高台で富士山も見える公園
兄・西郷隆盛の
再起を期して、弟・西郷従道(じゅうどう)が
この広大な土地を購入したが、日の目を見ることなかった。
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熊本、大分、宮崎と各地を転戦した薩軍は再び鹿児島へ帰ってきた。
官軍の総攻撃が始まり、砲撃の音が鳴り響きました。
わずか1時間ほどで、西郷軍の本営があった城山の頂上は制圧され、西郷達がいる洞窟に官軍が迫ります。
そして官軍が放った銃弾が、西郷の肩と太ももに当たり、その場で膝を落としてしまいます。
西郷もここまでと覚悟を決めたのでしょう。
傍らにいた側近の別府晋介に向かって、最後の言葉を言います。
「晋どん、もうここいらでよか・・・・・・・・」
別府は西郷の言葉に「はい」と頷き、「ごめんやったもんせー」と叫びながら、
西郷は別府の介錯(かいしゃく)を受けて、その人生の幕をおろしました。
香菅刈公園を下りました、お隣の西郷山公園に向かいます。
昔の古地図があるかと調べていたら、今の農地を「百姓場」と言っていたようです。
百姓場は広大な土地が有ったのでしょう。
登る通路で見かけた花々です。
公園内では多くの花が咲き誇っていた。
西郷山の天辺
見えるものは眼下のビル群です。
発見、西郷山の岩石、それは石碑でした。
高台です、ビルを眼下、富士山の眺めの場所
富士が見える場所からは、本日は富士山は望めませんでした。
春はお花見が出来る公園です。西郷山HPからお借りした。
このblog編集して、
西郷兄弟の絆、愛、結び付きの太さを見る事が出来ました。
コメ欄は閉めています。