熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジュリアン・テット著「愚者の黄金」~金融イノベーションの功罪

2009年12月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、「FOOL's GOLD 黄銅鉱」、すなわち、金に見誤られる鉱石と言う意味で、錬金術だと思われていた金融イノベーションが、暗転して一挙に世界中を不況のどん底に追い込んでしまった金融恐慌をいみじくも表現していて面白い。
   先に、「セイビング・ザ・サン」で、長銀から新生銀行への転進を追い続けてバブルとその後のデフレ不況を活写しながら日本経済の実像を浮き彫りにした俊英のFT記者だが、今回は、専攻の社会人類学が、役に立ったと言っていて面白い。
   社会人類学が教えるのは、社会には真空状態または孤立した状態で存続するものは何もないと言うことで、より広範な社会的事象に対する金融業界の関心の欠如こそ、その失敗の確信を突くものだと考えるのである。

   今度の著書では、J.P.モルガンを主人公にして、アメリカの金融大恐慌を追及ししており、一つの金融機関に重点を置きながら、歴史的な経済事象の大変革を解き明かす手法も結構面白い。
   さて、市場原理主義に暴走して破局へと突き進んでいったアメリカの金融危機については、類書がごまんとあり、語り尽くされているきらいもあるので、ここでは、テットが、金融工学とITを駆使して作り上げたCDSなどの新しい金融商品を、金融イノベーションと捉えているので、イノベーションにも悪いイノベーションがあるのかどうかと言う問題を考えてみたい。
   何故なら、一般的にも、そして、私自身も、イノベーションは、国民経済にとっても企業にとっても、最も重要な成長戦略であると、疑いもなく、イノベーションのポジティブ・サイドばかりを見て、イノベーションを語っていたからである。
   
   テッドは、本書のサブタイトルを、「How the Bold Dream of a J.P.Morgan Was Corrupted by Wall Street Greed and Unleashed a Cataatrophe」としていて、モルガンの一握りの俊英デリバティブ・グループが、銀行業界版の宇宙探査の意気込みで、革新的な進歩を遂げるコンピューターの力と高度な数学を駆使して、それまでの銀行業務の限界をはるかに超えて進化したサイバーファイナンスの最先端を目指して、金融イノベーション、すなわち、利益を得るための大胆な新手法の開発に邁進し、その結果、どのようにしてウォール・ストリートの強欲を解き放って、世界中を金融危機の奈落の底へ突っ走らせたかを克明に描いている。

   この本の第一章が「イノベーション」である。
   ソロモン・ブラザーズが、IBMと世銀のスワップ取引を実現した先駆的なデリバティブ取引による新展開から説き起こし、クレジット・デリバティブのコンセプトを実用化しようと奔走するJ.P.モルガン・グループの熱狂的なイノベーションの渦が、規制と監督が欠落する中、あらゆる合理的な判断や自己規律を超えるデリバティブ・ブームを引き起こして行く過程を、活写していて興味深い。
   CDSも、証券化も、仕組み投資会社と言うダミー会社に簿外取引をさせたのも、あの熱狂的な金融革命が、世界経済を牽引して世界同時好況に沸き返っていた頃の金融業のあらゆる新商品や、新ビジネスモデル・新手法などのすべてがイノベーションであったのであろう。
   そして、自由市場の効率性と優位性に対する熱烈な確信を植えつけた自由主義的経済学者フリードリッヒ・ハイエクの市場原理主義を標榜して、 グリーンスパンに「デリバティブを標的にする法律は抜本的な改革の代わりにならない。抜本的改革を怠れば市場原理の効率性を損なう規制によって金融システムのリスクは増大する可能性がある」と言わしめて、反デリバティブ法案をことごとく棚上げにさせて、デリバティブ業界のイノベーションの嵐に筋道をつけたのも、新機軸と言うならイノベーションと言うことになろう。

   さて、イノベーションの善悪を判断するのに、何を持ってイノベーションとするかによって大いに異なってくる。
   信用リスクは、クレジット・デリバティブやCDOによる広範囲に十分に拡散されており、どのような打撃も吸収できるとしたのがFRBや米国財務省などの支配的見解であり、IMFも、銀行が信用リスクをバランス・シート上に抱かえ込むのではなく、多様な投資家に幅広く分散させることで銀行システムのみならず金融システム全体の耐性が高まったとして、当時は、イノベーション信奉者たちに同調していた。
   しかし、BISは、その時点でも、金融イノベーションが好ましいものではないと警告を発していた。
   金融および通貨体制の変化は、景気拡大期に金融の不均衡を増大させ、実態経済の歪みを反映すると同時にそれを助長し、逆風の種や、その後訪れる景気の下降局面で金融業界に生ずる問題の種を蒔く。金融機関が政策当局者に分からないようにレバレッジを大幅に高めたこと問題だと指摘していたのである。

   今回の金融危機の問題は、デリバティブにあると言う見方は不当であり、イノベーションとは無関係で、銀行の行き過ぎた行動が問題だとする見解がある。
   しかし、モルガンの当事者の一人が述懐するように、ストラクチャード・ファイナンスをめぐる問題の多くは、イノベーションが行過ぎた為ではなく、むしろ不十分であったことに起因する、と言う見解の方が適切かも知れないと思う。
   金融イノベーションは、金融システムをより安全で効率的にすると伝道者のような情熱を持って信じて開発してきたクレジット・デリバティブやCODが、リスク分散ではなく、リスクが集中し過ぎて破局を向かえ、かつ、隠蔽されていることが明らかになって深刻な金融危機を惹起してしまったと言うモルガン・スタッフの言も然りであろう。

    あのロンドンのシティに架かったミレニアム・ブリッジが、計算し尽くして設計施工されたにも拘わらず、開通式に、通行人の比重が一方に偏って大揺れに揺れてパニックになったと言うあの現象である。
    お釈迦様の手の平の孫悟空ではないが、イノベーション、イノベーションと言ってみても、人智などと言うものはその程度なのであろう。
コメント
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