哲学の科学

science of philosophy

現実を語る人々(7)

2022-09-24 | yy85現実を語る人々


マスメディアもインターネットも現実を語ることによって現実を作っていく。作っていきたい。声高に語る人が無責任だと言い切ることもできない。
責任があるはずのエリートは現実を語るつもりがない。声高に語る人は現実を作っているという自覚を持たない。善意のアジテーターといえます。意図的なプロパガンダをしているつもりはないでしょう。それでもそれだからこそ現実は、こっくりさんのように、作られていきます。

マスメディアであるいはインターネットで、学校や集会で、現実を語る人々はなぜ現実を語るのでしょうか?
興味深いことは、どの現実を語るのかに関わりなく現実を語る人は繰り返し毎日のように現実を語ってやめない、ということです。
テレビのアナウンサーのように、あるいはジャーナリスト、記者、評論家のように、それを職業にしている人たちが多い。職業あるいは準職業として、日々それに励んでいるようにみえます。
新聞記者、放送記者は新聞紙面、テレビ画面で自分のスクープ記事が大きく現れ、読者視聴者が話題にしてくれることが生きがいで働いています。それが特別記事や特別番組になったり記者会見を引き起こしたり国会で質問に出たりすれば最高でしょう。
大成功した場合、その報道が発展して「・・・問題」と名付けられる社会問題になったり、「・・・現象」と呼ばれる流行ワードになったりします。
問題は、その働きがその場限りの成功を目的にしていて、その活動が作り出した現実がその後どう発展するかには無関心な人だけが成功するシステムになっているらしいことです。














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現実を語る人々(6)

2022-09-17 | yy85現実を語る人々


二〇二二年七月八日、元内閣総理大臣安倍晋三が選挙演説中に銃撃され死亡しました。元総裁が暗殺された与党、岸田内閣は国葬を実施することを決定しました。
国葬とする理由は簡単です。日本のリーダーとして長年勤めた人物が民主主義を守るための選挙演説中に凶弾に倒れた。きれいなドラマになっています。内閣や自民党のエリートたちは党のプライドを守りたい、民主主義国であることを表明したい、と共通の感情を持ったのでしょう。
しかしテレビなどマスメディアはそうではありませんでした。国葬について賛成、反対の意見を聞いて回り世論調査をしました。結果は反対が多いとなり、相乗効果が始まり、野党やそれに与する理論家たちは犯人の供述から動機の背景を調査し与党の暗部に迫る議論をもりあげ、番組の人気は高まりました。
国葬決定から一ヵ月後、膨れ上がった反対パーセンテージが現実を作っています。多数派の横暴と批判される与党の政治手法が世論の多数派に批判攻撃される形が現れました。マスメディアは楽しさで張り切り総理大臣たちはさぞ困っているでしょう。
犯人の母親が多額の献金をした旧統一教会の真実。韓国発祥のそんな宗教集団が日本人に多く献金させていて自民党に接触し互いに利用し合う関係なのかどうか。内閣の恣意で国葬をきめてよいという法律はないだろう、こんな背景で勝手に税金を使ってよいのか?反対論は多方向の攻撃拠点を作り相当勢いがでてきました。
高慢なエリートが党内や外国に見栄を張るために勝手に決めた儀式など失敗するほうがいい気味だ、困らせてやりたい、という無責任な感情も、実はあるでしょう。
一方、政府としては当然公表した国葬計画を貫徹しなければ国内でも国外でも信頼を失う。反対があるからこそ首相の責任でやりぬく意義がある、という議論も作れます。 最後は政治家のプライドの問題になってくるでしょう。それで、何が起こるか?そこに現実が現れてきます。













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現実を語る人々(5)

2022-09-10 | yy85現実を語る人々


違う世界の風景はなかなか語られない。認めたくない現実は語られないでしょう。小さく語られていても聞こえません。聞こえても自分に合わせて理解する。
小野田さんは漏れてくる日本敗戦記の情報を曲解していました。小野田さんだけでなく無条件降伏の前日まで多くの日本人は現実を理解していませんでした。
ラジオ、新聞、マスメディアが悪かったといっても、メディアだけが悪いのか?その裏にいる人々はどう考えていたのでしょうか?それに気づいていても気が付かないふりをするしかないのかもしれない。
みんなで同じ穴に落ちる。民主主義は、見えている陥穽に落ち込んでいくシステムなのでしょうか?

民主主義体制はときに権威主義体制を呼び込むが逆に戻る革命は、豊かな社会では、起こりにくい。
間違った現実の中であっても、その中で安逸に生活している限り、システムを是正する力は出てきません。それどころか間違っているほど局所最適に陥っていて復元力は弱いのかもしれません。

現代日本社会は民主主義体制に到達できています。それは現実として語られ続けている。独裁政権は警戒され、少数意見は語ることができているようです。

政府批判も、マスメディア批判も、大企業批判も、教育批判も、ユーチューブやツイッターにあります。そのSNSも逆にマスメディアに批判される。語りの機会が多様に大きいことで権力分散があり、その分散もまた批判されている。現実は多様に語られることでますます現実らしくなるのでしょう。

大きな物語を語る権威主義体制は国際競争には強いが多様性を失って老朽化します。エリートが現実から逃避すると体制は腐敗します。そこでは現実を語ってくれる人がいない。語る人がいなければ現実は消えていきます。












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現実を語る人々(4)

2022-09-03 | yy85現実を語る人々


自分が置かれているこの現実がこうであることはよく分かっているが、こうでない現実があり得るとも思えない。そうであれば人々が語る現実を聞いてよく確認し、よく理解して対応していればよいのだろう。と私たちは思っています。

政府やマスメディアのエリートたちはきれいごとで我々をだまして搾取している、という、時々聞こえてくるような現実の見方が正しいのかもしれない。しかし仮にそうであろうとも、目に見える生活の現実感は変わらないような気がする。政府への批判はそれなりに正しい面がありそうだが、それを語る人々はそれを語る立場を持っているからそう言っているに違いない。
マスメディアその他の語りはどれが正しいといえるものではなさそうだが、それを聞いている私たちの語り合いにそれほど間違はないだろう。それが現実と思っていれば特に問題はない。私たちはそう安心して暮らしています。

この現実が続いて行って将来が困ったことになるという話は本当だろうか?地球温暖化は止まらないのだろうか?日本の少子化は止まらない、といえるか?日本の産業力はいつまで低迷を続けるのか?マスメディアや政治家の現実認識が変わらなければいけない状況なのでしょうか?
語り合っても何も変わらないような気がする。
子を作ることと作らないこととどちらに不安が多いか?現代の状況がその圧力になっているのか?時代が変わるとその見通しも変わるのでしょう。神の思し召しがなくなった現代人の人生にだれが責任を取ってくれるのでしょうか?人々が語っている現実のどこにも答えが見えません。
産業の世界では、若い世代の事業家に創設され牽引されてきた米国IT企業が勝ち残っています。前世紀に隆盛を誇った日本の大企業群は沈んだままです。時代が変わってしまったといわれながらもその企業群だけが生き残っている現実の中で若い企業が成長する姿はこの国では見えません。
その現実をよしとして語り続ける人々が実際は多数であるようです。何も問題はないと思えば平和な鎖国時代はいつまでも続くでしょう。










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