(感想1、感想2もあります)
前回のツクヨミによる解説に続いて、今回のアクアの内面吐露、その後の顛末のあかねによるナレーションによって、「アクアの死」は確定してしまったように見えるけど、ネットを見ると、でもね!という意見も見られるのは確か。
それらは確かに検討の余地はあると思うので、残り2話で何をするかも含めて、ちょっと考えておくと。
まず、
このアクアの死が、あくまでも映画『15年の嘘』の一部、あるいは、アクアがカミキにアイの真意を伝えた後で付加されたエピローグである可能性。
いや、エピローグである必要すらなく、単なる「エピローグ案」である可能性。
一応、アクアは、『15年の嘘』の脚本を書いた本人だから、彼がエピローグ案として「終幕」に到る部分を、たとえば五反田監督と相談していたような展開。
その場合は、五反田に対して、アクアの本心を「告白する」という機会にもなると思うけど。
ただ、五反田は、幼少の頃からアクアの特異性に気づきながら、アクアをずっと見続けてきた、半分親代わりのような存在だから、彼に対して、アクアが脚本化する過程で全てを告白する、という流れも、まったくないとは言えない。
だって、この物語は、基本的に、アクアの復讐劇で構成されているけれど、でも、茜が言う通り、それでは、アクアが幸せになることはないから。
だから、アクアが、ルビーとアクアが転生者だという「大嘘」を物語的に設定して、監督に、その脚本の良し悪しを検討した、という可能性も、なくはない。
いや、まぁ、これがだいぶ無理があることはわかっているけれどねw
でも、あの「アクアの死」を覆すには、物語的にメタな構造を入れない限り無理なのは間違いないし、都合の良いことに、最終章の少し前から、この物語は基本的に『15年の嘘』という映画製作を並行した物語なっていたから。
なんだったら、『推しの子』という物語が、最初から映画『15年の嘘』の一部としてて語られていたのかもしれない。
そうすると、アニメ化はバッサリ切られた、序盤のいくつかのエピソードの頭にあった登場人物たちに対するインタビューのシーンも、この映画がクランクアップしてさらに上映後に収録されたものである可能性もある。
だって、そうでないと、あの「アクアの死」を迎えた後で、あんな呑気なインタビューができるかな?と思うわけでw
ということで、
「アクアの死」はあくまでも映画『15年の嘘』のエピローグだった。
そういう物語的ひっくり返しも、あるかもしれない。
で、「アクアの死」がひっくり返るもう一つの可能性として「夢オチ」もなくはない。
なぜなら、夢オチの場合は、単純に、脚本家アクアが監督五反田に告白する、というプロセスを排して、単純に、自分の夢で自己完結するだけのことだからw
その場合、夢を見ているのはあくまでもアクアではなく生前の吾郎、ってことになるだろうけど。
その可能性がなくもないのは、前回のツクヨミの解説の中で、アクアが、吾郎として、さりなが病気から回復してアイの同僚としてB小町入りしてアイドルになる、という「夢」を見ていたから。
いわゆる、「夢=並行世界」理論に従えば、長い夢として、別世界の自分を経験する、というのも物語的にはなくはない。
ドクター・ストレンジがやってことだよねw
なので、この物語が最初から、在りし日の吾郎が見た夢だった、というのもなくはない。
そうなると、最終回は、「・・・という夢を見た!」とさりなに語る吾郎で終わる、という感じ。
まぁ、その吾郎・さりな時空にまで戻れば、アイも存命で出てきて終わり、ってことになるので、なくはないかもw
・・・ということで、「アクアの死」をひっくり返してなかったことにする可能性はゼロではない。
そもそも、「推しのアイドルの子どもに転生する」という設定そのものが、相当キモいドルヲタの妄想、といえなくもないので。
ただし、その結末はそうとう荒れそうだけどw
次回、冒頭で、今回の「泣き崩れるあかね」を完成試写会であかね本人が見ている場面から始まる可能性も・・・・なくはないと思うかなw
前回のツクヨミによる解説に続いて、今回のアクアの内面吐露、その後の顛末のあかねによるナレーションによって、「アクアの死」は確定してしまったように見えるけど、ネットを見ると、でもね!という意見も見られるのは確か。
それらは確かに検討の余地はあると思うので、残り2話で何をするかも含めて、ちょっと考えておくと。
まず、
このアクアの死が、あくまでも映画『15年の嘘』の一部、あるいは、アクアがカミキにアイの真意を伝えた後で付加されたエピローグである可能性。
いや、エピローグである必要すらなく、単なる「エピローグ案」である可能性。
一応、アクアは、『15年の嘘』の脚本を書いた本人だから、彼がエピローグ案として「終幕」に到る部分を、たとえば五反田監督と相談していたような展開。
その場合は、五反田に対して、アクアの本心を「告白する」という機会にもなると思うけど。
ただ、五反田は、幼少の頃からアクアの特異性に気づきながら、アクアをずっと見続けてきた、半分親代わりのような存在だから、彼に対して、アクアが脚本化する過程で全てを告白する、という流れも、まったくないとは言えない。
だって、この物語は、基本的に、アクアの復讐劇で構成されているけれど、でも、茜が言う通り、それでは、アクアが幸せになることはないから。
だから、アクアが、ルビーとアクアが転生者だという「大嘘」を物語的に設定して、監督に、その脚本の良し悪しを検討した、という可能性も、なくはない。
いや、まぁ、これがだいぶ無理があることはわかっているけれどねw
でも、あの「アクアの死」を覆すには、物語的にメタな構造を入れない限り無理なのは間違いないし、都合の良いことに、最終章の少し前から、この物語は基本的に『15年の嘘』という映画製作を並行した物語なっていたから。
なんだったら、『推しの子』という物語が、最初から映画『15年の嘘』の一部としてて語られていたのかもしれない。
そうすると、アニメ化はバッサリ切られた、序盤のいくつかのエピソードの頭にあった登場人物たちに対するインタビューのシーンも、この映画がクランクアップしてさらに上映後に収録されたものである可能性もある。
だって、そうでないと、あの「アクアの死」を迎えた後で、あんな呑気なインタビューができるかな?と思うわけでw
ということで、
「アクアの死」はあくまでも映画『15年の嘘』のエピローグだった。
そういう物語的ひっくり返しも、あるかもしれない。
で、「アクアの死」がひっくり返るもう一つの可能性として「夢オチ」もなくはない。
なぜなら、夢オチの場合は、単純に、脚本家アクアが監督五反田に告白する、というプロセスを排して、単純に、自分の夢で自己完結するだけのことだからw
その場合、夢を見ているのはあくまでもアクアではなく生前の吾郎、ってことになるだろうけど。
その可能性がなくもないのは、前回のツクヨミの解説の中で、アクアが、吾郎として、さりなが病気から回復してアイの同僚としてB小町入りしてアイドルになる、という「夢」を見ていたから。
いわゆる、「夢=並行世界」理論に従えば、長い夢として、別世界の自分を経験する、というのも物語的にはなくはない。
ドクター・ストレンジがやってことだよねw
なので、この物語が最初から、在りし日の吾郎が見た夢だった、というのもなくはない。
そうなると、最終回は、「・・・という夢を見た!」とさりなに語る吾郎で終わる、という感じ。
まぁ、その吾郎・さりな時空にまで戻れば、アイも存命で出てきて終わり、ってことになるので、なくはないかもw
・・・ということで、「アクアの死」をひっくり返してなかったことにする可能性はゼロではない。
そもそも、「推しのアイドルの子どもに転生する」という設定そのものが、相当キモいドルヲタの妄想、といえなくもないので。
ただし、その結末はそうとう荒れそうだけどw
次回、冒頭で、今回の「泣き崩れるあかね」を完成試写会であかね本人が見ている場面から始まる可能性も・・・・なくはないと思うかなw