結果として、国民の世論はかなりコントロールされているように見えます。その原因は回線の狭窄なのか、プロパガンダなのか、国民の口コミ、扇動されたナショナリズムなのか、言語とカルチャーの壁による断絶なのか、実態は最後までつかめません。
欧米や日本など自由言論の国のマスメディアは政府から独立していて各社が自由競争市場で消費者の選好を奪い合っている、ということになっています。
市場競争では各社は利益最大化の戦略をとる。その利益なるものが短期を目指すのか、長期なのか、そこにはメディア企業のカルチャー、ジャーナリストのプライド、思想、人生観など多々の不確定要素があってうまく理論化はされていないようです。それが読者、視聴者に与える世界観にどう反映されているのか?優秀な研究者が現れてほしいものです。
左の読者を囲い込んで左、あるいは逆、と各社は(顕示的なあるいは暗示的な)看板を立てて安定経営をしています。その同じ顧客にいつも買ってもらえれば経営が成り立つ。そういう経営をこころがけているのでしょう。
売れる似顔絵かきは、見栄えの良い顔を描いてくれます。客は美しい自分の肖像を見たい。作られた自分の顔を見ているとは思っていません。自分はきちんと現実を見ている、と思っています。そしてそう信じているのであればそれが現実といえます。
現実は適当に美しく適当に醜く適当に怖く適当に安心できるものになっています。それは私たちがそうでありたいと望みそうである描像を好むからといえます。その好みに合わせる情報を集めていて、それを売るメディアが買われるからです。
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これはインターネット、マスメディア、ミニ/マイクロメディアからコメント書き込みまで同じ状況です。これを間違える人は発信機会を失って消えていくからです。
発信力の保全のために重要なことは、スポンサー、視聴率、閲覧数、販売数、そして結局は視聴者、読者の満足獲得です。その裏には政府権力の意向の忖度がありそうですが、ふつうそんな余裕はないことになっています。
ある国では、政権の検閲とプロパガンダで報道の自由が抑えられています。インターネットで世界中の情報が自由に閲覧できるならば政府の検閲やプロパガンダは突破されるはずです。しかし、実際はそうなっていません。
国境で情報が遮断されている。情報回線が実際に切断されているか、故意に歪曲されているかです。
政府による直接の、あるいはプロバイダーの忖度による情報の遮断、削除、改変はあるのか、ないのか、直接の証拠はなかなか見えません。
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現代社会の構造は常に欲望を刺激することで回転するようにできているらしい。自動車メーカーは常にモデルチェンジしなければ利益が出ない。アパレルは季節ごとにファッションを変えなければ生き残れない。
スマホは毎年OSをバージョンアップしなければなりません。アプリはどんどん進化させないと放棄されます。
テレビを見ていると良く分かります。いつも新しい情報だからこそニュースといえる。使い捨てです。飽きられたら終わり、とテレビ会社は番組をプロデュースします。だから視聴者は毎日テレビを見なければなりません。そうできればスポンサーはついてきます。そうしてテレビは存在し続けます。
マスメディアは羊飼いです。いつも新しいおいしい草が食べられるから羊は羊飼いについていく。羊は飼われていることに気づかない。新しそうなおいしい草を食べているだけです。
そうであるから世界では次々に怖いことが起きる。残虐なことが起きる。現代は無慈悲な不幸が蔓延しています。昔はよかった、こんなではなかった気がする。現代人は不幸だ。自分はまだ安全だ。だが、次は危ない、と思っています。
テレビはそれを教えてくれます。そうしてそうすればマスメディアは存在し続ける。という現代社会の構造になっています。
テレビや新聞はもう古い、いまやインターネットが主流の情報源だ、といわれます。しかし、インターネットのコンテンツを作っている人たちは外国のテレビや業界の流行を追っています。結局、情報の源泉は政府、行政、警察の発表であるとか、欧米のメディア、あるいは権威ある研究機関の見解発表などです。
もちろん、それら情報源からのインプットデータは編集者による取捨選択によって編集され、現実、あるいはバーチャルリアリティが作られているといえます。これら編集者の選択基準は何なのか?当然、彼らの存在の保全、営利、政治的地位の向上でしょう。
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そして現代に至り、人間の幸福は最高点に達しました。若死にせずに健康な老人になれる。欲しいものはだいたい手に入る。だが、まだまだ欲しい。より大きな幸福を求める人類の活動は永久に続きます。
日本はもちろん、世界中のたいがいの人は、今後もますます収入は上がり続ける。寿命は伸び続けます。昔に比べると不条理な境遇に陥る可能性は少ない。たいていの人は、なかなかひどい不幸にはならない。
現代では、もう世界戦争は起こらないでしょう。ひどい病気はいずれなくなるでしょう。SDG’sはまもなく達成されるでしょう。それでもいやなことは残ります。いやなものはますますいやなものになってきます。
暴力、いじめ、貧富の格差、権力格差、差別、侮蔑、屈辱、そう簡単にはなくなりません。人類の身体に奥深く作りこまれている社会性からくるものは権威や法律で抑圧してもどこかに出てくる。
人生の快楽を追って力いっぱい前へ進んでいるのに手に入れた快楽は長続きしない。慣れる。飽きる。さらに大きな快楽のために前に進む。人生は快楽ランニングマシーン(hedonic treadmill)の上を走っているだけのようです。
人間はその快楽を所有することが習慣的となってしまうと、それを所有することは必要と思うだけで特に幸福であるとは感じなくなってしまう(一七五五年 ジャン・ジャック・ルソー「人間不平等起源論Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes」)らしい。
現代の成功者といわれる人々は、成功するほど果てしなく大きくなる欲望を追い続けることが人生となり、その忙しさと過労で幸福とは程遠い生活を送っています。逆にいえば、そうである人しか成功できないのでしょう。
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(84 幸福な現代人 begin)
84 幸福な現代人
現代人は人類史上、最高の幸福期にあります。そうでないと思う人はどの時代でも不平不満を言う人でしょう。
問題は、幸福というものが相対性理論に従う、というところにあります。今は幸福だと自他ともに認めても、次の日にはもうそれに慣れてしまってさらに多くを求める。
人間というものは、そもそも世界をどこまで旅しても幸福の国にはたどり着かない。
そしてそれが分からない。
分け入つても分け入つても青い山(一九二六年ころ 種田 山頭火)。
それが人生だと達観すればよいが、そうはいかないのが人間のさがというものです。
昭和の二層式洗濯機に比べれば現代の全自動洗濯乾燥機はすばらしい。その二層式洗濯機も洗濯板よりは格段に楽です。それでも裏庭で洗濯できれば楽です。井戸がない昔は川岸まで下りて行って洗った。その時代でも洗うほどの衣類を持っていることは幸福だったでしょう。
衣類を纏うことから人類の文化は始まったといえますが、そこから幸福を求める永遠の旅が始まったともいえる。
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