熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

坂村健教授のイノベーション論

2007年06月24日 | イノベーションと経営
   坂村健東大教授が「変われる国・日本へ イノベート・ニッポン」と言う新著で、イノベーションについて日頃の持論を展開している。
   政府のイノベーション25の「イノベーションとは、これまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすこと」と言う定義を踏まえて、
   「イノベーション」とは、これからの日本をどうしたいのか? を考える取り組みである。と言うのである。

   イノベーションとは、ラテン語のinovare(新しくする)からシュンペーターが創り出した造語だと言って、「利益を生むために差を生み出すための行為」だとも言っている。
   この表現は、説明としては面白いが、経営学的にも、差別戦略との混同なり概念的な不明確性もあって、正確ではなく、云わんとするところは分からないわけではないが誤解を招く。

   坂村教授のユニークな理論展開は、ソーシャル・イノベーション、インフラ・イノベーションが、日本人には苦手で、この方面の遅れが、日本の経済社会の発展に齟齬を来たしていると言う点である。
   イノベーションの別な側面、プロダクト・イノベーションやプロセス・イノベーションは日本の得意とするところで、更に、イノベーションを生み出す切っ掛けとなる要素イノベーションが、最終的なプロダクトになるためには非常に沢山の擦り合わせを行う必要があるが、この面でも、単一民族、単一文化が主体の日本人は非常に優れている。

   一方、異文化の混合、人種の坩堝の欧米では、この擦りあわせが苦手で、そのコストを極力削減するために、要素技術よりもシステム的に物事を進行させるインフラを整備してソーシャル・イノベーションを起こす方が効率的であり、この方面の技術が優れている。
   それに、成文法ではない慣習法主体の英米では、実態が後で付いてくるので、とに角やってみようと言う試みが認められるベスト・プラクティスの積み重ねが、イノベーションを起こしやすくしている要因でもあると言う。
   この点、日本は、成文法である法体系が実態に応じてスムーズに改変されない上、色々なソーシャルシステムの遅れがありながら、ソーシャル・イノベーションが起こり難い社会なので、
   特に、坂村教授が進めている「ユビキタス・コンピューティング」の社会インフラプロジェクトは、中々、進まないのだと言う。
   
   しかし、よく考えてみれば、日本は、昔から村の長が生活を統べていたどちらかと言えば融通無碍な国柄で、法治国家と言うよりは、元々、談合やお上の勝手な法解釈や意向が重きをなしていた国であり、比較的に、臨機応変な対応が出来ていた筈である。
   ところが、明治に入って、文明開化の先導役はイギリスに頼りながら、法体系はドイツなどの成文法の大陸法体系を取り入れてしまった。
   そして、官僚体制も、どちらかと言えば、フランスなどの大陸系に従って、益々、お上崇拝の「長いものに巻かれろ」体質を助長した。

   安倍首相は、いわば「国家公務員専属ハローワーク事務所」設立を目論んで国民の殆どがソッポを向いている国家公務員制度改革法案を通すために会期を延長したが、どうせ、敗色の濃い選挙なのに悪あがきも極に達した感じである。
   官製談合で仕事を持って来てくれたり、何くれと便宜を図ってくれてプラスになるから民間会社は公務員の天下りを受け入れているのであって、そうでなければ、賞味期限が切れて役に立たなくなった公務員など一切必要ないし無駄であるから採用したくない。社会保険庁を見れば分かるではないか、こんな人間を採用すれば、会社は瞬く間に倒産してしまう。
   それが十分に分かっているので、親切にも安倍総理が、専属就職斡旋所を作ってやろうと言うことなのであろうか。

   話が横へそれてしまったが、坂村先生の言うソーシャル・イノベーションの遅れと日本人のこの方面の能力のなさの一端は、明治以降の国家システムと官僚体制のなせる業であることを銘記しておきたい。
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