私の内側というのは心の状態だ、と言いたい。しかし心はどこにあるのか? 現代人は、心は脳にある、と言いますが、昔の人は、心は心臓にある、と思っていました。だから心の臓といい、ハートという。あるいは古代人は、内的な感情や思いは神様が吹き込んでいる、と思いました。あるいは、空気の影響であるとか、気のせいである、とか考えていたようです。
私の心は雲の中にある、などと唱えれば、クラウドコンピューターシステムのようですね。実際、私の心は雲の上のUFOの中に置かれていてそこから電波でこの脳を遠隔操縦しているのだ、という奇妙な世界観を唱えている人もいます。ばかげていますね。
閑話休題、クラウドシステムはさておき、ふつう人間は自分の内的経験は脳など身体内部器官の働きだろうと感じているでしょう。しかしその根拠を直感で自覚することはできない。拙稿本章の興味はここにある。
私の内側は暗黒大陸のようである。いや、暗黒が存在するのかどうかも分からない。もしかしたら、何もない虚無なのではないだろうか?
私は、私の頭皮の下に、頭蓋骨の内部に、私の感覚、感情、私の思い、そして私の経験と知識が詰め込まれていると思っている。しかしそれは間違いであるかもしれない。私の頭皮と頭蓋骨の中には脳があり、血管がある。それらは細胞でできた単なる物質でしかない。蛋白質分子の結合組織です。そこにあるものは、そこ以外の場所のどこにでもあるような原子分子からなる単なる物質でしかない。私の感覚、感情、私の思い、そして私の経験と知識は単に物質ではないだろう。物質ではないとすれば、それらは私の身体の内側にはない。そうであるとすれば、私の皮膚の内側、身体の内側は、私自身には何も感じられないことから、私にとって虚無でしかありません。
私の皮膚の下につまっているものはダークマターである。暗黒の虚無である。他人の身体の内部ならば私にはよくわかる。筋肉や血管や内蔵や神経がつまっている。それらはタンパク質の分子が規則正しく結合したものです。それらの分子は水素や炭素や酸素や窒素などそこら中にあるありふれた原子が組み合わされたものです。他人から見れば、私の身体の内部もまったく同じようなものであることが分かるでしょう。
しかし私自身から見れば私の身体の内部は見えない。想像できるだけです。感覚では感知できない。つねったりすると痛いと感じるけれども、どこがどうなって痛いのかもさっぱり分からない。MRIで撮影すれば器官の断面のようなものが見えるけれども、他人の身体のMRIと同じようなものにしか見えない。直感でこれが私の身体だ、と感じることはできません。
このように私たちは自分の身体の内部はよく分かりません。それなのに私たちは自分の身体の内部をよく分かっていると思っています。特に、自分の気持ちは自分が一番よく知っていると思っている(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。それはなぜなのか?