権力者の行動の真の動機は何か?それは簡単にいって、隠された支配欲といえるでしょう。しかし一方、実際の行動は人民の幸福に奉仕する、ように見えるはずです。そう見えなければ現代のボスは務まりません。実際、ボスたちはたいてい自分でもそう思っています。
さらに言えば、おおかたのボスはどう見ても、モブに好かれるよきボスに見える。ということは よきボスであるということです。心底からモブに好かれたいと思い、モブの幸福を願っているはずです。逆に、そうでなければ現実の世界でボスはやっていられません。
ボスは、モブが自分たちが支配されてもよい、と認める人格である必要がある。モブの幸福を心底から願っているに違いない、と思える人格である必要があります。それは他意のない信頼できる顔をしていなければならない。出身はエリートであってもよいが、モブの要求を理解していなければなりません。モブの出身であればより信頼できる。モブのモブによるモブのための選挙で選ばれれば、さらに信頼できる。
出身がエリートであっても精神が下賤でないとはいえません。それよりも、モブであっても真摯な精神の貴族であるボスに支配されたい、と思う。
結局、むしろモブであって人々に認められてなったボスのほうが信頼できるような気がします。それがおおかたの民主国のボス、総理大臣や大統領でしょう。■
(69 モブのボスはモブなのか end)
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現代いわれているマスコミの支配なども、巨大な権威あるいは大義にモブが盲従するシステムの一種である、といえなくもありません。その下に自律する個人が存在できるのか、どこまで自由な可動範囲があるのか、注意が必要でしょう。
歴史、文化、環境、というようなもろもろのファクターが絡みあった複雑な相互作用が個々のモブの行動に影響しています。この複雑さはコンピュータに載せた人工知能で解明できるようなレベルではない、と思えます。それは結局、歴史全体を人工知能でシミュレートするSFの空想に近いでしょう。
現実のモブは、単純に自己利益最大化の目的を目指して動いていく自律的エージェントではありません。風向きが変われば、態度をガラッと変える。ときにはひどく感情的な動きをする。世間の気分に支配されている。あるいは、自分でも自分の行動の意味が分からない、ふつふつと底の方で不条理なマグマが煮え立っているのかもしれない。いつか暴動が起こることもないとはいえないのではないか?
予測ができない大衆は怖い。ボスたちも、その意味では毎日モブの顔色をうかがって怯えている、ともいえます。
ゲームのモブは、薄暗いところから急に無数に湧いてきて、突然凶暴になり、襲ってきます。子供が持つ本源的な恐怖感情を表現しているのでしょう。またこれは大衆の上に立つボスたち為政者、支配エリートの持つひそかな恐怖感情でもあります。
さて、ボス個人は結局、モブの一人なのでしょうか?自己の努力によって、あるいはたまたまの幸運によって、最高権力の地位に上ったボスは、もうモブとは違った人格になってしまうのでしょうか?
権力にしがみつくために保身と策謀に明け暮れているのか?自己利益最大化を求めて毎日の行動を決めているのか?ひそかな蓄財に汲々としているのか?虚栄と虚名を求めて実績を残そうとしているのか?広場に銅像を残したいのか?家族を出世させたいのか?
それともボスは、下賤のモブとは違い、世のため人のため社会貢献の意欲に燃える精神の貴族であるのでしょうか(一九二九年 ホセ・オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」)?
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国内のパワーが一人の、あるいは統一された政権に集中していて、外国支配から独立していて、平和ならば、そのシステムには自律的個人が存在できる、と思えます。欧米や日本など現代の先進国は、だいたいそうなっています。逆にだめな失敗国家(failed state)の例はイエメンやソマリアなど現代でも多くあります。
たしかにある国の、ある(短い)時代には、向上心に満ちた自律的個人ばかりで構成されているように見えます。近代や現代では、しばしばそうでしょう。しかし近い歴史を見ても、個人が全く自律的に見えない場面は多々あります。戦争、内乱、紛争、大災害、大不況など、平和でない状態では、パニック、犯罪多発あるいは政治アパシーなどに伴って非行暴行が個人の自律を圧倒します。人は、強盗、強姦、詐欺、麻薬、売春、贈賄、買い占め、独占、その他どんな犯罪者にも簡単になれます。
無法状態の荒野に丸太小屋を建て、銃を持って家族を守る個人が自律的なのか?理想ではあるかもしれません。しかし、すぐ土人やギャングに襲われて死んでしまうでしょう。国家権力が登場しなければ個人も安心して生活できない、という現実があります。
平和時にしても個人がまもるべきルールやモラルや社会感情がしばしば個人的自律の妨げに働きます。たとえば強すぎる宗教、ナショナリズム、政治イデオロギー、社会不安、恐怖政治、あるいは村社会、会社社会、組合、派閥などの強すぎる集団モラル、などです。
そもそも、人の行動の動機は、金欲や物欲ばかりではない、承認欲求や帰属欲求のほうが強い、という見方もあります。宗教の教義や権威主義的イデオロギーが最大の規範を作る社会もかつて多く、今も多いようです。強大な権力者の指導に従う、という性向は人間の本性だ、という説もあります。
歴史的実例をみても、古代の奴隷制、中世の宗教支配、近代のイデオロギー支配、独裁政権、など、個人の自律がありえない場面は多々あります。人間は奴隷にも皇帝にもなれる。乞食にもなれる。守銭奴にもなれる。狂信者にもなれる。歴史の事実でしょう。
悲惨な無法状態からの脱却には強大な権力による抑圧が必要である。しかし同時に広い可動範囲内で競争する自由が認められなければ個人の自律はない。いつもバランスがとられていなければなりません。
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モブは眠っているのか?沸騰直前の熱湯なのか?ふつふつとたぎっているようにも見える。そういう観察の意見は多い。怖い状況なのでしょうか?
いつまでもモブが眠っているはずがない。ボスたちはいつもそれを恐れています。口には出しませんが。つまり、ボスたちは、モブの行動が自律的であるはずがない、と思っています。突然、恐怖感情が燃え上がって群棲動物のように暴走する。自律的な個人とは対極の人間像です。
そういえばマインクラフトの草食動物たちは、仲間が襲われても暴走して逃げませんね。リアリティが足りない。
少子化も平成不況もマクロの結果から後付のモデルは作れても、現場でリアルタイムな、ミクロな個人行動の予測モデルは無理です。ミクロな個人個人は意外と奇矯な、ときには奇怪な、行動を取ります。しかし集団に所属する場合、ほとんどの人は、典型的な、保守的な、つまらない行動を取ります。同調意識、社会的圧力その他、複雑なフィードバックによって影響しあっているようです。
個人行動はフィードバックによっては共振し発散する複雑系であるので、世間話やテレビバラエティやインターネット口コミの微小なゆらぎが突然発散したりすぐ収束したりして情勢を作り出す場合が多々あります。
カタストロフィックな現象は理論予測が困難です。ビッグデータから人工知能に学習させれば、いずれは、暴発的なモブの行動も予測できる、という未来予測もあります。ある程度はそうでしょう。しかしそうできたとしてもディープラーニングなど現代の人工知能の結論は、勘の良い相場師の予想のようであって、理論が分かりません。
モブはなぜ、あるシステムには安住して、その可動範囲内でルール通り競争するゲームに毎日夢中になっていられるのか?その中心に統一パワーを持つボスとそれが座るシステム、たとえば君主制、貴族制、民主制などの政権があって、それが外国からの侵略やモブ同士の暴力、恐喝、強盗などから個々のモブの生命と家族と財産を守ってくれるならば、モブはシステムに安住して真面目に生活するでしょう(一六五一年 トマス・ホッブズ「リヴァイアサン」)。
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消費増税によって自律的個人の行動はどう影響されるか?モデル化して人工知能で予測してみてもなかなか当たりません。たしかに大正の米騒動を起こしたモブと現代の消費者行動は違う。それでも受け継がれている深層の傾向はある。それは自律的な個人ではなく、家族や帰属集団や社会の構造に大きく影響されている。その具体的なダイナミクスは実は現代社会学でも解明できていない。したがって実用的な予測理論は作れていません。
自律的な個人を理論化するよりもビッグデータから人工知能で趨勢を算出するほうが当たります。理論から方程式を作るよりも、経験豊かな達人が直接の現実を体感して直感で結論を出すほうがよく当たる。これを人工知能で高精度化するにはビッグデータを収集する(世論調査やグーグルやアマゾンのような)システムと超高性能のコンピュータが必要ですが、今日では、すでに少しずつ実現されつつあります。
逆にコンピュータの出力として、現実に得られるようなビッグデータのソースを出せれば、現実そのものをモデル化したゲームが作れるわけですが、それは現在技術では無理です。ビッグデータによる社会動向の結果は現実そのものをよく集約してはいますが、理論化できない、モデルが作れない、したがって生成できないからです。
現実の社会とは、どういうものなのか?モブはなぜ、安定しておとなしくGDPを作り出してくれるのか?なぜ政権党に投票してくれるのか?マスコミが大事件や紛争や不祥事を日々報じているのにインターネットが盛り上がるだけで、株価や不動産はなぜ暴落しないのか?
モブはなぜ突然、大規模デモや米騒動を起こすのか?そしてそれらはなぜ、たいてい沈静化してしまうのか?なぜじわじわ少子化するのか?なぜ貧困層が固定される傾向を甘受するのか?なぜ平成不況からは脱出できないのか?モブの行動は謎ばかりです。
テレビや新聞はいつも、不平不満を煽る。著名人の中には、しばしば不穏な発言を好んでする人が少なくありません。インターネットの世界では政府の腐敗、大企業や公共機関の虚偽や陰謀が糾弾されています。眼の前には不安ばかりあるかのようです。モブは毎日、このようなマスコミ、口コミにさらされています。
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実際、このモラルで、現代先進国のシステムは、表面的には、支えられていきます。この理想モラルを持って社会が動いて行けば、理想的な資本主義システムができるはずです(一九〇五年 マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)。
自律的な個人は安易に極端主義の政治や宗教に染まらない。極左、極右その他の反社会的団体や単独テロに走りません。健全なモラルを持ち自尊心を持つ健全な理想の市民像です。
そうであれば、与えられたルールのもとで自己利益最大を目的として動いていく自律的個人、という擬制モデルが使えます。この擬制モデルを使えば近代経済学のマクロ理論が成り立ちます。また比較的に単純な定式化ができるので、人工知能で、コンピュータゲームの中に、自律的に動くモブを作れます。
理想はそうです。現実においては、しかしながら、自律的な個人という人間モデルは生得的ではなく近代の歴史的産物です。
快楽と苦痛を感知し物事を思考する自己という個人(一六九〇年 ジョン・ロック「人間理解に関する随想」)から展開する人間像です。
近代以降、このような個人像は内面化され、現代ではたしかにグローバルに敷衍していますが、歴史の試行錯誤を経て進化したものです。どこまで普遍性があり、現実の社会で安定しているのか、理論化はむずかしい。
経済学や社会学などで定式化されている理論だけでモブをモデル化すると、形式的な現象は似ているが、条件が変化すると現実と大きくずれてしまいます。特に経済状況により個人の自律可能性は違ってきます。マクロ的に見ても、好景気と長期不況とでは、個人の自律モデルも実は相当違ってくるのではないでしょうか?
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羊飼いはいらないのではないか?つまり、うまくシステムを設計すればボスは不要なのではないでしょうか?
しかしそのようなシステムをモブは感情的に信頼しないのではないか?システムに責任を持ってくれる顔のあるボスが必要でしょう。
システムには、もちろん、大統領とか主席とかボスの顔が必要ですが、それは羊飼いである必要はない。人工知能のプペットを演じるだけで給料をもらいたい人を選んでおけばよい。ただしそれがうまく働くためには、代理人であることを知られてはなりません。
そうできるのであれば、システムは人工知能とその代理人である傀儡代表で構成できます。しかしモブの方は?
モブこそ、それぞれ自律の人工知能で単純に作れるように見えます。しかしそれではだめです。現実を正しくシミュレートできません。
まず個々の人間は、ミクロ的に見れば、ゲームのモブのように自律の人工知能で代替できるような動きはしていません。ゲームのモブは自律的な個人をモデルとしていますが、これで現実は作れません。自律的な個人という理想像は、社会の規律を維持するために効率的であるから定着した近代社会のモラルから来ています。
個人は自律的であるべきである。自己決定、自己責任、自己利益追求のモラルを持つべきである。パワーに裏打ちされたこのモラルのおかげで集団内の協力は効率化されています。毎日がそこそこ楽しく生活できていけます。
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現代先進国のシステムはまあ快適です。物価はまあ安定している。ただ、消費税を払わなければ買い物もできない。消費税を払えば自由に何を買ってもよい。実際には買うためのお金があまりないので本当に自由とはいえないが、お金さえ手に入ればいろいろ買えるだろう。自由とはそんなものだ、と思います。
このような現代先進国のシステムは強固です。モブ個人としては、制約された可動範囲内で動いていれば極端に不条理なことは起きない、と思えます。経済がまあまあうまく回っていれば、モブは穏当に毎日の生活を繰り返していればよい。つまり自己利益を追求して自律的に動いているように見えます。
モブは、システムで決まっている可動範囲内で自由に自己利益最大を求めて頑張ることができます。個々の動きはきまぐれでランダムに見えても統計的にはシステムの許容範囲内で整然と動いている。渋谷のスクランブル交差点のようです。
そうであればボスはシステムを維持するだけで統治できます。パワーを露骨に見せつけて威圧する必要はありません。モブもボスもパワーの発露を見たくない、見せたくない。実際、ほとんど見なくてすみます。
軍人系のボスは武力による抑止は得意だが、モブを萎縮させてしまう。官僚系のボスはうまくモブを懐柔できるが、セキュリティ保持に弱い。バランスが肝要、と昔からいわれる通りでしょう。
府朝議欲遣人行湘州事而難其人西中郎中兵参軍劉坦謂衆曰湘土人情易擾難信用武士則浸漁百姓用文士則威略不振必欲鎮静一州軍民足食無踰老夫(一〇八四年 司馬光「資治通鑑」)。
現代の先進国では武力が暴走しないように制約するシステム設定の知恵を持っています。たとえば司法の独立。透明性のある警察や裁判所やウオッチドッグをキチンと作っておけば大丈夫でしょう。軍隊はシビリアンコントロールが必要です。外国との抑止力バランスで適当な防衛武力を維持できるように立法が予算資源を調整するシステムを作っておきます。
あとはマスコミが時事評論をいろいろやってくれるので、それを参考に、外国のマスコミ情報や高名な評論家、学者の意見も参考にして、可及的すみやかに対応策を算出します。ほぼ正解な対応策で毎日システムをコントロールしていれば統治はほぼ完璧です。人工知能でもうまくできそうです。
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武力、軍事力は目に見える分かりやすいパワーですがその背景である経済力も、現代人の目には見えやすいパワーとなっています。
パワーの保有者もかつての軍閥から官僚、富裕層、資本家、大株主、さらに大企業経営者層に移っています。
統治システムは政治制度、法体系、行政組織、軍隊、警察など、見ようとすれば目に見えます。このシステムは時代とともに進化してきた結果の産物に違いありませんが、私たちはこれを、機械的静的な構造とみなす傾向があるようです。時間的に変化しない堅固な構造とみてしまいます。
システムの中で生きる私たちは、きっちりした今のシステムの安定性を信頼して、自分に与えられた可動範囲の中を動いていきます。
私たち個人個人とすれば、違反するとポリスに捕まるからしない、とか、逆らった言葉をいうとサークルから疎外されるからやめよう、とか思っています。こういう制約構造がシステムを支えている。その制約はシステムの構造から来ていますが、その構造はそもそもパワーが支えている。つまりパワーがシステムの土台になっています。
現存するもろもろのシステムは、これが進化の最終到達点であると思えば、絶妙に、あるいは巧妙に、うまくできている。たしかに個人の努力を超越した厳然とした存在構造に見えます。
私たち現代人は、結局いろいろ不満をもってはいるが、今あるシステムが最終状態である、と思っています。日本や欧米など現代の先進国では、とにかく平和である。しかもかなり安全である。そして実は、私たちはそのシステムを信頼している。そのうえで、まあ満足している。あるいは少なくとも、満足している、と思いたい。
百年前の哲学者の予言のようです。今や羊飼いはいない。いるのは羊の群れだけである。そう思わない者は精神病院行きだ。私たちは利口で現実世界をよく知っている。だからいつもシニカルだ。(一八八五年 フリードリヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラはこう語った」)
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法や規則が遵守される社会である場合、そのルールに則って選挙などで統治権を得たものがボスになります。ルールで構成される統治構造の上でボスは動きますので、信頼性があり、責任は明確です。
つまり統治がうまくいくためにはボスがパワーを持つだけではなく、そのパワーを埋め込んだ統治構造、ガバメントシステムができている必要があります。封建システムとか独裁システムとか資本主義システムとか官僚システムとか、多国籍企業システムとか、それなりに安定して継続するシステムです。ボスがその上に座れる既存の統治システムがあればとてもよい。なければ自分で作らなければなりません。
統治システムを新しく作るのはとてもむずかしい。現実世界ではゲームのように簡単にできません。現存のシステムを壊して新しく持続可能な統治システムを現実に作ることは至難の業です。レーニンや毛沢東のような天才でも欠陥品しか作れませんでした。岩倉具視もまあ成功した天才的ボスでしょう。
革命を起こして新しいガバメントシステムを作る。強烈なパワーを身につけた天才ボスでなければできません。しかしパワーで統治権を奪うことに成功しても持続するシステムの構築はさらに難しいようです。徳川家康は持続する完璧な封建システムを作った天才です。
ボスが持つべきものはパワーとシステム。君主に必要なものは軍隊と法である、と昔の賢人は書いています(一五三二年 ニコロ・マキアヴェリ「君主論」)。君主論で称賛されているスペイン王国の創始者フェルナンド二世(一四五二年ー一五一六年)は休みなく対フランス戦、対ポルトガル戦、カスティーリャ統一戦、グラナダイスラム王国殲滅戦、再度フランス戦、ナポリ平定戦など戦争に次ぐ戦争を起こし、その過程で最強の軍隊を育て豪族たちを自分の封建システムに組み込んでいきました。戦争が王のカリスマ性と統治の大義を正当化する、とマキアヴェリは書いています。
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