哲学の科学

science of philosophy

子供にはなぜ人生がないのか(4)

2020-07-25 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


子供と大人の間を思春期という。英語で陰毛期(puberty)と呼ぶこの年齢層になると、子供は自分の身体の変化を見て、大人になった、と思います。
青年は、自分の身体の形を見ることで獲得した可能性を見る。大人のように社会に出て仕事ができる可能性、結婚して子供を持つ可能性、が出てきた、と思う。そこで社会に出る。つまり就職や結婚を意識するようになります。
そのとき、自分の人生が、この世界を背景にして、物語を読むように続いていくことを感じる。子供時代が終わり、実人生が始まります。

群棲霊長類は大家族が共同して多量の栄養を獲得する行動システムを進化させた。特に人類がそれでしょう。
成長した子は大家族を離れて遠方へDNAを運んでいく。雌雄どちらかの性の子供が他の大家族集団に移動していきます。結果的に(ウイルスに弱くなる)近親交配を避けられる。狩猟採集時代から嫁入り、婿入りはあったと推測されるので、農耕牧畜の以前から父系家族とか母系家族とかが発達したという理論が作られています。
いずれにせよ、経年により大家族は世代交代する。年長の親は消え、子はその子を作り養育します。大家族の構成員は数年の間は変わらないが、十年もすると構成を変えざるを得ない。
人間の集団である限り、時間経過により一定の速度で成員全体の高齢化は進む。年長者は引退し、思春期を終えた子供は青年として家族を支える側になります。家族の内部でも親は老いていく。年少の弟妹は成長してくる。
上が消えることに伴って下に新しい成員が入る。ところてん押し出し式(push out)システムです。年功序列の起源ですかね。






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子供にはなぜ人生がないのか(3)

2020-07-18 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


世界を仲間の視座から見て、それがだれにでも同じに見える客観的な存在だと感じとると同時に、その中に自分という一個の客観的な身体を認める。世界の中を、目的を持って動く存在としての自分の身体を、他人の目で客観的に見ることができます。その(世界の上から他人の目で俯瞰して、客観的に見た、主人公ではない)自分の身体が動いていく過去と未来のできごとを一編の物語として記憶し予測する。こうして人類は、自分の人生を持つようになったのでしょう。

私たちは、成長の過程で何歳くらいから人生というものを理解するのでしょうか?
どうも、幼児の発育段階において、この機構は、三歳くらいから十歳くらいまでに発現するようです。多くは小学校低学年くらいで、児童は、自分には自分だけの人生があることに気づきます。
しかしそれはまだ、大人の人生と同じものではありません。親の家の外側に無限に広がる荒涼たる世界。それが恐ろしい広さであることを知ることで子供は自分の人生に気づく、といえます。その世界を高いところから俯瞰し、そこに見える小さな自分が全然中心にはいないことを体感するまでには、このあと倍以上の時間がかかります。
世界の隅のほうで懸命に生きていく極小の自分の人生を、ずっと高いところから見下ろすことができなければ、大人の人生とはいえないでしょう。

生まれて成長して世界と交わり、世界を次の世代に引き継いで消えていく。人生を一言でいえば、単純な物語です。大人は皆、この物語を紡ぎながら生きていきます。それを人生という。
しかし子供はこのことを知らない。大人が語る人生の物語を聞いても身体では理解していない。「不思議の国のアリス(一八六五年 ルイス・キャロルLewis Carroll Alice's Adventures in Wonderland)」は分かるが「平家物語(一四世紀以前 作者不詳 伝信濃前司行長)」は分かりません。梵鐘の音を聞いて人生という図式を身体で感じ取れるようになるのは、思春期を過ぎてからです。






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子供にはなぜ人生がないのか(2)

2020-07-12 | yy74子供にはなぜ人生がないのか


拙稿の見解では、私たちには自分の人生を一編の物語のように理解する仕組みがある(二〇〇三年 ピーター・ゴルディーPeter Goldie「人の記憶された過去:説話的思考、感情、および外的視座 One's Remembered Past: Narrative Thinking, Emotion, and the External Perspective,2003」)。自分を客観視する機構です。だれもがその機構を使っている。当然すぎて自覚していませんが、自分も皆とまったく同じ機構を使っている、とだれもが分かっています。
私たちの身体にそういう機構(拙稿では「人生保持機構」と呼ぶ)があるおかげで、私たちはおたがいの人生を認め合い、信頼関係が成り立つ。大人ならばだれもが共通に認識している現実を土台にして緊密な協力関係が成り立ちます。
人と人とが約束できる。それを守れる。それを守らせる社会的な仕組みを作れる。家族を作り村を作り国を作れるようになります。社会ができ、法律や制度ができ、契約関係が成り立ちます。人類に特徴的なこれらの構造は、ミクロに見れば、一人一人の人生を社会に織り込むことによってできあがっています。
これは、だれもが同じように見ている世界という客観的な環境の中で目に見える自分の身体が動いていくという認知機構を身につけている人類特有の能力です(拙稿19章「わたしはここにいる」)。客観的に自分の人生を見ることができるというこの能力を使って人類は地球全体に繁殖し拡散しました(拙稿22章「私にはなぜ私の人生があるのか」)。
人類以外の動物はこのように自分を客観視する機構を持っていそうにありません。チンパンジーもゴリラも、自発的に勉強したり、健康に留意したり、資産形成をしたりしているようには見えませんね。
人間以外の動物には、客観的な人生(動物生)がない。したがって過去もなければ未来もない。(拙稿の見解では)言語を持たないからです。人間でも、赤ちゃんのときはそうです。老人性認知症になった場合もそうでしょう。ひたすら現在を生きる。邪心がない、聖なる精神ともいえます。
一方、大人の人間は、自分が置かれている世界を自分の外側にある客観的な存在物であると見ることができる。誰もが同じ世界を見ている、と思えます。






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子供にはなぜ人生がないのか(1)

2020-07-04 | yy74子供にはなぜ人生がないのか

(74 子供にはなぜ人生がないのか? begin)



74 子供にはなぜ人生がないのか?

子供には人生がない。猫に人生(あるいは猫生)がないのと同じです。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」などと猫は言いません。目のまえにネズミが現れれば捕って食べる。それだけです。明日のことは考えもしない。したがって人生(あるいは猫生)がありません。
子供も同じ。朝、学校に行く。授業のほかにサッカーをする。終われば塾に行く、あるいは家でゲームをする。明日の心配はしません。明日使う道具をランドセルに入れたりぐらいはするが、家計の心配はしません。つまり、子供に人生はない。
子供は自分で自分の生活費を確保する必要がないからです。逆にリアルな人生がある大人にとっては、とりあえず今日と明日のサバイバルが必要です。明日以降の食料や生活費を確保しておかなければなりません。遊んでいる暇はない。出し抜かれたくなければいつも全力で走るしかない。忙しい人生を送るしかありません。
のび太にリアルな人生があれば、サバイバルで忙しいはずです。タイムマシンで未来へ行ったり、空き地でジャイアンたちと遊んだりしている暇はないでしょう。
大人は休む間もなく、自分の生活に関係するシステムをチェックしたり、お金を数えたり、会社に行って給料をもらったり、しなければなりません。

子供は楽そうに見えます。幸せそうです。しかしいやなことも多そうです。
保護者がいるから、勝手な生活はできない。大人がするような、居酒屋に行ったりショッピングに行ったりライブに行ったりする自由がない。家計を維持したり生活費を獲得しに出かけたりする必要がない代わりにお小遣いはわずかしかない。したがって現実的な計画が立てられない。
明日の生活費を確保しておく必要がない。したがってもちろん明日の仕事もない。実際、子供では、仕事をしたくてもだれも相手にしてくれないでしょう。結局、目的をもってするべきことはありません。
それに子供の毎日は、怖いものが多い。
親が叱るから怖い。先生も叱るから怖い。叱らない先生はもっと怖い。友達が怖い。友達に仲間外れにされるのが怖い。暗い夜道は怖い。幽霊が出るから怖い。人さらいや変な人がいるから怖い。

子供の毎日は楽しさと怖さの繰り返しです。それ以外はない。楽しさを求めて、怖さを避けていればよいだけです。
大人の毎日にもそれらはありますが、それ以外に大人にはもっと重要なもの、自分の実人生があります。楽しいことも怖いこともそれが自分の人生にとってどのような影響があるのか、まずそれを感じ取る必要があります。
自分の人生、それは瞬時も忘れてはいけない現実です。人生で失敗してはいけない。損をしてはいけない。損をしても後で取り返せないといけない。
大人は現実の社会で自分の人生をうまく操作し続けることで忙しい。明日のために今日は我慢している。子供のように今日の今を心から楽しんだり怖がったりしている暇は、ほとんどありません。それが大人と子供の違いでしょう。





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