現代のスマートフォン世代は、三十年前の携帯電話が肩に担ぐ型だったことを想像できないでしょう。もちろんカメラもインターネットもついていない雑音まみれの音声通信です。
競争市場では進化した機種が古い型を跡形もなく消しつくしてしまうのです。進化した結果だけを見ると、古い型が存在していた過去を想像できません。今の生物のうち最も単純な細菌などがスマートフォンだとすれば、原初の生物は、肩掛けフォンかあるいは壁掛けダイヤル電話くらいのものでしょう。スマートフォンの先祖とは思えないほど見かけも性能も違います。
何よりも、部品や材料が違う。クリック型生物の基本部品である核酸ベースやアミノ酸やリン脂質は、たぶん原初生物の部品とは違うのでしょう。それら部品の連結方式も、もちろん違います。
それら過去の原初生物の姿は部品や構造とともに完全に消滅しています。現在の地球を見渡しても、手掛かりは見つかりません。
失われた証拠の痕跡を収集し、理論と実験によって生命の起源を追求する試みは、近い将来、科学の最大の課題の一つになるでしょう。
私たちの身体は、クリックが述べた中心教義に従って作られたシステムです。このシステムは、約四十億年前、若い地球の表面で偶然できあがった自己合成機能を持つ有機分子群が大発展したものでしょう。たしかに奇跡と言いたい気にもなります。しかし、この世に起こったことは、起こるべくして起こった、とも言えます。
結果はクリック型(DNA,RNAの配列で身体の構造が決まる生物の型。これ以外の型の生物は見つかっていない)の大勝利であった。
クリック型以外の自己複製システムがあり得るのか?実際、過去の地球であり得たのか?地球以外の天体でそれはあり得るのか?それらの問いに関して、現代科学の知識では、私たちはそれを考える手掛かりさえ持っていません。
「この手紙はライフレターと言います。これと一字一句まったく同じ手紙を五通書いて知り合いの方に送信してください。そうすれば地球の生命は存続でき、あなたにも幸運が訪れるでしょう」■
(58 生物学の中心教義について end)
なぜクリックの中心教義に従う生物はそれ以外の生物を食べつくすことができたのか?
クリック型の生物がやたらに強かったということでしょう。なにしろ細胞質膜に囲まれた安全な空間の中でDNAを正確に複製していく。細胞が分裂すれば同一の生物がどんどん増えていきます。
そのような生物は試行錯誤で偶然獲得した優秀な身体を子孫に伝えていきます。優秀な子孫が急速に増えて環境を占領します。DNAの進化が始まったということです。
ダーウィンがいう適者生存、逆に言えば不適者排除が始まります。つまり生存性能がよい新しいものが出てくると、その環境空間の中で、すぐ古い型のものをほとんど入れ替えてしまいます。現代のパソコンや携帯電話みたいです。
クリック型生物は互いに競争し、時間の経過とともに進化して、どんどん生存性能が良くなっていきます。それ以外の原初生物に比べて、やたらに強く、他を食べつくすでしょう。
古い型のパソコンなど世の中から消えてしまいます。絶滅生物は骨以外残さずに消えていきます。単細胞生物しかいなかった原初の地球では、絶滅した単細胞は跡形もなく消えました。クリック型以外の原初生物は、捕食から逃れた少数が生き残っていたとしても、生存環境での栄養を奪われて消滅したはずです。
他の細胞を取り込んで溶かして消化する性能も、進化したものとしないものとでは、相当な格差ができるでしょう。結局、すばやく進化できて大量増殖できるクリック型生物が、それ以外の生物を採食しつくしただろう、と思われます。
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こんなプロセスを何億回となく繰り返しているうちに、RNAポリメラーゼやDNAポリメラーゼをなんとか複製できるDNAが偶然配列されることもある。そういうDNAを備えた細胞は同じDNAをどんどん複製して大きくなります。
さて、ここまできて、この原始細胞が分裂する機能を持てば、もう一種の単細胞生物といえそうです。
細胞が分裂するためには、まず細胞質膜が二倍くらいの面積に増える必要がある。
そうなったうえで、複製されたDNAのコピーどうしは反発しあって互いを排除した細胞質膜で囲われるようになる必要があります。そこまでの機構ができ上がれば、細胞は分裂し増殖が始まります。ここまで、まあ、試行錯誤の偶然に頼るしかないでしょう。ポリメラーゼの類ができて部分的な複製が始まってから、数千万年くらいかかるでしょうかね。
ここまでうまくできあがった細胞は、クリックの中心教義を満たしていると言えるでしょうか?まずDNAの配列に従ったタンパク質は生産されます。それらのタンパク質の働きでDNAは複製されます。複製されたDNAごとに細胞分裂によって新しい細胞ができます。このサイクルは繰り返されます。
もちろんDNA,RNA,タンパク質、細胞質膜その他の生体構造の材料、部品としての栄養素は細胞周辺に常に供給されるという前提が必要です。そうであればこの原始細胞は、クリックの中心教義に従う生物である、と言えます。
さて、現在の地球では、基本的にすべての生物がクリックの中心教義(DNA,RNAの配列で生物の身体が決まるという原理)に従って生存しています。つまり、この結果からみれば、原始の生物のうちこの中心教義通りのシステムを獲得した生物だけが子孫を残したということになります。逆に言えば、そのほかの繁殖のやり方で生存していた生物はすべて、あとかたもなく絶滅してしまった。おそらく食べられてしまった。ということでしょう。
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部分的にでも複製が起こり始めれば、時間の経過によって同じような分子群がその場所で濃密に増殖することになります。この結果できる生成分子が生物の構造体である有機ポリマーを作る重要な部品分子(モノマー、プリン、アミノ酸、糖など)の生成を媒介する触媒機能を持つと、それは不完全ではあっても一種の酵素となります。
そこに、またまた偶然に、モノマーの重合を促進する触媒(ポリメラーゼ)の役割を、不完全ではあっても、果たす分子群が作られる。そういう分子群が偶然、また複製される機構に組み込まれる。そうなると、現在のすべての生物が持っているRNAポリメラーゼの原型のようなシステムができたことになります。
さて、ここまでは来るとして、ここからクリックの中心教義を忠実に実行する生物の原型はどうすれば出来上がるのか?道は相当遠いようです。
粘土や多孔質岩石の微小な間隙にポリメラーゼの類が高濃度に集積されて、それらが製造するRNAやDNAやタンパク質の類がうようよ浮かんでいるゾルゲルのようなネバネバした物質ができたとしても、それらはまず境界膜がないので、細胞のようには増殖できません。
細胞質膜の部品であるリン脂質、コレステロールなどを製造するタンパク質が偶然できて複製されていけば、部品は自然に絡み合って細胞質膜ができてきます。リン脂質などの両親媒性分子(水と油の両方に溶ける分子)が凝集するとシャボン玉のような球形膜が自然にできます。もしこうなったとすれば、DNAやRNAやタンパク質やゾルやゲルを囲い込む球形に閉じた細胞質膜ができあがることもあるでしょう。
この原始細胞の中にはめちゃめちゃな配列のDNAがあってめちゃめちゃなたんぱく質がつくられていきます。ふつうめちゃめちゃなたんぱく質が働きだすと細胞はめちゃめちゃな状態になって崩壊します。
そうなるとまた、振出しに戻ってRNAやDNAをめちゃめちゃな配列で作り始めるとこらから再出発が始まるでしょう。しかしその場合、近くにうまく働く細胞がすでにできているとすると、それが周辺の出来損ないや発達途上の原始細胞を食べてしまうでしょう。まあ、食べられて細胞膜内に取り込まれれば、ちゃんとした細胞の一部分になれるわけなので、生物進化の観点からは、成功と言えます。
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モノマーをポリマーに結合する機能を持つ触媒高分子(ポリメラーゼ)が出てくれば、そこから先の反応は早い。周辺にはやたらに多くのポリマーが組み上げられ、互いに絡み合い、触媒しあい、なかにはポリメラーゼ的な役割を果たせる高分子がまたまた作られるはずです。
偶然を頼りにする、はなはなだ非効率な、それでも、自己複製システムだと、言えなくもありません。
現在の地球上では、栄養に富んだ有機分子群があれば、とたんにバクテリアなどに食べられてしまいます。生物が皆無の太古の地球の様相は、私たちには想像しにくい。直感に反します。無菌室の中では、たしかにおいしいスープもいつまでも腐りません。
それでも酸化還元や熱分解がゆっくり起こります。紫外線や宇宙線を当てれば高エネルギー反応も起こる。いずれにせよ、休みなくゆすったりかき回したりしていれば変化も少しは速くなります。
百万年の単位でかき回していれば、スープの中にはよほど稀な複雑な有機分子のかたまりもできてしまうことがありそうです。そうなると、めちゃめちゃな配列のDNA,RNA,タンパク質、糖鎖などがぐちゃぐちゃに絡み合ったゾルやゲルのような物質があり得ることになります。
ほとんどは何の意味もないただ大きくつながっただけの高分子群です。しかしそこでまた偶然に、それらのいくつかがポリマーの複製機能を持ち、かつまた自己複製の機能を兼ね備える高分子となることも想定できなくはありません。
単位部品のつながり方が偶然ある機能を持ってしまう。その機能はRNAなど核酸配列を複製するものになるかもしれない。複製された核酸配列がまたある機能を持ってしまうこともあり得る。そうなると、複製されたものがまた、部分的であっても、自己の一部分を複製する。一種の不完全な自己複製システムとなります。まったく偶然が頼りですが。
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どこかで発想を変えなければいけないのかもしれません。自己複製をする機構の設計はあきらめるしかないようです。
それでは設計によって実現することをあきらめたとして、ほかの方法で、どうしたら自己複製機構ができあがってくるプロセスを想定できるのか?
偶然に頼る、という方法があります。猿にタイプライターをたたき続けてもらえば、いつかは、シェイクスピア戯曲が書き上がるというアイデアがあります(無限猿定理)。筋書きの構想も作文も推敲も必要ない。無限の時間がたつうちにはどんな長編戯曲も書き上がるはずです。しかしこの想定には、その前に宇宙の終焉が来る、というオチがついています。
では、猿とタイプライターのペアの数が数兆組あって、猿が打鍵する速度が一秒間に数万回の超高速だったらどうか?シェイクスピアの戯曲ではなくて芭蕉の俳句ならどうか?うまく設定すればできそうな感じもしますね。
クリックの中心教義にこだわりすぎると、これ以上話が進まない。ジョン・フォンノイマンの自己複製概念も同じように物理的には実現可能性から遠いようなので、ここでこれらの教義や概念をちょっと脇に置いておいて、まず偶然に頼って進む道を選んでみましょう。
生物の構成部品である各種有機分子は、適当な温度で適当なイオン濃度の水溶液中に置かれると化学反応を起こしやすい。偶然に放置しておけばいろいろな高分子ができたり壊れたりを繰り返します。偶然おもしろいものもできる。種々の無機化合物を含んだ粘土、アスベストなど多孔質の固形物と水溶液がよどんでいる状態では、結晶や高分子が成長したり風化したりを繰り返します。
多孔質固体の形状が、偶然適当に、ミクロなフラスコや迷路やフィルターの役を果たすような形になっていれば、有機分子の反応は起こりやすいでしょう。ゲル状の有機高分子の絡まり具合によってはうまい具合に触媒効果もでます。そのようなミクロな構造が稠密に集積されていれば、マクロな分子(ポリマー、DNA,RNA,タンパク質、糖鎖など)の単位になる部品分子(モノマー、プリン、アミノ酸、糖など)も集積されるでしょう。
そのようなドロドロした液体を(川や海の水流などにより)無限回に近くかきまぜているうちには、小さな分子がくっつきあってだんだん大きくなり部分的にポリマーのような繰り返し構造をもつ高分子に成長する場合もあります。偶然に任せればほとんどは機能を持たないガラクタの高分子ができますが、偶然たまたま、部品の連結重合を媒介する触媒機能を持つ高分子もできることがあるでしょう。
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だいたい人間の感性は複雑なものが嫌いで、単純なものが好きです。単純さに美しさを感じます。物理学など、ニュートンやアインシュタインは単純な数学を使って森羅万象を描き出すところに快感を求めて探求したのではないか、と思えます。
ところが生物学はそう単純にいきません。ダーウィンの作り出した進化論は比較的に簡単な原理ですが、それを適用することで作り出されることになるはずの生物体はかくも千差万別多種多様、複雑極まりなし、という状況です。
この複雑さは、もう少しなんとかならないのか?クリックの後継者である現代の生物学者たちは内心そう思っているでしょう。
今世紀に入ってからも、一生懸命に研究を進めればよい見通しが得られるのではないだろうか、と頑張ってきました。しかし研究が進むほど、タンパク質の種類は増え、タンパク質相互の反応関係は複雑なネットワークであることが分かり、最も簡単な単細胞生物でさえも、構造や機能はやたらに複雑なことが分かってきました。
三十八億年前の地球に出現した最初の生物は、ずっと単純だったはずであったろう、とはいうものの、その具体的姿は描けていません。
問題は、自己複製という生物の基本機能を備えるためには単純な構造では無理である、ということらしいのです。生物構造体が自己複製するためには、DNAを複製し、(ミトコンドリアなど)エネルギー発生装置や(細胞骨格など)支持構造や膜や壁や液状物質など細胞の機構内容をすべて二倍に増やして、それらすべての機構を左右に分離して再組立てし整頓し、二倍に増大した細胞の中間部分をくびれさせて二個の細胞に切り分けなければなりません。
こういうことを自動的に進展できる機械は人工では作れていません。生物の活動は核酸、タンパク質、糖鎖など有機分子の重合体を切断、接着、ねじりなど分子間エネルギーにより変形していくことで実行されるものですが、これらの変形を媒介するタンパク質の種類は一個の細胞内で数千から数万種あります。タンパク質一個一個は工作機械でたとえれば、一台のNCマシーンくらいの複雑さですが、こういうものを数千種そろえるとなると巨大な工場の数百倍の複雑さでしょう。現代の人工工作物にこういう規模のものはありません。
クリックが活躍した前世紀のころは、生命の神秘、などといって科学者も感嘆しているだけでしたが、今世紀に入って生命科学の進展により生物の細部構造が次々に解明されてくると、現代の科学者はその複雑さに圧倒されそうになっているようです。
コンピュータプログラムの基礎理論を確立した数学者ジョン・フォンノイマン(一九〇三年―一九五七年)は自己複製機械の原理を追求し、方眼紙形式の有限状態システム(セルラーオートマトン)の上で自己複製する数学模型を描き出しました(一九五七年死後出版 ジョン・フォンノイマン『自己増殖オートマトンの理論』)。そこに示されたシステム原理は、自己増殖するシステムは本体の内部に設計情報を記載した記号列を保有し、それにしたがって本体と同一の組み立てを行うと同時に記号列を複製する、というものでした。これは後年クリックが提唱した生物学の中心教義と同一の内容を抽象的に述べたものであるといえます。
この原理により構成されるシステムは、数学モデルとして抽象的に記述する場合にもかなり複雑性が高いものになってしまいます。まずシステムを記号によって表現するDNA的なメモリー媒体、つぎにDNA的記号メモリーを読み出して部品から自己自身を構築するシステム、そしてそのシステムはまた記号メモリーの複製もする必要があります。
メモリーの読出し・部品組み立て機構とメモリー複製機構だけでもかなり複雑なものとなるのに、さらにそれらの機構を部品から自動的に組み上げる機構が必要です。そのうえ、それらすべての機構を組み上げる機構が必要になる。設計を続けると際限なくシステムが大きくなりそうです。
かなり上手に設計して、有限の大きさのシステムで自己複製ができる設計が完成したとしても、最初のシステムは人間が作って部品を十分に供給してやらないと自己複製は始まりません。物理的システムとしてこのような人工機械が作られたことはありません。規模が大きくなりすぎるからです。
さらに自然環境の中で自己複製の機能を持つ自動機械は、一個の都市のように複雑で巨大な物理的システムになってしまうでしょう。何を目的として作るにしろ、現実の世界でそれほどの規模の人工構造物が作られることはなさそうです。
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では、それに伴って生命の謎がなくなってきたかというと、そうではなく、ますます謎は深まる。クリックのころとは別の意味で、中心教義は、その存在そのものが大きな謎として浮かび上がってきました。
いったいなぜ、生物はここまで複雑で精密な構造を完璧に複製して子孫に継承するのか?人工の機械は、自己複製などまったくできません。人間が製造する機械で最高に複雑なものは原子力潜水艦や宇宙ステーションなど数百万個の部品から組み上げられていますが、生物に比較すると単純極まりないといえます。
生物はどうかというと、最も単純な細菌などでも遺伝子の数にして数千個、タンパク質の種類も数千以上となるので、核酸塩基の数が百万、アミノ酸の数が数千万となり、その他の糖鎖、高分子鎖も部品と数えると数億の部品数になり、その複雑さは、それぞれ構造の違う宇宙ステーションを数百基くらい組み上げたシステムに匹敵するでしょう。
これだけ複雑なシステムが毎回正確に間違いなく整然と複製されていくプロセスを人工の機械と比較して想像すると、気が遠くなるほど高度な設計がなされていると思わざるを得ません。
生物以外のものに比べて、生物というものはなんと複雑にできているものであるのか?このようなものがどうしてできあがったのか?という謎は現代科学最大の疑問の一つでしょう。
クリックが発見した中心教義によって、生物の構造原理は分かりました。この教義は「生命とは、自己を複製する自動機械である」というデカルト以来の生命観を、具体的に分子構造を示すことによって立証しました。しかし、デカルトの時代に機械の代表として考えられていたゼンマイ時計や現代の自動運転自動車、さらには宇宙ステーションを持ってきても最も簡単な構造の細菌に比べれば月とスッポンくらい複雑さの程度が違います。もちろん細菌が月です。
さらに細菌を百万倍くらい複雑にしないと作れないようなゴキブリや人間の身体などの構造の複雑さを想像すると、気が遠くなります。
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(58 生物学の中心教義について begin)
58 生物学の中心教義について
生物学の中心教義(central dogma)とは、DNA構造の発見者であるフランシス・クリック(一九一六―二〇〇四)によって一九五八年に提唱された地球生物すべてに共通する生物体の構成法則です。
細菌、動植物あるいは人間であろうとも、あらゆる生物の身体は物質として同一の部品から同一の構成法則に従って作られています。
DNAの配列(genotype)からアミノ酸の配列順序が一義的に決まっていて、それによりタンパク質の構造が決まり身体の形状や動き(phenotype)が決まってくる。身体の形状と動きがそのDNA配列を複製する能力を維持できる場合、その生物は自身と同じ形状の子孫を残し種として存続する。そういうような物質分子の部品が秩序よく複雑かつ巨大に組み上げられたシステムが生物である。という法則です。
たしかにこれは現代生物学の基礎原理です。
しかしこの法則を中心教義と名づけたことがおもしろい。
中心教義とは、ふつう宗教で使う信仰の原理などを指す語です。科学の仮説なのに、クリックはなぜこんな宗教のような用語を使ったのでしょうか?後日クリックが語ったところによると、彼は単純にキャッチコピーとしてインパクトの強い語を使いたかったというだけだったそうです。
しかし現代生物学の父祖ともいえる業績を残したクリックの教えはまさに偉大な教義とも言ってよいでしょう。自分が基礎を作った学問が巨大な科学に育っていくことを見越して、彼は、教祖のような言葉を残してみたかった、と言えなくもありません。
筆者は大学生のときアメリカ帰りの新進の若い生物学助教授からこの言葉を聞き、それこそこの世の謎を解き明かす秘儀を教わったような気になりました。生命の神秘というものはこれだったのか、というような意味で、まさに秘密の教義でした。
その後数十年、今日までに分子生物学は大発展し、多くの生物のDNAは解明され、細胞構造はもちろん細胞を構成するタンパク質、核酸、糖鎖その他重合分子の構造、機能、システム機構が詳細に解明されてきました。遺伝子工学の技術は生物種を改変し人体を改造する可能性までを示しています。
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