世界各地の博物館ではケツァルコアトルスの巨大な骨格模型が展示されています。実物大で、肉付けされ彩色された模型も展示されています。天井からワイヤーで吊るされた巨大な飛行動物の模型は迫力があります。存在感があります。こんなものが太古の時代に空を飛んでいたのか、と感動します。
この古生物は、博物館の人気者であるため、しばしば企画イベントのテーマにもなっています。たとえば、二〇〇八年に日本科学未来館で、企画展「世界最大の翼竜展~恐竜時代の空の支配者~」が開催され、ケツァルコアトルスの全身復元骨格と生体復元模型が展示されました。
新聞、雑誌にも翼竜は頻繁に登場します。たとえば朝日新聞デジタル二〇一八年十二月十八日付け「爬虫類の翼竜にもフサフサの羽毛 中国で化石見つかる」ではカラーイラスト付の記事が掲載されています。
専門家でない素人の私たちは、模型やイラストから、翼竜のイメージを得ています。生きた実物はもちろん見ることはできません。それでも私たちは、絵や動画から、けっこうリアルにこの生物の存在感を感じることができます。
一方、専門家が知っている物質的証拠は、化石になった生物の痕跡しかありません。化石の断片から欠損の多いジグソーパズルのように再現された解剖学的知識が得られます。数少ない足跡や卵の化石も収集されています。逆に言えば、これらの僅少な物的証拠だけが翼竜の過去の存在を表現している、といえます。
化石は、堆積岩の粒子配列に残されたミクロな鉱物沈殿の堆積過程が生物遺体などの形状を保存している現象です。つまり生物痕跡の形状だけが存在していて、生物体を形成していた元の物質は滅失しています。映画「ジュラシックパーク」では、恐竜のDNAが琥珀化石に保存されているという想定になっていますが、琥珀中の生物遺体といえども数千万年の間にはDNA分子配列は分解してしまいます。現代の私たちにとって、恐竜時代のDNA配列の情報は完全に失われています。
ケツァルコアトルスという名と絵に描かれたイメージはロマンチックで素晴らしい、とだれもが思います。しかし、その実態は、化石だけの、しかも数少ない、断片的な、わずかの手がかりからの過去の推定でしかありません。DNAが残っていないので現代科学の最強武器であるバイオテクノロジーも使えない。古生物にあまり興味がない部外者からみれば、そんな不確かな推定作業は、やめたほうがよいと言いたくなります。宇宙人の探査に似たような、たよりない研究です。
そもそも、こんなに大きな動物が自由に空を飛べたのか、離陸できないのではないか、という疑問が、つい最近まで専門家の間にもありました。それほど物的証拠が少なかった、といえます。大きな凧でも風が強ければ上がる、というくらいの雑な理論から始まって、その後、航空力学の専門家が加わってコンピュータシミュレーションが繰り返され、ようやく最近になって、ケツァルコアトルスが安定して飛行していた事実が認定されました。
化石採集とそこから古生物の身体と生態を復元する科学は高度に専門的な技術に支えられています。素人の私たちにはその詳細な過程はわかりません。驚異的な情熱と忍耐に支えられた研究作業でしょう。私たち部外者は、ただ、最終的に復元された模型を見て感心するだけです。それでも、いやそれだからこそ、太古の巨大生物の存在感に感動するのです。
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