当時としては最長寿に達してもなお、絵を描き足りない、と言ったそうです。
ダ・ヴィンチに始まる写実主義絵画の精神は近代の科学技術の基礎を作っていきます。一方、日本で発展した絵画はむしろ、対象を客観的に描写することではなく、画家の感覚や気分を含めたその場のコンテキストに沿って、画面をデザインする。絵画に対しての画家のこの態度は、十九世紀末のヨーロッパに伝搬し、近代西洋絵画のアイデンティティの転回に至り、印象派として大発展し、現代絵画の主流をなしていきます。
客観性を深追いせず、むしろ主観性をそのまま表現して鑑賞者の共感を得る。芸術のこの方向は、印象派以降、現代では常識になっていますが、西洋では十九世紀に発生した比較的最近の発想です。写真技術の普及によって、写実絵画の実用価値が失われた時期と重なっています。
十九世紀は、客観的な科学が産業技術に応用されて大成功をおさめ、世界を変革して行くことが明らかになってきた時代です。客観的な科学は実用、主観的な芸術は非実用、と相反方向に別れて行きました。
秋深き隣は何をする人ぞ(芭蕉)
自然を感じ取り、そこに自我を表現する。主観と客観を区別しない。というよりも、むしろ、主観は客観の中に消えています。
芭蕉と同時代、オランダで、異端の哲学者スピノザは似たような思想を書いています。「人間の心を構成する観念の対象は実際に存在する延長としての身体であってそれ以外のものではない(一六七七年 バールーフ・デ・スピノザ没後出版「エチカ」)」つまり主観は体感という形の客観の一部であるから物質的客観と別のものと思う必要はない、と言っているようです。これでは物質世界を分析的に観測し操作していく科学への情熱は起こりませんね。実際、西洋哲学はスピノザを迂回して、デカルトの系譜からニュートン、ライプニッツの自然哲学そして科学へと発展していきます。
ちなみに、主観を客観から隔離しないスピノザなどの汎神論は、個人の自律を軟化させるがゆえに民主制の毒である、という見解もあります(一八四〇年 アレクシス・ド・トクヴィル「アメリカのデモクラシー」)。この思想は、俳句を好む日本文化をも批判していることになり、日本の民主主義の存在論に関係するようなところがあっておもしろい。
自然科学ランキング
言葉ではなく絵で、すべてを描く。宇宙を画帳に閉じ込める。画家はそれができます。
宇宙のあらゆるものを描き出せるように見える天才画家がいました。モナリザを残したレオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二年ー一五一九年)はその謎の微笑に宇宙のすべてを描き込んだといわれています。
実際、画家としての必要から発展させたこの天才の研究成果は、解剖学、動物、植物、建築、機械、力学、地学などいずれも当時の科学の最先端を大きく超えています。それらをすべて図示する。画帳に描き込んで行きます。その彼は「私たちは不可能を望んではいけない」との訓戒を残しています。つまり不可能と知りつつ、宇宙のすべてを解明したかったのでしょう。
たしかに、この万能の天才といわれた人は、芸術も科学も技術も独創的に展開する能力にあふれていたに違いありません。しかしその能力を駆使するためには、相当の努力を必要としたでしょう。独創力ばかりではなく古今東西の知識を学び尽くさなければならない。その上、パトロンに仕えて資金、施設、ワークフォースの獲得と維持に尽力しなければなりません。天才とは能力である以上に抜群の努力、情熱を発揮できる人であったはずです。
ではなぜ、困難を乗り越えて、彼はそれをしたのか?もちろん、若い頃は生活のためだったでしょう。そして画家としての社会的地位を確保することが基本の動機だったと思われます。しかし、なぜ、役に立たない物事、たとえば神経系の解剖や鳥の飛行を延々と研究したのか? たぶん彼はこの世のすべてを知りたいと思っていたのでしょう。それは不可能であるに違いないけれども。
自然科学ランキング
俳人がいるところでは、季語を決めると、それで思いつくすべてが読みだされてきます。それらは、宇宙のその部分集合を表しているのではないか?それもかなり密に。
たとえば「秋の夕暮れ」と季語を決めてテーマを「旅」とする。
死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮 (芭蕉)
此道や行人なしに秋の暮 (芭蕉)
門を出れば我も行人秋のくれ (蕪村)
戸口より人影さしぬ秋の暮 (青蘿)
家にゐて旅のごとしや秋の暮(長谷川櫂)
現代の俳句人口が参加してくると、無限にこの後を並べることができます。その全体は{秋の暮、旅}というカテゴリーの宇宙になる。それも膨張宇宙です。
これはグーグルに似ている。しかもずっと深い。意味が広がっていきます。言葉の意味を限定しようと努力する百科事典とは逆の方向です。しかし俳句は、こうすることで、もしかしたら百科事典よりも、私達の住む宇宙を掴むことに成功しているのではないか、とも思えます。
高浜虚子の言うように、俳諧は科学とは無関係の方向を目指しています。俳句を、いくら極めても、自動車やコンピュータを発明する事はできそうにありません。実生活の役に立たないといえば、そのとおり。しかし一七世紀の松尾芭蕉が欲しかったものは、自動車やコンピュータではなかったでしょう。それは何か?それは現代でも科学と同じくらい、あるいはそれ以上に私達が追い求めている何かである、と思えます。
アインシュタインの日本観察。この国民は知的欲求のほうが芸術的欲求よりも弱いのか?ヨーロッパと接触する前の日本人は、太陽軌道の緯度変動を知らなかった。(一九二二年 アルバート・アインシュタイン「旅日記 日本、パレスチナ、スペイン」)。これは江戸期の暦学や伊能忠敬の緯度経度実測を無視した事実誤認と思いますが。
とにかく、芸術的なものが好き、という点はあたっているようです。少なくとも、昭和中頃までは。
自然科学ランキング
グーグルは百科事典のような事実や学説の記述もありますが、俳句やツイッターのような個人的主観的な記述も含む。道端の広告板や落書きのようでもあります。虚実真偽善悪の判断は読者に任せる。
ひとつのタグについて誰かが書いていることを、世界中のデジタルデータから見つけてきて膨大な羅列として並べます。タグやキーワードで検索することで、記述のネットワークを無限にたどることができます。面白い。役に立つ。勉強になります。
しかしその全体は、どういう意味があるのか?
多くの人が多くのことを書いているので、表示されるデータ量が非常に多くなります。一つのキーワードについても、一人の読者ではとうてい一生かかっても読み切れない。というか、超スピードで読んでも、作られる文章のほうが速く増えてきます。
現代のように俳句人口、あるいはツイッター人口が増えていくと、毎日新しいものが増えていく。全体はどうなっているのか、見通すこともできません。
春の句を検索しているうちに春が過ぎて夏になる。皆、夏の句を始める。すぐ秋になります。秋を詠んでいると全然終わらないうちに冬になる。そしてどっと春の句が出て来る。きりがありません。毎日、数千人が作る。世界の俳句の量は無限に増えていきます。
これはよいことなのか?
自然科学ランキング
宇宙のすべてを記述したい、人類の知識の体系化をしたい、という思い。ブリタニカ百科事典(Encyclopædia Britannica)はそれを目標に編集されています。内容の信頼度は最高と言われています。二〇一〇年頃からオンライン版に移行していて、筆者などがなじんでいた紙の旧版セットは古本屋さんでも買ってくれません。紙はじゃまになる、ということもありますが、現代は知識がどんどん更新されて紙の本を改訂している暇がないのでしょう。
電子版では直感でボリュームが見当つきませんが、紙の頃は、本棚いっぱい、量は体感で分かる。各巻が重くて運ぶのは嫌でしたね。
数千人の専門家が項目ごとに文章を書いています。図や写真もある。仕事や勉強によく使われました。
現代ではインターネット内のウィキペディアが最大ユーザーを持つ百科事典です。ボリュームは無限、というべきでしょう。グーグルを補完して、現代人の生活と仕事を支える巨大なインフラストラクチャになっています。
ブリタニカにせよ、ウィキペディアにせよ、あるいはグーグルにせよ、人類が関心を持つ森羅万象の知識大系である、といえます。
役に立つ。しかも面白い。組織の広報宣伝や職業的な専門家の記事ばかりではない、むしろボランティアや趣味で気軽に書く人も多いようです。俳句に似ているところがあります。
自然科学ランキング
宇宙のそこここに眺められる風景を楽しみ、一日一日、春夏秋冬が過ぎていくことを感じ取って、それを楽しむ。それを言葉にして遊ぶ。俳諧はそうなっていきました。どこまでもミクロスコピックに、そこにあるものを愛でる。そこに楽しみがある。
それでは帰納ができないではないか?宇宙のマクロな全体像が掴めないではないか?日々の発句をする人は宇宙の存在をどう思っていたのでしょうか?
何の木の花ともしらず匂ひかな(芭蕉 笈日記)
この句の詞書に芭蕉は「西行のなみだをしたひ、増賀の信をかなしむ」と書いています。西行(一一一八年ー一一九〇年)の和歌「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行法師家集)」を下敷きにしての発句ということです。
何の花から出る匂いであるかは知らないが良い匂いだ、匂いがよいからそれで十分だ、花が何かを知る必要はない。イデアは要らない。体感が全て。と言っているようです。
西洋哲学では、全く逆の発想が主流です。精神と物質の二元論は未だに終わっていません(拙稿23章「人類最大の謎」)。自然科学は見事にこれを回避して現代の技術文明を作りました。正面からこれと戦ったヘーゲル(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 一七七〇年ー一八三一年)は宇宙のすべてを説明しつくすためにエンチクロペディー(Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse 哲学の百科)を著述しました。
感覚だけではものは存在しない。精神(Geist)がなくては何も存在できない、としました。ヘーゲルの戦いは精神を武器にして宇宙の存在の根源を掘り進む、という感じです。宇宙は精神からなる。精神から国家が出て、法が出てきて、現実の社会ができてくる。言葉でその構造と発展を説明し尽くそうとしました。
これに対し、芭蕉は、心に映る宇宙の風景を言葉で捕まえることを楽しむ。楽しむと言っても、命がけで楽しむわけですから、つらく苦しい戦いでもありますが、結局は楽しんでいる。宇宙や科学や人間社会の構造や発展は、もちろん、それらがある事は知っているが、そんなことよりもそれを見る自分の感覚を、言葉で詠じて、楽しむほうが先である。と考えていたようです。
どちらの戦い方も、宇宙の万物を次々に取り上げてどんどん言葉にしていくわけですが、心の方向がかなり違う。知り合ったとしても、お互いに相手を、バカみたい、と思うでしょう。
自然科学ランキング
宇宙を理解したければ、まず目の前の、個々の事物をしっかり理解しなければならない。
芭蕉は弟子を諭して「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ(三冊子赤冊子)」と教えましたが、まさに事物の本源を見すえよ、ということでしょう。
芭蕉は目に映る事物を感じるままに、あるいはそれに引き出される連想をそのままに、発句にしていきます。そこで、帰納という発想は起きないのでしょうか?かれはグローバルな世界観というものは持っていたのでしょうか?
奥の細道の書き出しは、まさにグローバルからローカルへの敷衍です。
「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず海浜にさすらへ去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひてやゝ年も暮春立る霞の空に白川の関こえんとそヾろ神の物につきて心をくるはせ道祖神のまねきにあひて取もの手につかずもゝ引の破をつヾり笠の緒付かえて三里に灸すゆるより松島の月先心にかゝりて住る方は人に譲り杉風が別墅に移るに
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。」
名文として名高い。朗読しても気持ちが良くなります。これは、唐の詩人、李白(七〇一年ー七六二年)の漢詩「春夜宴桃李園序」を下敷きにしています。
夫天地者萬物之逆旅光陰者百代之過客而浮生若夢爲歡幾何
古人秉燭夜遊良有以也況陽春召我以煙景大塊假我以文章
會桃李之芳園序天倫之樂事
これはさらに名文。しかしこの詩人はエピクロス派?と思わせる内容ですね。
七世紀の唐では莊子思想が浸透していました。莊子は次のような記述を残しています。
去知與故循天之理故無天災無物累無人非無鬼責其生若浮其死若休(荘子 刻意十五)
つまり余計なことを知ろうとせず、天に従い浮かぶように生き休むように死ぬとよろしい、という理想を語っている。莊子はエピクロス派哲学者である、と言いたくなります。
自然科学ランキング
具体的な個々の観察事実から一般的な大法則を導き出す、この方法を帰納(エパゴーゲー、ラテン語inductio、英語induction)と名付けたのはアリストテレスです。科学の大原則です。
どの観察によっても、カエルの子はカエルだ。トビの子はトビだしタカの子はタカである。つまり動物の子は皆親と同じ動物になる。経験により、こういう現象が存在する。ここまでは帰納論理です。
これはどうしてか?どういう仕組でそうなるのか?生物の身体にはこの現象を実現する仕組みが隠されているはずではないだろうか?その仕組みの物質的構造を知りたい、と思います。
メンデル(グレゴール・ヨハン・メンデル 一八二二年ー一八八四年)からダーウィンを経てクリック(フランシス・クリック 一九一六年ー二〇〇四年 拙稿58章「生物学の中心教義について」)まで百年かけて科学はこれをつきとめ、DNAを発見しました。
これで帰納による仮説は証明されました。さすがアリストテレスです。帰納は人間の直感に合っています。幼児が世界の構造を理解するのも、言葉を覚えるのも、帰納による推測です。
幼児は身の回りのものを眺めたり触ったりなめたりして世界を理解する。アリストテレスもそうして宇宙を理解したかったのでしょう。
宇宙はなぜ存在しているのか?それは宇宙の隅々に存在するモノたちを詳しく観察すれば分かる。モノの目的を考えればわかる。ウニの口はフジツボを食べるために存在している。フジツボはプランクトンを食べるために存在している。プランクトンはプランクトンの子を生むために存在している。太陽は昼夜を分けるために存在している。そのように宇宙は存在している。存在の目的を考えれば理解できる。そうして宇宙のすべては分かってきます。
アリストテレスの目的論哲学です。
自然科学ランキング
古代ギリシアの原子論は、レウキッポス(紀元前四四〇ー四三〇年頃)とデモクリトス(紀元前四六〇ー三七〇年頃)からはじまりエピクロスが完成したドグマです。ルクレティウスはその宣教師の役割を果たそうとして著作をすすめたといえます。
世界に現れている事物を、ドグマにとらわれず、まず事実通り、正確に観察すべきである、という科学の姿勢を重視する立場からは反発も出そうです。
ここでむしろ古代ギリシアにおける正統派の自然哲学を挙げるべきでしょう。自然そのものの観察、天文気象、動物植物、人体、人間心理、人間社会、それぞれの具体的観察と記述、いわば百科事典的研究の始まりはアリストテレス(紀元前三八四年ー紀元前三二二年)であるといえます。
エピクロスは宇宙が真空と原子からできているという古典原子論から哲学を展開しますが、アリストテレスはいわゆる四元素(土,水,空気,火)からなる宇宙とその目的論を展開します。それも具体的な観察から始めます。古代ギリシア、ローマでも、こちらの哲学のほうが人気がありました。人間の素朴な感性に近いからでしょうね。
アリストテレスは万学の父といわれるように論理学、自然学(特に霊魂、人間心理、生物、動物)、形而上学、倫理学、政治学など知的探求の対象となりうる森羅万象にわたって膨大な著作を残しています。古代ギリシア語で書かれたこれらの書物は古代ギリシア文明の崩壊後、ビザンティン帝国、イスラム帝国を経由してシリア語、アラビア語、ラテン語に翻訳されながら千数百年にわたり西洋世界(およびイスラム世界)の最高知識とされていました。
この哲学は、キリスト教神学の基礎ともなり、ガリレオ・ガリレイ(一五六四年ー一六四二年)の近代科学を弾圧しましたが、同時に古代ギリシアのような知性の復権を揺籃し、啓蒙思想の発展に契機を与えたとみることができます。
アリストテレスは、なぜこれほどの影響を西洋思想におよぼしたのでしょうか?これはその著作の膨大さやその具体的記述方法と関係があるのではないでしょうか?
たとえば、彼は、動物の内臓の分類と解剖による知見について延々と描写しています。(マケドニア出身であったがために)迫害されてアテネから移住したレズボス島では(紀元前三四四年)、漁師から買ったウニを詳細に解剖し餌をかじり取るための口が四十の小さな骨によりランタン状の五角錐(現代の動物解剖学でも「アリストテレスのランタン」と呼ぶ)を形成していることを記述しています。
生物観察に関するこの情熱はチャールズ・ダーウィン(一八〇九年ー一八八二年)の観察ノート(拙稿62章「探検する人々」)を思い起こさせます。
古代世界で宇宙の森羅万象について、これほど具体的に詳細に記述し尽くした人は、アリストテレス以外にありません。だからこそ千数百年にわたって、最高の教科書とされ続けたのでしょう。
自然科学ランキング