(104 赤い童謡 begin)
104 赤い童謡
〇「真っ赤なお鼻の トナカイさんはいつもみんなの 笑いもの」(一九三九年Robert L. May作制「Rudolph the Red-Nosed Reindeer」一九六四年 新田宣夫訳詞「赤鼻のトナカイ」)。この絵本はシカゴのMontgomery Wardデパートでクリスマスの景品に無料で配布され、数百万部が配布されました。作者のメイはいじめられていた幼少期の思い出を詩にした、といわれています。□
〇「赤い花つんで あの人にあげよ
あの人の髪に この花さしてあげよ
赤い花 赤い花 あの人の髪に
咲いてゆれるだろう お陽さまのように」(一九六四年 「赤い花白い花」中林三恵)
この歌を覚えているのは、一九九四年、第45回国際宇宙会議がイスラエルのエルサレムで開催され、筆者が会長指名委員だったからです。そのとき、五代富文氏を会長に推挙し委員会の賛同を得ました。レセプションの会場でイスラエルの少女歌唱団が歌っていたのが「赤い花白い花」の日本語でした。一週間後、市街地で爆破テロがあり、怖い町でしたが、日本語の歌の響きが特に平和に感じられた覚えがあります。□
〇「赤い夕陽が 校舎をそめて、 ニレの木蔭に 弾む声。
ああ 高校三年生。 ぼくら 離れ離れに なろうとも、 クラス仲間は いつまでも」(一九六三年 丘灯至夫「高校三年生」作曲は遠藤実)
舟木一夫は高校生の制服を着たレコードジャケットでデビューしています。筆者が高校を卒業したのは一九六五年なので、このヒット曲(一九六三年第5回日本レコード大賞・新人賞)は巷に流れていました。若いころのクラス会では、当然、肩を組んで歌っていました。校庭といえば二本の巨木から落ちる銀杏を焼いては食べていたり、脇のプールで筏が転覆してずぶぬれになったり、隣の神社でさぼり昼寝をしていたことくらいを覚えています。この時代の十年後くらいですが、一九七六年森田公一とトップギャランのヒット曲「青春時代」(阿久悠)も歌詞を覚えています。
「卒業までの半年で答えを出すと言うけれど、二人が暮らした歳月を何で計ればいいのだろう。青春時代が夢なんてあとからほのぼの思うもの、青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」このあと、青春という語を聞いても無関心な大人になりました。□
〇「赤い靴はいてた女の子
異人さんに連れられて行っちゃった
横浜の埠頭から汽船に乗って
異人さんに連れられて行っちゃった」
「赤い靴」(一九二一年 野口雨情 本居長世作曲)
山下公園にある『赤い靴はいてた女の子の像』(山本正道 作)は横浜市の「赤い靴を愛する市民の会」が寄付を募り一九七九年に完成した、とのことです。父方の家は関東大震災で被災後、横浜から東京に引っ越したそうですが、墓地が横浜にあり、筆者も墓参の際、中華街や山下公園に行きました。山下公園の西半分は米軍住宅で金網で囲われていました。祖母は、外人墓地を異人墓といっていました。横浜は外国への出発地でした。明治期には、外国人の養子になって海を渡る少女もいたでしょう。西洋文明、キリスト教、社会主義の理想への憧憬と幻滅。野口雨情は明治大正期日本の若々しい現状肯定と希望を歌詞に託していたのでしょう。□
〇『秋桜 コスモス』は、一九七七年、山口百恵のシングル曲。作詞・作曲:さだまさし。」この年、「気象衛星ひまわり」を打ち上げ、運用開始。『秋桜 コスモス』は、一九七七年、山口百恵のシングル曲。作詞・作曲:さだまさし。」この年、「気象衛星ひまわり」を打ち上げ、運用開始。長女が生まれ、給料も宇宙予算も毎年増え続けて、平和な時代でした。
淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
此頃涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする□
〇暴虐の雲 光を覆い
敵の嵐は 荒れ狂う
怯まず進め 我等が友よ
敵の鉄鎖を 打ち砕け
自由の火柱 輝かしく
頭上高く 燃え立ちぬ
今や最後の 闘いに
勝利の旗は ひらめかん
起て同胞よ ゆけ闘いに
聖なる血に まみれよ
砦の上に 我等の世界
築き固めよ 勇ましく
(一八八〇年 ヴァツワフ・シフィエンチツキ「ワルシャワ労働歌 原題Warszawianka」日本語版一九二七年鹿地亘)
真っ赤な歌といえます。一九六九年、筆者大学卒業の年、安田講堂は陥落しました。この歌が毎日響いていました。気が付くと鼻歌で歌っていました。機動隊突入の日、湯島の裏通りで野次馬を殴る警官隊に遭遇し、出血した後頭部を押さえながらラーメン屋であんかけを食べて帰りました。□
〇美しき桜貝一つ 去り行ける君にささげん
この貝は去年の浜辺に われ一人ひろいし貝よ
ほのぼのとうす紅染むるは わが燃ゆるさみし血潮よ
はろばろとかよう香りは 君恋うる胸のさざなみ
あゝなれど我が想いははかなく うつし世のなぎさに果てぬ
(一九四九年 「さくら貝の歌」作詞:土屋花情、作曲:八洲秀章)□
〇アカシヤの 花の下で
あの娘が窃っと 瞼を拭いた
赤いハンカチよ
一九六四年 作詞:佐伯孝夫,作曲:渡久地政信。石原裕次郎主演映画。
高校三年生。担任の渡辺先生が、面接で趣味を聞いたので、五球スーパーを作っています、と答えたら、家のが壊れちゃてね、直してもらおうかな、という会話をした覚えがあります。□
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