昼頃には、かなり、激しい雨が降り、少し寒い日であった。
朝、青山の病院に立ち寄って、午後、開演の国立能楽堂の「普及公演」に出かけた。
普及公演なので、冒頭に、天野文雄氏の能楽案内の話があり、その後、狂言・大蔵流「呼声」と能・観世流「清経」が上演された。
風邪をひいており、薬の所為もあって、冴えない観劇であった。
その後、夜6時からの国立演芸場での「国立名人会」まで、時間があったので、いつものように、神田神保町の書店街に行った。
古書店で、書棚を見ていたら、調子のよいお囃子の音が聞こえてきた。
外に出てみたら、笛や鐘など鳴り物入りの屋根付きの車が先導して、お神輿が見えた。
猿楽町の神輿である。
この日は、神田祭の神幸祭の日で、神輿が、”江戸・東京の下町を巡行し、祭礼絵巻を繰り広げる神田祭のメイン神事”を行うと言うことである。
私が見たのは、猿楽町と神田一丁目の神輿である。
猿楽町の神輿は、靖国通りを行ったので、そのまま見過ごしたが、神田の神輿は、すずらん通りをねって三省堂裏で、拍子木を打って小休止するところまで見ていた。
その後、靖国通りの駿河台下あたりで、神輿が合流して、大変な賑わいであったが、時間の関係で、遠望しただけで、北参道に向かった。
この日の「国立名人会」は、「小朝が愛する人々 2」と言うタイトルであったが、まだ、小朝の高座を聞いたことがなかったので、聞いてみたかったのである。
落語は、ぴっかりの「動物園」、正蔵の「鼓ヶ滝」は二度目、木久蔵の「看板のピン」は、これまでに聞いているので、それなりに、話術の差があって面白かった。
マツモトクラブは、相手の言葉や自分の心象をナレーションで語る一人芝居で、ウィットやギャグが利いて面白い。
尼神インターは、吉本の上方漫才で、パンチの利いた大阪の女の子の話で、故郷感覚。
小朝は、新作であろうか、「お見舞い」。
先輩の噺家の病気見舞いに病院に通う男の述懐で、その度毎に色々話し込むのだが、患者には感謝されていなかったことが、患者の書き残した日記で分かり、金輪際見舞いには行かないと言う話。
弟子が、先輩の見舞いに行くと言うので、これで、何かを買ってお見舞いにしろとお金を渡すのだが、持って行ったのは、「沢尻エリカのヘアーヌード本」。
師匠が、病人に持って行ったのが、「五月みどりと小柳ルミ子と西川峰子のヌードの本」で失敗したと言う話を逆手に取った強烈なオチである。
高座にだけ照明を当てた舞台で、病院での会話では、更に照明を落として語り、日記を読むときには、バックのナレーションにあわせて表情を変えるなど、芸の細かい舞台であった。
朝、青山の病院に立ち寄って、午後、開演の国立能楽堂の「普及公演」に出かけた。
普及公演なので、冒頭に、天野文雄氏の能楽案内の話があり、その後、狂言・大蔵流「呼声」と能・観世流「清経」が上演された。
風邪をひいており、薬の所為もあって、冴えない観劇であった。
その後、夜6時からの国立演芸場での「国立名人会」まで、時間があったので、いつものように、神田神保町の書店街に行った。
古書店で、書棚を見ていたら、調子のよいお囃子の音が聞こえてきた。
外に出てみたら、笛や鐘など鳴り物入りの屋根付きの車が先導して、お神輿が見えた。
猿楽町の神輿である。
この日は、神田祭の神幸祭の日で、神輿が、”江戸・東京の下町を巡行し、祭礼絵巻を繰り広げる神田祭のメイン神事”を行うと言うことである。
私が見たのは、猿楽町と神田一丁目の神輿である。
猿楽町の神輿は、靖国通りを行ったので、そのまま見過ごしたが、神田の神輿は、すずらん通りをねって三省堂裏で、拍子木を打って小休止するところまで見ていた。
その後、靖国通りの駿河台下あたりで、神輿が合流して、大変な賑わいであったが、時間の関係で、遠望しただけで、北参道に向かった。
この日の「国立名人会」は、「小朝が愛する人々 2」と言うタイトルであったが、まだ、小朝の高座を聞いたことがなかったので、聞いてみたかったのである。
落語は、ぴっかりの「動物園」、正蔵の「鼓ヶ滝」は二度目、木久蔵の「看板のピン」は、これまでに聞いているので、それなりに、話術の差があって面白かった。
マツモトクラブは、相手の言葉や自分の心象をナレーションで語る一人芝居で、ウィットやギャグが利いて面白い。
尼神インターは、吉本の上方漫才で、パンチの利いた大阪の女の子の話で、故郷感覚。
小朝は、新作であろうか、「お見舞い」。
先輩の噺家の病気見舞いに病院に通う男の述懐で、その度毎に色々話し込むのだが、患者には感謝されていなかったことが、患者の書き残した日記で分かり、金輪際見舞いには行かないと言う話。
弟子が、先輩の見舞いに行くと言うので、これで、何かを買ってお見舞いにしろとお金を渡すのだが、持って行ったのは、「沢尻エリカのヘアーヌード本」。
師匠が、病人に持って行ったのが、「五月みどりと小柳ルミ子と西川峰子のヌードの本」で失敗したと言う話を逆手に取った強烈なオチである。
高座にだけ照明を当てた舞台で、病院での会話では、更に照明を落として語り、日記を読むときには、バックのナレーションにあわせて表情を変えるなど、芸の細かい舞台であった。