東大の「小柴ホール」で、サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシャム(SSC)の設立記念シンポジュームが開かれたので聴講した。
地球環境と人類社会の持続可能性への展望を示すことは、それが危機的状況を迎えている21世紀において、学術界に課せられた最も大きな課題である。
この課題に果敢に挑戦しようと言うのが、サステイナビリティ学で、今、世界中で、このサステイナビリティ学の創生に取り組む運動が急速に進展しているのだが、小宮山宏先生をリーダーとしていた東大サステイナビリティ学連(IR3S)が中心となって、いよいよ、コンソーシャムが立ち上げられたと言うことである。
さて、Sustainabilityと言うことだが、持続可能性と一般的には訳されているのだが、どう言うことであろうか。
一番有名なのは、マルサスの人口論(1798年)で提起された食料は算術級数的に増加するのだが人口は幾何級数的に増加すると言う命題で人類の危機を警告したケースだと思われるのだが、前世紀の後半に入って、ローマクラブが、「成長の限界」を発表して、資源には限りがあり、汚染物質の発生が地球の限界を超えて進み得ると、データをもとに指摘して、人類の将来にとって、非常に重要な問題を提起したのが、本格的であろうか。
尤も、このすぐ後に、私は、留学のために渡米して、つぶさに最先端を行く超大国アメリカの現状を見聞きしたのだが、ラルフ・ネーダーの消費者運動で、大企業への利益誘導型のアメリカ帝国主義的な経済体制への批判は、ある程度脚光を浴びており、環境問題なども俎上に載せられてはいたが、まだまだ、世界中は発展途上にあり、経済成長と社会の発展を如何に追及実現して行くのかと言うのがすべての国家の最重要課題であって、この成長の限界論は、殆ど無視されていたのが現実であった。
味埜俊東大教授の指摘では、サステイナビリティに関わる課題として、問題とされているのは、地球温暖化、資源の枯渇、食料の確保と安全、金融危機、貧困だと言うことだが、このサステイナビリティを規定するのは、人間/社会の側面からは、時間・空間を超えた公平性の確保であり、経済の側面からは、拡大を前提とした経済システム、グローバリズムと地域経済と言ったその多重性、貨幣価値以外の価値観、短期的な視野に基づく投資だと言う。
したがって、これらの問題を総合して持続可能性を追求する学問体系が必須であると言う。IR3Sの定義するサステイナビリティ学とは、地球環境問題や人間の安全保障の問題に代表される地球・社会・人間システム、およびそれらの相互関係の破綻をもたらしつつあるメカニズムを解明し、持続可能性と言う観点からシステムの再構築、およびそれらの相互関係を修復する方法とビジョンを目指す新しい学問体系だと言うのである。
ところで、味埜教授は、サステイナビリティとはと言う説明の中で、環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)の定義する「持続可能な開発/発展 Sustainable Development」を示して、「次世代のニーズを損なわずに現世代のニーズを追及する開発」だとしていることに触れたのだが、私の関心事は、サステイナビリティと経済成長やその発展との関わり、相関関係がどうなるかと言うことであるので、非常に興味を感じた。
成長の限界と言う言葉からも分かるように、逆に言えば、経済成長するから、そして、人口が増加し続けるから、持続可能性を維持出来なくなる、地球の限界に達してしまう、のだと言う理論が先行して、サステイナビリティと経済成長は、トレードオフの関係とみられることが一般的だからである。
一方、グリーン・イノベーションと言う言葉にも内包されているように、サステイナビリティを追及維持する運動をチャンスと捉えて、地球環境の維持と経済成長を両立させようとする動きが加速化しており、特に、ヨーロッパを主体にしたエコ・プロダクツの開発など、積極的に環境ビジネスに関連して、イノベーションへの意識が高まって来ている。
茨城大の三村信男教授は、気候変動への賢い対応と題して、気候変動への対応を、科学技術の飛躍により新たな社会と価値を作り出す好機として、社会の成長を促す駆動力にすべきだと主張していたが、これもこの考え方であろう。
また、ビジョン2050を掲げて、地球温暖化問題を解決出来ると語る小宮山宏先生は、エネルギー効率3倍、再生可能エネルギー2倍、物質循環システムの構築すれば良いと言う。
日米欧で、自動車保有台数が増えなくなったように、今現にある家、車、テレビ、新幹線、原子力発電所等と言った人工物は、必ず飽和して生産がダウンし、その上、自動車など、ハイブリッド、電気自動車・燃料電池車と進展して行くことによってエネルギー効率は10倍になるなど、イノベーションによる技術の進歩は未知数であり、中国もインドも、同じ道を辿って成長して行くので、心配する必要はないと説くのである。
同じように楽観的な見解を、ロバート・J・シャピロが、「2020 10年後の世界新秩序を予測する」の中で、マルサス論やローマクラブ、あるいは、ロックフェラー委員会の懐疑的な見解を一蹴して次のように述べている。
「いずれも、イノベーションの力が新たな資源を生み出し、既存の資源の有効活用を可能にしてくれることを見落としていた。そして増加する若年層の国民により良い教育を施せば、多くの富が生み出されると言う点を過小評価していた。さらに、社会や経済体制によっては、状況の変化に見事に順応して行けると言うことも理解していなかった。」
さて、それでも、私の見解は、そんなにイノベーション頼み一辺倒のの考え方で、地球環境の危機を乗り切って行けるのかと言う心配は消えない。
人口の自然淘汰現象が起こらない限り、どんどん人口は増えて行くであろうし、第一、自動車が飽和したとしても、人間の欲望は無尽蔵であり、次から次へと、自動車などに代わる、あるいは、それ以上のものを求めて悪戦苦闘する筈で、人間の活動は止まるところを知らないとしか考えられないのである。
人類の偉大な英知や知的遺産をを守り抜くためにも、サステイナビリティ学の進展を祈りたいと思っている。
地球環境と人類社会の持続可能性への展望を示すことは、それが危機的状況を迎えている21世紀において、学術界に課せられた最も大きな課題である。
この課題に果敢に挑戦しようと言うのが、サステイナビリティ学で、今、世界中で、このサステイナビリティ学の創生に取り組む運動が急速に進展しているのだが、小宮山宏先生をリーダーとしていた東大サステイナビリティ学連(IR3S)が中心となって、いよいよ、コンソーシャムが立ち上げられたと言うことである。
さて、Sustainabilityと言うことだが、持続可能性と一般的には訳されているのだが、どう言うことであろうか。
一番有名なのは、マルサスの人口論(1798年)で提起された食料は算術級数的に増加するのだが人口は幾何級数的に増加すると言う命題で人類の危機を警告したケースだと思われるのだが、前世紀の後半に入って、ローマクラブが、「成長の限界」を発表して、資源には限りがあり、汚染物質の発生が地球の限界を超えて進み得ると、データをもとに指摘して、人類の将来にとって、非常に重要な問題を提起したのが、本格的であろうか。
尤も、このすぐ後に、私は、留学のために渡米して、つぶさに最先端を行く超大国アメリカの現状を見聞きしたのだが、ラルフ・ネーダーの消費者運動で、大企業への利益誘導型のアメリカ帝国主義的な経済体制への批判は、ある程度脚光を浴びており、環境問題なども俎上に載せられてはいたが、まだまだ、世界中は発展途上にあり、経済成長と社会の発展を如何に追及実現して行くのかと言うのがすべての国家の最重要課題であって、この成長の限界論は、殆ど無視されていたのが現実であった。
味埜俊東大教授の指摘では、サステイナビリティに関わる課題として、問題とされているのは、地球温暖化、資源の枯渇、食料の確保と安全、金融危機、貧困だと言うことだが、このサステイナビリティを規定するのは、人間/社会の側面からは、時間・空間を超えた公平性の確保であり、経済の側面からは、拡大を前提とした経済システム、グローバリズムと地域経済と言ったその多重性、貨幣価値以外の価値観、短期的な視野に基づく投資だと言う。
したがって、これらの問題を総合して持続可能性を追求する学問体系が必須であると言う。IR3Sの定義するサステイナビリティ学とは、地球環境問題や人間の安全保障の問題に代表される地球・社会・人間システム、およびそれらの相互関係の破綻をもたらしつつあるメカニズムを解明し、持続可能性と言う観点からシステムの再構築、およびそれらの相互関係を修復する方法とビジョンを目指す新しい学問体系だと言うのである。
ところで、味埜教授は、サステイナビリティとはと言う説明の中で、環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)の定義する「持続可能な開発/発展 Sustainable Development」を示して、「次世代のニーズを損なわずに現世代のニーズを追及する開発」だとしていることに触れたのだが、私の関心事は、サステイナビリティと経済成長やその発展との関わり、相関関係がどうなるかと言うことであるので、非常に興味を感じた。
成長の限界と言う言葉からも分かるように、逆に言えば、経済成長するから、そして、人口が増加し続けるから、持続可能性を維持出来なくなる、地球の限界に達してしまう、のだと言う理論が先行して、サステイナビリティと経済成長は、トレードオフの関係とみられることが一般的だからである。
一方、グリーン・イノベーションと言う言葉にも内包されているように、サステイナビリティを追及維持する運動をチャンスと捉えて、地球環境の維持と経済成長を両立させようとする動きが加速化しており、特に、ヨーロッパを主体にしたエコ・プロダクツの開発など、積極的に環境ビジネスに関連して、イノベーションへの意識が高まって来ている。
茨城大の三村信男教授は、気候変動への賢い対応と題して、気候変動への対応を、科学技術の飛躍により新たな社会と価値を作り出す好機として、社会の成長を促す駆動力にすべきだと主張していたが、これもこの考え方であろう。
また、ビジョン2050を掲げて、地球温暖化問題を解決出来ると語る小宮山宏先生は、エネルギー効率3倍、再生可能エネルギー2倍、物質循環システムの構築すれば良いと言う。
日米欧で、自動車保有台数が増えなくなったように、今現にある家、車、テレビ、新幹線、原子力発電所等と言った人工物は、必ず飽和して生産がダウンし、その上、自動車など、ハイブリッド、電気自動車・燃料電池車と進展して行くことによってエネルギー効率は10倍になるなど、イノベーションによる技術の進歩は未知数であり、中国もインドも、同じ道を辿って成長して行くので、心配する必要はないと説くのである。
同じように楽観的な見解を、ロバート・J・シャピロが、「2020 10年後の世界新秩序を予測する」の中で、マルサス論やローマクラブ、あるいは、ロックフェラー委員会の懐疑的な見解を一蹴して次のように述べている。
「いずれも、イノベーションの力が新たな資源を生み出し、既存の資源の有効活用を可能にしてくれることを見落としていた。そして増加する若年層の国民により良い教育を施せば、多くの富が生み出されると言う点を過小評価していた。さらに、社会や経済体制によっては、状況の変化に見事に順応して行けると言うことも理解していなかった。」
さて、それでも、私の見解は、そんなにイノベーション頼み一辺倒のの考え方で、地球環境の危機を乗り切って行けるのかと言う心配は消えない。
人口の自然淘汰現象が起こらない限り、どんどん人口は増えて行くであろうし、第一、自動車が飽和したとしても、人間の欲望は無尽蔵であり、次から次へと、自動車などに代わる、あるいは、それ以上のものを求めて悪戦苦闘する筈で、人間の活動は止まるところを知らないとしか考えられないのである。
人類の偉大な英知や知的遺産をを守り抜くためにも、サステイナビリティ学の進展を祈りたいと思っている。