大きな物語を強力に敷衍して軍隊と警察の内部を洗脳しようとしても、短期決戦ならばともかく、現代世界の空気にさらされた兵士は自国防衛に専心する敵国の軍と対峙する膠着戦線での大きな活躍は期待できません。
問答無用の軍事侵略を実行しようとしても、自国内の軍事機構と兵站のための産業を恣意的に再編成して実戦に使えるシステムに置換することからして無理があるでしょう。政治組織、軍事警察機構および公私企業とのバランスでようやく平衡を保っている現在の権力構造を急激に改変しようとすれば、その隙に政権が崩壊してしまいます。
そうであるから軍事侵略ではなく経済侵略という語が使われます。つまり営利目的を持つ私企業が国家エリートと密接に協力して他国内で開発を進める形がとられます。
重商主義を目指した初期のオランダ東インド会社がそうであったように、この国の対外進出に資本的経済的野心以上の大義はなく、横溢する資本の国外への拡大システムの一環というべきでしょう。
そうであるとすれば国旗が高くひるがえることはない。大義に殉ずるほどの国民の熱狂はありません。語られているその大きな物語は、営利目的の日常の継続でしかありません。
強大国の大権力者といえども現代では安易に優越願望を満たすことはできません。つまりあからさまな侵略や支配はできない。昔のような武力侵攻はできません。
歴史の流れは終わった。あるいは少なくとも大きく変わった。だれもが恐れしたがう大権力者はどこにもいません。
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かつての全体主義政府のようにナショナリズムイデオロギーで染めあげた秘密警察など国家暴力システムを使って言論を恐怖で封殺できれば政治もマスコミも操縦できるかもしれません。現代の民主主義国ではまず、その暴力システムが維持できません。
アマゾン社が各地のサーバーや物流網を防護するために武装警備員を配置していてもその武力を背景に政治を支配するのは、ちょっと無理でしょう。
アマゾンの小売業支配に反対して大規模デモが組織されることはないし、反対言論を発表する人たちが警棒で殴られて拘置所に入れられることもなさそうです。
ちなみに世界最初の株式会社である一八世紀のオランダ東インド会社はアジア各地港湾に置いた支社(要塞)と貿易海路を防衛する目的で軍隊と砲艦を持っていました。
結局この武力がインドネシアを植民地化するために使われた、といえます。英国によるインドの植民地化も同様な経過をたどっています。つまりヨーロッパとアジアの出会いの場で、武力を背景として、資本主義と帝国主義が同時期に双子のように発生し、現代世界にいたっている歴史をみることができます。
さて現代、唯一、世界的野望を持つかのように言われている中国の指導者は、かつてのナポレオンのように自らの政治理念を振りかざして他国の政権に干渉し戦争によってでもそれを押し付けようとするでしょうか?
たしかにこの国は大国でありその世界戦略(一帯一路構想)は米国に対抗しているとみることもできます。しかし現代、国がある程度大きい場合、世界情勢の空気を完全に遮断することは不可能です。国家の行動もまた内外のウォッチャーから監視されています。むやみにナショナリズムを煽ろうとしても人々は外国の雰囲気が分かるので違和感あるいは嘘くささを感じるでしょう。
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自分たちの理想のために、あるいは少なくとも理想と思い込ませられる大義を掲げて国家財政をコントロールし警察や軍事組織を恣意的に動員できるトップエリート層は、現代において、どこにいるのでしょうか?
現代の世界で、理想を掲げて恣意的に社会をリードしていけそうに見えるのは、権威主義的な体制の社会で軍隊と警察を背景に持つ権力構造に乗っている人々です。たとえば汎中華圏の世界的拡大という大きな物語を語る中国共産党の指導者でしょう。
ちなみに日露戦争後の日本の興隆を起源とし、現在、共産中国に引き継がれたアジアの台頭は、欧米の有色人種嫌悪感情を潜在的に刺激し、逆の大きな物語の流れを作り出しているとの見方もできます。
小説グレートギャッツビー(一九二五年 スコット・フィッツジェラルド「グレートギャツビー」)の中には「彼らを監視して物事をコントロールできるかが我々支配人種の課題だ(訳筆者)」という(イェール大学出の富豪の)セリフがあります。
一方、現在の欧米や日本のような民主主義先進国では中国のような権威主義的な構造を構築してパワーを発揮する手法は無理と思われます。
アマゾンは世界中の小売店や中小店舗を根絶やしにしてしまうかもしれません。しかしアマゾン党というエリート階級が形成されて司法警察や国家権力を握ることはなさそうです。
大資本としての金力と人脈で政治を操縦しマスコミや司法を支配すればよいではないか?しかしそれは民主国家では不可能でしょう。賄賂、政治献金、天下り人脈など各種手法は当然駆使できますが、それら迂遠な間接操縦法では強力な独裁権力は作れません。
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平和が続きフクヤマのいう平等願望(isothymia)が強まっている現代は、超人的な支配意欲をもって新しい大きなものに挑戦する勇者は出なくなっているのでしょうか?かつて優越願望(megalothymia)に取りつかれて世界制覇を目指したチンギス・カンやナポレオンのような世界英雄は、今、どこに行ったのでしょうか?
平和で資本主義大繁栄の現代、貧富の格差の頂点にいるといわれる世界の超大富豪が現代のトップパワーエリートなのか?
世界の資産総計の六割がトップの超富豪二千人に握られているという統計調査があります(資産の把握は実際かなり困難で統計者によって結果は相当異なる)。いずれにせよ、この人たちは現代の最大パワーを持っているのでしょう。それにしては、彼らはなぜ、かつての英雄たちのように次の歴史を作れないのか?
たしかにトップクラスの彼らは、かつてのアルフレッド・ノーベル(一八三三年―一八九六年)のように、慈善事業や社会貢献、国際貢献に自己資産をもって支援しています。また新興ベンチャー企業への投資や買収など新分野開拓を目指して高リスクの投資行動をします。これらの行動は、しばしば、社会に有用な刺激を与えています。
これら超富裕層が国家に協力して先端分野などにリスク受容の投資行動をとるとすれば、超富裕層の多い米国や中国などは世論や議会を超越して将来の国際競争力を増やす先行投資ができることになり、超富裕層が少ない日本などは、この観点では、不利になることになります。
巷で叫ばれるように、財産税や累進課税を強化して富裕層には重税を課し、低所得層に再配分すべきでしょうか?一方には、しかしながら、富裕層からとりあげた税金の配分を議会と官僚に任せるよりは、独創的な理想を持ち誠実で賢明なトップ事業家の意欲に任せて自由に新規分野に資金を投じてもらうほうが国際競争に勝ち抜けるので長期的には国民に有利である、との意見もあります。当然、少数意見ですが。
もし善意あるいは悪意をもって超富裕層が資金力を自在に活用して政治とマスコミをコントロールできるとしても、彼らとて、かつて国民を熱狂させて革命戦争を拡大し、世界史を国民国家の時代に塗り変えたナポレオンのような変革力は発揮できそうにありません。
まさに現代、歴史はすでに終わってしまったのでしょうか?
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さて現代、生活費の獲得は昔ほどむずかしくありません。江戸時代の失業サラリーマン、つまり浪人は、笠張や辻斬りしか世過ぎの道がありませんでした。ちなみに当時でも大阪堺の町人は次々と新規の経済システムを開発して多様な発展を遂げていました。一方、エリート層であった旗本御家人は鎖国による天下泰平が続く中で退嬰的保守的になり頑迷固陋なリスク忌避の勢力集団に縮退していきました。
天下泰平の幕藩システムが崩壊した明治期、大混乱と自由乱雑の時期には士族からも平民からも独創工夫あるいは西洋の模倣による成功者が続出し、新式の生産システムと経済システムが大発展しました。第二次世界大戦敗戦後の日本も大混乱と自由乱雑がその後の経済発展の契機となった、とみることができます。
システムの崩壊がなくなった現代、時間とともにあらゆるシステムは成熟しさらには部分最適状態になってきます。自由度が減り気体は液化し、さらに固体化していきます。つまり安定を指向する最適化だけではランダムな自由を失って動きが鈍すぎるシステムになってきます。
若者の人生における選択の自由が、自由奔放とまではいわなくとも、もっと大きくてよいでしょう。職業の多様な可能性。失敗のリスク。転職、起業、再入学など社会への参加に関して、失敗しても繰り返し挑戦可能、というような社会システムの再構築が課題となってきます。
転職支援センター、企業インキュベーター、ベンチャーキャピトル、リスク投資促進施策など、政府行政による対策も出てきています。
しかし実際は、個人のレベルでは、年長者はもちろん若年層でも、リスク忌避傾向が近年ますます強まっています。相補的に既存のブランド組織の安定性への信仰は強くなってきています。ここには政策改善や社会システム改良では解決できそうにない深い問題がありそうです。
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