(92 耄碌頭巾 begin)
92 耄碌頭巾
年をとって心身のはたらきが鈍くなることを耄碌するという。
夏目漱石の俳句 耄碌と名のつく老の頭巾かな
江戸期の老人が頭に載せていた丸い頭巾を、茶葉を炒るホウロクという鍋の形に似ているので焙烙頭巾といいました。大黒様がかぶっているあれです。別名を耄碌頭巾という。
筆者も今年喜寿、さすがに冬の無帽は無謀。風が冷たいとくしゃみ鼻水が出ます。耄碌頭巾は見当たりませんが耄碌キャップをかぶっている老人は多い。あとマフラーですね。耄碌頭巾には首周りを覆うシコロが付いていました。
諺所謂老將知而耄及之者︑其趙孟之謂乎︒
老いて将に智ならんとしてしかも耄これに及ぶ(左伝)
年を取ると耄碌する。経験知識が増えて利口になった分よりもボケて忘れる分が多くなる。人生において残念な現象と思われています。年寄りはあたらしいことを勉強しても覚えられない。スマホの操作などたいてい苦手です。
老化防止と思ってがんばって勉強する人もいます。大方の年寄りは、しかし、あきらめて過去の習慣と知識で毎日をつないでいこうとします。
この場合、一番困るのはデジタル化などと称して窓口が見慣れない自動機械で置き換わっていることです。乗り物、コンビニ、銀行、飲食店、あらゆる手続きがロボット化していきます。液晶画面の分からないアイコンをタッチするしかない。
このとしで魔法の国の冒険なんかに行きたくない。
なまじインターネットが使えても、近頃はSEが優秀すぎるのか作りこんだ複雑な画面ばかり、変なカタカナ用語の羅列で説明してくれるが、ブラックシステムとはだれも言っていません。分からないほうが悪いのでしょうか。
年寄りにはますます動きにくい世界になっていきます。耄碌は嫌だ。耄碌の果てには死が来るのでしょう。若いころは想像したくもない。
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記号列としてのゲノムを見て何が分かるのか?そのゲノムは生物であるかどうか分かるのか?残念ながら現在の解析技術ではDNA配列を読み取るだけでは表現型に直接変換することはできません。
似ているゲノムの生物が見つかれば、その記号列は生物らしいとまではいえるが、それ以外の解析方法ではむずかしいでしょう。
数十年後にはゲノムから生物の身体や運動の三次元詳細画像に直接変換できるAIが実現するかもしれません。
科学としてみる生物の概念は変遷していきます。それに対して、人間が、それを生きていると思うかどうかという感性は、変わらないでしょう。
今の時代でも、また五十年後でも、横山大観が生きていれば、悠然と流れる川の流れを描いたに違いありません。大観は、生きているということの本質を描きたいと思っているからです。■
(91 川は生きているか end)
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生物を研究する科学、生物学、ライフサイエンス、バイオテクノロジー、ゲノム工学。前世紀の終わりごろから今日にかけて大きな産業にもなり、大発展はとまりません。
筆者は高校生のとき生物部に属してショウジョウバエの飼育をしていました。ショウジョウバエの突然変異種をすりつぶしてクロマトグラフィーで成分たんぱく質の分離など、あのころはかなり最先端の真似事をしていたんだなあ、と思い出します。校庭で拾った銀杏を焼いて食べることも熱心にしていました。
閑話休題。私たちが知っている生物は、地球の生物しかありません。しかも地球表面は三八億年前から継続して生物の生育環境を保っているので現在の生物はすべて同一の祖先(LUCAと呼ぶ)をもっています。この同一のシステムは多様多種に分岐しながら超長期間の進化競争にさらされて複雑かつ完全なシステムに進化してしまっています。(拙稿58章「生物学の中心教義について」)
では、地球以外の天体表面など隔絶した環境で生きているようなシステムはあるのか?あるとすればどのような形態なのか?現代の科学で未解決の大問題です。
しかし、もうひとつ未解決の大問題が、生物に関して残っています。それは認知の問題です。生きているか生きていないか、なぜ一目で分かるのか、という問題。これは、生と死の問題、ともいえます。
道端の芋虫を幼稚園児が小枝でつついて「生きているかな?」「ほら、生きているよ」と会話しています。生きている、という言葉の根源でしょう。遺伝子どころか、生物という言葉も知らない幼稚園児は生きるという言葉を正確に使えます。
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生きている、とはどういうことですか?と科学者に聞くと「生物として活動していることです」と答えてくれます。では生物とは何か、と聞くと「生きているもののことです」となる。なんだか、これだから科学はだめだ、という思う人は多い。
生きているということは、生きているように見えることだ、と言うほうが納得できます。直感でそう見える、という話ですね。
だれもが、目の前のそれが生きていることを感じる。その場合、それは生きている、と言うことにすればよさそうです。
「あれは生きているよね」「そうだね」と会話できれば、それで言語ゲームは成り立ちます。遺伝子を持つ生物であるかないか、という生物学の概念でグラウンディングしなくても生きているものはたくさんある、ということになります。
大観(一八六八年―一九五八年)の時代にはDNAの概念はありませんでした。二〇世紀の後半が始まる頃になってワトソン、クリック、フランクリンにより遺伝子の二重らせん分子構造が発見され、分子生物学の大発展がはじまります。
このころから生物の概念、生命、いのち、生きている物、という言葉がDNAや電子移動など物理、化学の言葉で置き換えられるようになりました。現代科学の勝利、とも言われます。
生物学におけるコペルニクス展開です。(一九九七年 エルンスト・マイア 「This is Biology: The Science of the Living World」)
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