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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

劇場版 『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』 感想

2019-11-16 18:54:19 | 青ブタ
実はこの感想、もともとは原作の「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない + 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 感想」として『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』の感想のエントリーをアップした直後に書き始めていたのだけど、途中まで書いてそのまま放ったらしになっていたもの。劇場版のあとに加筆して上げようと思っていたら、それも忘れていたw

ホント、アホだなぁ。

ぼちぼち劇場版のブルーレイも出る頃なので、補足して蔵出ししておきます。



テレビ版の青ブタの最終回があまりにも、淡々と投げっぱなしで終わってしまったので、そのまま続きとなる原作に手を出した。

で、読み始めたらいやはやもう最後まで行くしかないって感じでイッキ読み!

最新版の『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』については、すでに感想をアップ済み。

で、劇場版の『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』自体は、原作の
『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』と『青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない』の2冊に基づいたもの。

といっても、この2冊、基本的にはそれまで出ていた5冊分の原作の内容を踏まえた上での構成になっている。だから、いってみれば、青ブタ前半の集大成、という感じの物語。

もってはっきりいえば、この2冊のために、それまでの5冊が書かれていた、といってもよいもの。

内容は、いわずもがなの牧之原翔子編。
控えめにいっても、これ、ここまでの物語全部の総決算!となる話。

実際、この2冊で、原作は、第1部完!ということだった。

なにがいいたいかというと、この牧之原翔子編を、とにかく加速したまま、終わらせるために、それまでの物語の全部があったということ。

つまり、翔子編までの、桜島麻衣、古賀朋絵、双葉理央、豊原のどか、梓川かえで、の5つの物語が、全部、翔子編のための前座だった、ということ。

いやー、これはもうびっくりだよ。

なぜなら咲太は、これまでにこの5人の思春期症候群につきあってきたからこそ、たった1回の「やり直し」のチャンスを「間違わず」に、文字通り「奇跡的」にクリアすることができた。

加えて、今までの5つの物語があったからこそ、それぞれの少女たちが、それぞれ相応しい協力の仕方を、咲太に差し出すことができた。
裏返すと、5つの物語の蓄積があったからこそ、牧之原翔子編は、2冊めの「ハツコイ少女~」だけでキレイに完結することができた。

実のところ、さすがにそれは「ご都合主義的すぎるだろ!」ってところが満載なのだけれど、ただ、そのどれもが、これまでの5つの物語の展開から読者が予測できる範囲のものなので、あー、やっぱり!って感じで、テンポよく進んでしまうんだよね。

もっとも、最後の最後のところは、さすがにそこまでやるか?、ってくらい、都合が良すぎていて、多分、評価が分かれるところなのだろうけど。。。

正直、盛りすぎ、な印象もしたけれど、まー、これもありかなー、って感じ。

あとは、この牧之原翔子編で、このシリーズのタイトルが常に「~の夢を見ない」となっていることの理由も(それとなく)明かされていて、それがうまいなぁ、と思ってしまった。

・・・って、何言ってるかよくわかんないよね? (笑


で、じゃあ、本当にネタバレしてしまうと、

牧之原翔子という、咲太の危機をかつて救った高校生の少女と、咲太が麻衣とともに出会った中学生の少女は、実は同一人物。

ただし、高校生の翔子は、実は未来からやってきた「未来の翔子」。

では、なぜそんなことが起こるかというと、それは「双葉理央」編のドッペルゲンガー事件の応用みたいなもので、あれは「量子力学」的分裂だったわけだけど、これにさらに「相対性理論」的な味付けがなされて、時間差のある分裂体が生じてしまっているということ。

まぁ、このあたりの「説明」は適当に聞き流してねw

実は、この牧之原翔子編に対して、期待ハズレ!という感想もいくつか見かけたのだけど、多分、その理由の一つは、「思春期症候群」という量子力学的「トンデモ」理論が、SF設定的にあまりにもガバガバに見えるところにあるように思えるから。

なので、ここ、あまりマジで突っ込んじゃんだめだよ!とは思う。

でも、個人的にはうまいな、と思ったのは、とりあえず、物語世界内の「事実」としては、トンデモ量子力学的な理解でなんとかなってきた、という話があって、そのさらに積み上げのところで、今回の解決をしているから。

うーん、しかし、ちゃんと書こうと思うと、結構ややこしいな。
やっぱり、この物語。

牧之原翔子編まで読むと、この「ハツコイ少女」までの物語とは、とどのつまり、すべて牧之原翔子の思春期症候群の中、いわば彼女夢の中で起きているということなんだよね

夢という名の一種のシミュレーションなわけで。

ただ、この屁理屈自体は、一応、古賀朋絵編ですでに一度説明されていた。

裏返すと、朋絵同様、翔子も世界改変をできる能力をもっていた、

・・・というか、この劇場版までの世界そのものが、事実上、小学生時代の翔子が抱いた未来=夢の世界であったことになる。

ざっくりいえば、牧之原翔子は、涼宮ハルヒと同じ、世界構築力をもっていたことにある。

で、心臓移植を必要とする難病の翔子が助かる世界をなんとか引き寄せる話が、劇場版の骨子となる。

そして、原作既読者、あるいは、劇場版視聴者にはすでにわかっているように、最後に、世界は書き換えられて、翔子は、咲太でも麻衣でもないドナーから心臓を譲り受け、本来の年齢のまま、中学生として咲太と麻衣に、再び出会うことになる。

当然、世界は書き換えられたわけだから、咲太が中学時代に高校生の翔子さんに出会うこともなく、したがって、翔子さんが咲太の「ハツコイ少女」になることもないまま、この世界の翔子ちゃん、というか咲太的には「牧之原さん」と出会うことになる。

でも、この物語が、つくづく甘々だなぁ(←褒めてますw)と思うのは、その再会、というか、邂逅の瞬間、翔子も咲太も互いに、別世界=夢の世界の出来事を全部、記憶として思い出してしまうところ。

ここはね、原作を呼んだときに、一番、おお!、やっぱりそう来たか!とは思ったところ。

もちろん、世界が書き換えられてしまった以上、翔子と咲太はすれ違ったままになると思ってしまうし、実際、とても悲しいことだけど、その終わりもありだろうな、と思っていたところで、でも、二人は出会い、そして出会った瞬間、それまで忘れていた記憶を取り戻してしまう。。。

いや、これ、完全にもう、運命の赤い糸でつながった二人じゃんw

『君の名は。』の瀧くんと三葉じゃんw
いや瀧くんと三葉は、世界改変後も出会いでは、出会ったところでそれまでの物語の記憶は取り戻していないから(少なくとも劇終幕では)、翔子と咲太の場合は、それよりもよっぽど甘々の結末w

むしろ、世界がどう変わろうとも結局は出会える二人として、実は翔子こそが、咲太の運命の人ではないか、と思ってしまうほど。

そして、だからこそ、この翔子編のあとの物語については、『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』の感想で書いたように、むしろ、この翔子と咲太の「運命力」に対して、嫉妬し、抵抗し、世界のさらなる上書き、つまりは、自分の描く「夢=未来」で世界を再構成しようとしているのが、他でもない桜島麻衣!、と思ったわけで。

なので、よくこの牧之原翔子編の2冊、ないしは、劇場版の『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』について『涼宮ハルヒの消失』に近い、という感想を見かけることがあるけど、それは多分、違っている。

なぜなら、『消失』における長門のように、世界を自分の都合の良いように書き換えようと無意識の間に試みてしまっているのは、翔子ではなく、麻衣のはずだから。

つまり、青ブタシリーズにおいて、世界構築という点で、ハルヒのポジションをとるのは翔子であり、ハルヒ=翔子の構築した世界=夢を侵食しようとしているのは、長門の位置を占める麻衣だと思うから。

まぁ、今ある物語世界に干渉し、自分の都合の良いように侵食しようとしている点では、『ランドセルガール』の方でも書いたように、むしろ、劇場版のまどマギにおける「ほむら」の立場に近い。
劇場版まどマギでは、まどかに対するほむらの愛が重すぎて、結果として、まどかが守った世界をほむらが侵食していた。

だから、むしろ、劇場版の翔子編の話は、ハルヒの世界改変のほうに近い。

咲太は、一度麻衣を失った世界を経験した上で、咲太も麻衣も死なない、それゆえ少なくとも彼ら二人は翔子を見捨てる選択肢を取り、ある意味で、善意の第三者、ないしは運命の善いいたずらに賭けて、世界を書き換えようとしたわけで。
その点で、咲太は、自分本位でろくでなしの、文字通りの「ブタ野郎」なんだけど。

でも、自分本位の選択が結果として、翔子を襲ったデッドロックからも抜け出せる景気になったというのが話のミソ。それも大甘のミソw


ただ、こういうふうに解釈してくると、ちょっと面白いな、と思うのは、これは量子力学による並行宇宙論で説明がつくのかどうかはまったくわからないけれど、少なくとも青ブタの物語世界では、世界とはすべて夢=シミュレーションであって、ある特定の世界で得た経験や体験をすべて記憶し保存している、一段メタな世界=宇宙があって、物語の登場人物は、みな、その記憶のリソースにアクセスして、それぞれの個々の世界で「生きる」ことを演じているように見えること。

で、こうした世界を超えたメタ世界における「設定アーカイブ」に属するキャラクターがその都度、特定の世界の記憶をリロードされるという点では、構造的には、『東京レイヴンズ』の16巻で明らかにされた(←詳細はこの感想を参照)泰山府君祭の先にある人格記憶のアーカイブへのアクセスに近い。あるいは、量子力学的説明ということであれば、『ゼーガペイン』の設定にも近い気がする。

なんかよくわからないけれど、そうした時間を超越した「設定アーカイブ」の存在が想定される世界観って、いつの間にか、デフォルトになっているかな?

ちょっとそんなことも、この青ブタシリーズを読んでいると思ってしまう。

てか、そのような世界観が読者の間でも共有されていると確信できないと、こんな話、つくれないよね。

ともあれ、青ブタは、牧之原翔子編たる劇場版を経た後に続く作中世界の物語展開についてもそのような形になっているようで、『ランドセルガール』ではそれが徐々に頭をもたげてきたように思う。

どこまで、この「世界を書き換える」話を続けるのかはわからないけれど、願わくば、ハルヒのように作者が物語世界を畳むのを放棄するような、情けない事態にならないように。

で、牧之原翔子編の劇場版に戻れば、とにかく咲太を支える他の登場人物たちの動きも、ミニマルなものに留まるものの極めて効果的な動きを見せてくれていて、ホント、隙がないと思った。

どうやら、『ランドセルガール』の続きは、来年2020年の2月には出るみたいだから、そこでこれまで書いてきた仮説がどこまで通用するのかについても、楽しみにしたい。

もちろん、物語の向かう先についても、

でも個人的には、やっぱり翔子ちゃんが本編に再登場してほしいし、もっといえば、翔子さんが、何らかの形で絡んできてほしいと思うのだけど。

でも、キャラクターに関するあらゆる可能性についてすでに書かれたアーカイブがメタ宇宙としてあるのなら、それも可能のように思うのだよね。

ぜひとも、青ブタには、ハルヒを越えてもらいたい。


とにかく『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』、素晴らしかった!

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青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない 感想 本当に「大学生編」は始まるのか?

2019-01-09 12:31:46 | 青ブタ
最後まで映像になったものが面白かったので、結局、原作に手を出してしまった。
久しぶりのアタリ!

で、とりあえず最新作について、の感想を

翔子編となる6巻、7巻については、追って書くつもり。
あの完成度の高さは、確かに神なので!

ということで、以下は9巻の感想。
とりあえず、スペース空けときます。






















































で、最初に問いたいのは、9巻のラストで示された大学生編は本当に始まるのか?って疑問ね。

で、いや始まらないでしょ、
これ、ランドセルガールが見せている(夢としての)「未来」じゃないの?

ってのが、あれこれ考えた結果ね。

6巻、7巻の用意周到さを考えれば、多分、これくらいの込み入った構造は、この作者なら新たに仕掛けてくるのではないか。

で、これも先に書いてしまうと、多分、この込み入った思春期症候群を引き起こしているのは、他でもない桜島麻衣であるのではないか、ということ。

それも、顔には出さないけど、牧之原翔子に思い切り嫉妬した麻衣さんね。

多分、理央が咲太にしていた、今回の現象は、2つ以上の思春期症候群が複合的に重なりあって生じたものなのではないか、という助言も、こうした見方をしてよいヒントのように思える。

なんだかんだいって、理央は、このシリーズの「物語の構造」を示唆する、メタ発言キャラであるから。結局のところ、彼女のいう「量子なんちゃら・・・」がすべての不思議事件のトリックとして示されるからね。

となると、たとえば、ランドセルガール、霧島透子、赤城郁美、の思春期症候群の3重掛け、とか、思いついてしまう。

そこで根っこにあるのは、多分、麻衣自身の翔子に対する嫉妬から生じた、翔子が咲太にとっての初恋の相手にならない世界の構築だと思うんだよね。

だって、翔子編である6巻、7巻における麻衣って、描写としては物分りがよすぎていて、彼女の内面のドロドロしたところには、一切触れられていなかったから。

あれは、物語の進め方として、徹頭徹尾、咲太の「焦り」に焦点を当てていて、周りの人物たちがどう思ったまで書いている余裕がなかったからだと思うんだよね。そこまで書いていたら、7巻のような速度で物語を進めることができなかった。

その結果、麻衣も、非常にものわかりのよい、いわば「都合の良い先輩」として描かれていた。

でもね、麻衣って、きっとそんなに聖女ではないんだよ。
もっとドロドロとしたものを抱えている。でも、それを表に出さないことを身に着けてしまった人だと思うんだよね。

そういう意味では、麻衣は、『化物語』における羽川翼のポジションに近いと思う。

登場時からあてがわれていた麻衣の女優という位置づけや、咲太よりも年上という事実は、必要以上に、麻衣を大人の「気配りのできる」女性のように、作中で描写されてもおかしくないような予断を与えているし。

さらに言えば、周りの他の女子たちが、朋美にしても、のどかにしても、理央にしても、もちろん花楓にしても、年相応に幼く、頼りなく描写されてしまっている分、麻衣の「大人っぷり」は際立ってしまうわけで。

でも、その麻衣からしても、マジで翔子には敵わないと感じたと思うんだよね、あの6巻、7巻で示された牧之原翔子の圧倒的なヒロイン力に対しては。

だって、6巻、7巻を読めば、それまでの5巻の中身が、全て6巻、7巻のための前座であったことがわかるから。ただただ、牧之原翔子編を加速した物語として完成させるために、そのための予備知識や作中内の「事実」を積み上げるべく書かれていたのが、5巻までの内容だったわけで。

その点では、桜島麻衣とて、主演の牧之原翔子の前では、ただの脇役の一人に過ぎない。

なにしろ、真ヒロインの翔子は、心臓病という難病を抱えた(咲太からみても)年下の女の子であり、にもかかわらず、咲太が最も精神的に厳しかったときに、咲太の心を支えた存在なのだから。

その上で、「未来」までわかってしまっているというチート級の能力の持ち主だったわけだから。

だから、咲太にとっての初恋相手という、翔子の特権的地位を、麻衣が心底嫉妬し、咲太と翔子の関係を根本から書き換えたいと思ってもまったくおかしくないと思うんだよね。


それから、あともう一つ、麻衣については、そもそも第1巻の、彼女が皆に「観測されなくなった」ときに、どうして咲太は、彼女の姿を見出すことができたのか、ということもあって。

というのも、7巻で、未来から過去に戻った咲太が、1巻の麻衣同様、皆から観測されない存在となってしまったけど、その咲太を「観測」してくれたのが朋美だったという事実があって。

あそこで、朋美が見つけてくれたのって、多分、2巻にあった例の「量子もつれ」としての「尻の蹴り合い」があったからだよね。

となると、似たような「蹴り合い」を1巻の時間軸以前に、咲太と麻衣の間でも行われていないと、1巻における咲太のように、麻衣をギリギリまで観測し続ける、なんてことは不可能になるように思えたんだよね。

なので、朋美との間にあったような事前の接触が、麻衣と咲太が1巻で出会う以前にあったのでないか。

そして、それも含めて、ランドセルガールとしての麻衣の「夢」なのではないか。

さらにいえば、取ってつけたように突然現れた「赤城郁美」って、わざわざ、ランドセルガールの背負っている「赤い」ランドセルとかぶる「赤城」なので、これは実は、女優の麻衣が演じている「咲太の同級生」なんじゃないのか、って思うんだよね。

で、そんな麻衣の相当こじらせてしまった思春期症候群の発症の発端となったのが、霧島透子の楽曲だった、ということではないのかな?

だから、この「霧島透子」については、咲太の未来についてのエキスパートwである翔子ちゃんでも、全く知らなかったのではないか。

なぜなら、この世界は、すでに麻衣によって、「翔子と咲太の初恋関係」という事実を書き換えるために発動した世界であるから。

なんだったら、翔子が沖縄に療養に向かい、藤沢近辺から消えてしまった、という動きですら、この世界=夢の創造主である麻衣の意向が反映された結果、と見ることもできると思う。

麻衣にとって、翔子は、端的に邪魔な存在なんだよ。

その分、徹底的に、麻衣にとって都合の良い「未来」が生み出されている。

それは、もちろん、今回、咲太が患った「思春期症候群」を完治?させるために最も活躍したのが麻衣であったからでもあるわけだけで。

だって、麻衣からのプロポーズ?によって、咲太は救われたのだから。
でも、あれは、麻衣自身が、素直に最もいいたかったことだと思うんだよね。

女優という手かせや、年上という足かせを、かなぐり捨てて、素直に一人の女の子として、咲太に自分の思いの丈を伝えたくて仕方がなかった。

実際、彼女の「お姉さまぶり」から、読者の方も、咲太と麻衣の間の会話は、咲太が常に麻衣にやり込められるものであっておかしくないと思ってしまっているけれど、でも、それが麻衣の本心かというと、実のところ、かなり怪しいと思えるわけで。

なにしろ、婚姻届という「ワイルドアイテム」を今回の物語の中に持ち込んできたのも、他でもない麻衣だったわけだし。

これ、かなり咲太との未来において強制力のある「縛り」だと思うんだよね。

で、そんな「咲太に対する麻衣の独占欲」が全面展開したのが、実は翔子編に続いて始まった8巻からの世界なのではないか、と。

なにしろ、6巻、7巻の世界では、咲太が将来、翔子と結婚する未来も示されたわけで、けれども、そんな未来を麻衣が許すわけがない。

だって、あの世界では、麻衣は、咲太の命を救うために、自らの命を差し出したくらいなのだから。

いや、麻衣さん、あなた、どんだけ咲太が大好きなの?って感じで。

だって8巻や9巻って、いくら咲太の父親の前だからって、麻衣さん、「私の咲太に対する愛情のほうが、咲太が私に対する愛情よりも、はるかに上です」なんて趣旨のことまで言ったりしてるくらいなんだから。

もう、麻衣は、咲太にベタぼれ、ってことばかりが、呆れるくらい強調されている。

とりあえず、8巻、9巻は、一見すると、花楓の解離性障害にまつわる積み残しの問題と、そんな花楓によって生じた梓川家の家庭不和の問題についての着地点を見出す話であったわけだけど、それはあくまでも表側の話でしかなくて、

その裏側では、実は、作中世界のなりたちが、いつの間にか、麻衣主導のものに書き換えられていたのだと思う。

あくまでも、そのための導入部分として、花楓と梓川家の話が、後日談的エピソードとして記されていただけで。

だって、8巻の花楓の高校進学の話なんて、ほとんど思春期症候群って関係ないわけで。
ただの登校拒否児童問題の紹介でしかないわけで。

要するに、簡単にいえば、麻衣が8巻、9巻の世界の造物主でありゲーマス。
麻衣にとっての、都合の良い世界への作り変えの序章。

そして、だからこそ、9巻の最後で、唐突に、咲太とのどかが、麻衣と同じ大学(横浜市立大学?)に入学する場面が描かれる。

しかも、麻衣は咲太の先輩ではなく、はれて「同級生」になる、という、麻衣にとっては、まさに夢のような世界が実現する。

多分、麻衣からすると、それくらい「同級生」という位置に、つまり、咲太を並んで歩ける世界を望んでいたと思うんだよね。

で、そのための麻衣の願望が、今の世界で形になったものが、咲太の中学時代の同級生(という設定)の赤城郁美なのではないか。

中学時代に、咲太の抱えていた問題を理解していたと、今更ながら主張する「赤城郁美」という存在によって、咲太の悩みは、ひとり翔子のみが知るものであった、という関係に、楔をうつことになるわけで。

まさに、翔子と咲太の「初恋関係」という絶対的関係に介入する存在が赤城郁美だから。
それこそ、麻衣が演じる中学生のキャラなんだよ。

要するに、6巻、7巻が、完全に翔子のターンであったとすれば、
8巻以降は、麻衣のターンである、ということ。

そもそも、「思春期症候群」という「病」が大学生になっても続く、というほうが、言葉の定義上、どう見てもおかしい。

だって、さすがに、大学生はもう思春期ではないよ。
思春期は、高校生とともに卒業するもの。
つまり、思春期症候群も発症するのは、高校生まで、ということ。

ということで、多分、大学生編にはならない、と思う。

となると、3重掛けの思春期症候群を、咲太がいつ、どのように気がつくのか、が問題で。

それを解く鍵は、やっぱり翔子ちゃんの再登場にあるんだろうな。

そもそも、翔子に確認すれば済みそうないくつかの疑問についても、なぜか抑圧されてしまっていることも、この世界が麻衣が作り出したものだからなのだと思う。

つまり、「犯人はあなたなんですね、麻衣さん」と、いつ咲太が麻衣に告げるのか?

そして、その指摘に、無自覚にそんなことを発動させていた自分の「嫉妬心の根深さ」に思い悩む麻衣。

きっと、そんなドロドロの世界が始まるんだよ!この先w

ということで、次巻が楽しみ。


というか、実のところ、こんなふうにでも読まないと、8巻、9巻、って、あの6巻、7巻の後では、死ぬほど退屈でしかなかったから。

8巻、9巻って、後日談というよりも単に蛇足にしか見えなかったわけで。

正直、こんな家族問題とか登校拒否問題とか、ガチで扱われても、全然おもしろくないじゃん!って思ってしまったわけで。

まぁ、『CLANNAD』とか好きな人たちには、そのノリで、8巻、9巻の、「梓川家」家族ゲームも楽しめたみたいだけど、『CLANNAD』って、個人的には全く面白いとは思えなかったから。

まぁ、この作者、全体的に左っぽいところはあるとは思うけど。
咲太に教師になることを勧めちゃうところとかね。

ともあれ、6巻、7巻の後で読むものとしては、あまりにフツーで、あれ、これ、全然盛り上がらないじゃん!って感じで。

少なくとも、こんな後日談、外伝でいいじゃん、本編の後で書くものじゃないよね、って思っていた。

だから、9巻の最後まで読むのも実は苦痛だったわけだけど、9巻の最後で唐突に大学生編らしきものが始まったところで、あれ、これもしかしたら?と思ったのだった。

で、上に書いたように、8巻、9巻が、基本的に、麻衣の描いた理想の未来の世界の物語だったら、どうなる?と思えてきて。

そこまで考えると、そもそも、翔子が、咲太でも麻衣でもない人物から心臓移植を受けることになった、という、ご都合主義的なハッピーエンドすら、麻衣の世界構築力の賜物のように思えてきてしまえるのだけど。

まぁ、そこまでいくと、むしろ、まどマギの映画の「ほむら」のようにすら思えてくるけど。
あー、麻衣さんの情念が重いわー、って感じw

でも、こんなふうに考えると、いや、もうあと2、3回、大ドンデン返しがあるかも?って気になって楽しみになってきたんだよね。

ということで、続きがとても気になる。

ほんとに、大学生編は始まるのか?

麻衣さん、そこまで咲太に対する独占欲が強いのってどうして?

謎は、むしろ、ますます深まるばかりなのだった!


しかし、ここまで書いてきて今更ながら気づいたけど、このシリーズのスゴイところは、目の前で読まされている物語のプロット自体が、登場キャラのだれかの「夢」であってもおかしくはないと思わせながら読ませる舞台装置として「思春期症候群」という仕掛けを作ったところにあるんだろうな。

量子力学、スゴイな!万能だな!

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青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない 第10話 「コンプレックスこんぐらっちゅれーしょん」

2018-12-09 17:29:27 | 青ブタ
いやー、今回は、あまりに予想範囲内の展開すぎて、率直なところ、あまりおもしろくなかった。

今思うと、最初の麻衣センパイの話と、朋絵の話がよくできすぎていた、と思えるくらいで。

今回の、のどか回でだいぶ失速してしまった、って感じ。

唯一びっくりしたのは、魂?が麻衣とのどかの間で入れ替わっていたわけではなく、二人の見た目が入れ替わっていた、ってところかな。

あれは、素朴に驚いたw

そして、あくまでも「観測」にこだわるのが、青ブタ流なのだな、というのを痛感した次第。

ここまで量子力学的「不思議」現象にこだわるのだから、この先も、一応、それで説明がつくようなお話が待っているのだろうなぁと。

かえで回も牧之原翔子回もきっとそうなのだろうな。

とりあえず、かえで回から、また3話構成になって、ちゃんと幕間の出来事も扱えるのだろうから、そこを楽しみに待とう。

で、のどか回については、つまるところ、この異変を通じて、麻衣が咲太に、ふだんなら話さないような彼女の個人史を、照れる暇も与えることなく、やむなく話せたのがよかった、ってことかな。
いわば双葉回と似たようなもので。
もう一歩、相手の領分に踏み込んでいくために。

その意味では、次回以降の展開で、うまい具合にのどかがヘルプ要員として、朋絵同様、活躍してくれるのに期待。

あ、でも、もしかした、のどか回に向けて、妹つながりのネタがあったりするのかな。

ともあれ、続きはやはり気になる。

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青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない 第8話 「大雨の夜にすべてを流して」

2018-11-23 00:30:50 | 青ブタ
江ノ島を眺めながら、夜中に浜辺で花火なんて、マジ、青春だよねーw
いやー、ホント、ズルい。
江ノ島が舞台なんて、江ノ電が背景なんて、藤沢が地元なんて・・・
湘南は、ホント、絵になるよね!

しかし、結局、双葉が分裂した理由ってなんだったんだろう?
「思い当たる節がある」と前回、コンタクト双葉のほうが言っていたけど、それが何か、結局、明らかにはされていないよね。

原作を読めば何か書いてあるのかもしれないけれど。

ただ、それとは別に、今回の構成からすると、これもまた前回、コンタクト双葉のほうが言っていた「タイミングなんだよ」というのが気になっていて。

これ、要するに、双葉が国見が好きだ、というのは、あくまでも偶然のいたずらで、違うタイミングだったら咲太を好きになっていたかもしれない、という気持ちの表れだよね?きっと。

となると、自分が好きなのは国見なのか、咲太なのか、という迷いが双葉の中にはあったけど、多分、告白して三人の関係のバランスが壊れるのを、人見知りの双葉としては一番恐れていて、それで、国見に彼女ができたことをいいことに、国見が好きだということにして、というか、自分自身もそう思い込むことで、咲太への恋心をうまく封印して、逆に、あくまでも友達として咲太といい関係を築いていたんだろうな。

まぁ、このあたりは、ホント、微妙な、三角関係だよね。

友情と恋愛感情の差がどこにあるのか、実はよくわからない、という。

ところが、あろうことか、咲太にも桜島先輩、という恋人ができてしまって、咲太はフリーだからこそ維持できていた三人の関係が維持できなくなってしまった。

しかも、そこで咲太からは、国見に告白しろ、と迫られてしまうと、実のところ、双葉としては、自分の気持が咲太と国見のどちらにあるか、わからなくなった、ということなのだろうな。

で、だから、その決断を不要にするために自分自身を2つにした、というのが真相だったんじゃないかな。

あとは、双葉自身、咲太がもちこんだ思春期症候群を複数回、見たことで、とりわけ、朋絵の「量子もつれ」のケースから、あ、ほんとに起こるんだ、と確信してしまったんだろうな。

いや、もちろん、思春期症候群のネタ元が、いずれも量子力学なり量子論だということなのだけど、それに確信を見出してしまったのが双葉だった、ということで。

となると、彼女は彼女で、今後は、思春期症候群のそれぞれの症候の発生理由の解明者なり解説者の役割を果たしていくのかな。そんな気はするね。

ともあれ、最後の花火大会を三人で見に行くところで、双葉が髪はポニテで、でもコンタクトではなくメガネにしてたというので、分離した二人の性格を両方きちんと調和させたということで。

それはとりもなおさず、どちらも彼女持ちの国見と咲太と三人の同級生で、今後も仲良くやっていこう、ということをはっきりさせた、ということでもあるよね。

ある意味で踏ん切りがついたというか。

ただ、それで逆に気になるのは、咲太に対する不分明な恋心を、双葉は結局、封印したままにしてしまったけど、それが今後、どこかで噴出したりはしないか、ということ。

それはそれでなんかありそうな気もするんだよね。。。

まぁ、やっぱり、これは原作を読むのはご法度にしておいて、やっぱりこのまま映像の方でまずは見ていこう。

となると、牧之原翔子編が映画になってしまったのは、微妙にもったいなかったなと思うのだけど。。。
うーん、2クールあればなぁ。
久しぶりに、普通に楽しめるラノベ原作作品だったのになぁ。

とりあえず、次回は、どうやら桜島麻衣先輩が入れ替わりしてしまうみたいだけど。。。

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青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない 第6話 「君が選んだこの世界」

2018-11-11 01:09:41 | 青ブタ
あー、なるほど。
これ、要するに、『ハルヒ』の設定で『化物語』をやってるのね。
加えて、10年前の設定では、さすがに古くなってるところを今風に変えてきてもいる。

いや、単純に、久しぶりに、おお普通に面白い、と思ってたものだから、
その理由が気になっていたのだけど、今回ので確信。

ちなみに、原作は未読。
これは、手を出したくなるところだけど、
しかし、一方で、これは映像の美味さのような気もするので、どうするかなぁ、ってところ

にしても、いいねー。

『化物語』の阿良々木くんが、要は咲太で、
戦場ヶ原にあたるのが、麻衣先輩で
神原が、朋絵ってことね。
もちろん、朋絵の気持ちは、咲太の方を向いているから、神原とは違うのだけど、咲太を「親友」として全幅の信頼を寄せる点では、同じだよね。
どうやら、シスコンは、今後、麻衣先輩の妹がでてくるみたいだから、機能的役割は、若干、シャッフルしているということで。

あとは、咲太の胸の傷の話が、どう考えても前日譚としてあって、それが阿良々木くんにおける『傷物語』だったのと同じなんだろうな。
そのあたりは今後の楽しみだけど。

あ、あとは、双葉が羽川ポジションか。
彼女によって、思春期症候群の概要が毎回、語られる。

要は、怪異にあたるのが思春期症候群で、
その思春期症候群のネタが、ハルヒ的「人間原理」的な物理的説明としてある。

そういう意味では、最初は6月まで、まさに振り出しに戻るのか?と思ったけど、これってループ設定ではなくて、双葉が言ってたとおり、「ラプラスの悪魔」のように、朋絵が、様々な未来をシミュレートさせていて、そのシミュレーションの筋書きに沿って咲太たちが振る舞っていた、ということだよね。

だから、最後の6月27日だっけ?、から始まるものだけが、一応「現実」で、それまでの、朋絵が盛大に失恋してしまうところまで、すべてシミュレーションを見せられていた、ということだよね。

ただし、咲太たちは、神ポジションを占める「ラプラスの悪魔」たる朋絵の「サイコロの振り方」には一切干渉はできない。その意味で、彼らが自由にできる余地はない。

もちろん、双葉のように、悪魔=神の采配が関与している、と推測することはできるけど。

でも、それを証明することはできない。

このあたりは、一見すると、エンドレスエイトみたいなループものに見えるけれど、それとは違う、ということだよね。

エンドレスエイトの場合は、神様は別にいて、単にハルヒがハルヒの力で時間を何度もループさせていただけど、青ブタの場合は、朋絵がまさに神であって、彼女が全ての未来シナリオを書いてしまう。だから、リセット、というか、リブートの日時は、最初の6月27日になる。
(この場合、「戻る」という表現は妥当でないわけで)。

一応、最後にちゃんと、双葉が、朋絵のもった未来シミュレート力について、念を押すようにふれていたしね。

ともあれ、こういうところが、今風。
もちろん、咲太がイケメンなのも。

てか、咲太に限らず、この作品は、CVがいずれもぴったりだと思うところがあって、それが理由で原作に手を出せないのもある。

多分、映像が与える、全体の物語的色気を感じることができないだろうなぁ、と。

あ、そういう意味では、ハルヒにしても、化物語にしても、CVの人たちがやはり10年前の人達だから、もはやベテラン過ぎて、面白みにかけるわけで、そのあたりの、演技のリアル若返り感も大事だと思っている。

いや、そう思うのは、『禁書目録』の3期が、あまりにイタイからで。もちろん、多くは尺の関係もあるわけだけど、さすがに8年前のキャストを踏襲されても、それだけど、もう学芸会というか同窓会というか、そういうセルフコピーにしか見えないよね。

その意味でも、CVも今の布陣で行ってるのは大事。

一応、ここまでの6話で、咲太、麻衣先輩、朋絵、双葉、かえで、翔子、とキャラをちゃんと配置してきたのうまいし、咲太が、基本ぼっちだけど、だからといって、社会に対して背を向けているわけではないところもいい。

そのあたりは、多分、原作として、ハルヒ的なオタク臭は外して、化物語的なイタさ、たとえば、阿良々木くんの「人間強度が下がるから」なんてスカした表現を使ったりしていないところがいいんだろうな。

ともあれ、1クールだけど13話まであるから、残り7話が楽しみだな。
その後に映画も続くようだけど、でも、そこまで力を入れるなら、2クールやってくれればよかったのになぁ、と思ったりもする。

いやー、しかし、久しぶりに、続きが楽しみな物語だ。
すばらしい!

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