小天体Aの話にもどれば、この物体の存在は現代の科学によって理論的に推定される、と言えます。木星の衛星エウロパが一六一〇年にガリレオ・ガリレイによって発見されたころは、木星の衛星としてエウロパの千分の一ほどの大きさしかないユーポリーのような小天体があるのかないのか、考える根拠もなかったはずです。十九世紀になって、ジェームス・マックスウェルが重力場の高次効果を理論化したことでユーポリーのような小天体が存在する可能性が確かなものになりました。二十世紀の後半に、宇宙探査機が小天体に近づいて近接撮影できるようになって、直径一キロメートル以下の小天体の存在が確認されるようになったことから、現代では科学者は自信を持って「小天体Aのようなものはほぼ百パーセント確実に存在するだろう」と言えるようになりました。しかしまあ、宇宙探査や天文学に興味がないふつうの人には、どうでもよい話です。
未知の小天体Aの存在は、惑星科学の理論によって支えられている。逆に、小天体Aが発見されれば、その事実は現代の惑星科学の理論の正しさを支えることになります。しかし、だれもそれを試みないという理由で小天体Aが発見されていないとしても、小天体Aの存在を予測する現代惑星科学の理論が否定されるわけではありません。その場合でも科学としては、小天体Aの存在を高い確率で確信する、という立場をとり続けるでしょう。
こういう話に、実は科学の正体が現れています。科学は客観的世界の存在を確信する。しかしその、「存在を確信する」という言葉の意味は、だれもが納得できる理論にしたがって実験し観測すれば、理論どおりの結果が得られるはずだ、という信念です。それ以上でもそれ以下でもない。
大昔から、だれもが納得できる理論にしたがって、私たち人間は協力し、道具を作り、道具を操作して、じょうずに生活してきました。たとえば、ヤカンに水を入れてガスコンロに乗せて火をつければお湯が沸く、という理論を信じている私たちは、その理論に従ってお湯を沸かしている。
そのようなだれもが納得できる理論のうち、特にすぐれているものが科学です。その科学理論を使って推測すると、木星の周りを回っている未知の小天体Aの存在は疑うことができない。小天体Aは存在しないと言い張ると、現代科学があやしいと言っていることになってしまう。それでは困ります。私たちが毎日信頼している道具も制度もあやしいことになってしまいます。
自動車がまっすぐ進む仕組みもあやしい、コンビニで買う弁当もあやしい、となると、私たちはどう生活すればよいのか? そういうことから私たち現代人が困らないためには、科学は信頼できなければならないし、したがって小天体Aは存在しなければならない。
木星の周りを漂う未知の小天体Aは、それがないと私たちが困るからそれは存在している。つまりようするに、この世に存在するものはすべて(拙稿の見解では)、それが存在していないと私たちが困るから存在しているといえます(拙稿13章「存在はなぜ存在するのか?」)。
遠い宇宙の話はこれくらいにして、もう少し、身近な「未知の存在物問題」をとりあげましょう。ブロンド美人の目はなぜ青いか? いや、青い目の遺伝子は存在するか?
青い目をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド(一九二一年 野口雨情『童謡「青い目の人形」』)という古い童謡があります。実際、北ヨーロッパ出身の人々の多くは目が青い。アメリカでも北欧からの移民の子孫が多い中西部では、目が青い人が多い。筆者が若いころ、アメリカの田舎をドライブしていて村のレストランに入ると、客もウエイトレスも全員、完ぺきに目が青い人ばかりで、その青い目でじろっと見られている感じがして居心地がよくなかった記憶があります。そのアメリカ人も青い目の人の割合は近年、急速に減っているそうです。青い目の人は子供をあまり産まないのか、あるいは青い目の人が青い目でない人と結婚するからなのか、移民してくる人々の中で青い目の人の割合が減っているのか、その理由はどれでしょうか?
目の色が遺伝することは昔から知られていました。青い目は劣性遺伝するようです。一九世紀に発見されたメンデルの法則によれば、両親がともに劣性遺伝子によって現われる特徴を持つ場合、子供にはおなじ劣性遺伝の特徴がかならず現れる。つまり、青い目の男は、青い目の妻が青い目ではない子を産んだ場合、それは自分の子ではない、と思ってよい。青い目の男は、自分の子を確実に産ませたいならば、青い目の妻をめとるべきである。ということになります。
そうであるならば、青い目の男は青い目の女をパートナーとして好む傾向があるのではないか?こういう仮説を検証しようとした実験があります(二〇〇六年 ブルノ・レング、ロンニ・マシセン、ヤンア・ヨンセン『なぜ青い目の男は同じ目の色の女を好むのか?』)。
青い目は、虹彩にあるメラニン色素の粒が小さくて少ないため、波長の短い光を散乱して青く見える。空が青いのと同じ理由です。つまり、虹彩にメラニン色素を作る酵素たんぱく質の生成が阻害されると、目が青くなる。メラニンが作られる過程のどこかで障害が起これば、メラニンは作られない。その障害はいくつもありますが、そのうちで次のような機構が研究されています。
生物細胞内でメラニンは(アミノ酸)チロシンを重合させることで形成されますが、このチロシンの移動を調節している酵素たんぱく質(Pたんぱく質)はOCA2と名付けられた遺伝子の暗号コード(核塩基配列)にしたがって合成されています。ところが、このOCA2遺伝子の暗号をDNA核塩基配列から読み取り始めるスイッチ機構に働く別の遺伝子があります。こちらの遺伝子はHERC2と名付けられています。青い目の人はこの遺伝子HERC2の暗号を構成するDNAの核塩基配列の一つが他の目の色の人に比べて入れ替わっているためにメラニンをあまり作らない、という研究報告があります(二〇〇八年 ハンス・アイベルク、イェスパー・トレルセン、メッテ・ニールセン、アネメッテ・ミケルセン、ヨナス・メンゲルフロム、クラウス・キェル、ラルス・ハンセン『人間の青眼色はOCA2表現を抑制するHERC2遺伝子座の調整因子の完全随伴創始者変異に起因するものかもしれない』)。母方からと父方からと、ともにメラニンを作らない遺伝子を受け継ぐと、メラニンは作れません。つまりこの遺伝子は青い目という形質に関して劣性遺伝子です。