熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

安達瞳子著「瞳子、花あそび。」

2023年02月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   1991/7/1出版であるから大分古い本だが、安達瞳子の「瞳子、花あそび。」
   椿に魅せられて、安達瞳子ファンになった私であるから、花道にも「花芸」にも全く縁も興味もなかったにもかかわらず、安達瞳子さんのゆかりの本だけは、何冊か持っていて、時々、庭仕事の合間に取りだして楽しんでいる。

   安達瞳子の生花を写真家の中川 十内が撮した作品集と言った趣の本だが、それぞれの作品には、花と器が明記されていて、趣くままに、写真に添えて作者の花への思いが鏤められている。
   興味深いのは、冒頭の「花をいける心」という論文で、ご自身の「花芸」への思いを情熱を込めて語っていることである。他に、三編知友との交流を語っていて、著者の「花芸」の参考になっていて、そのうち、竹工芸作家の平沼美子と陶芸家長倉翠子の作品にいけた写真も載せているので面白い。

   さて、安達瞳子の「花芸」論だが、
   花と人の個性、両者の融合の奥に「遊――花あそび」、人間のモラルを一方的にうたう花ではなく、人間と自然の詩的統一としての、自然のモラルをいける花芸がある。自然を、人間をも含む大きな生命として見つめてきた日本人が探し求めてきた”花”が見えるのだ。それは、自分という個をなくすことではなく、人間存在を自然存在への普遍性へと生かし高めることではなかろうか。少なくともそうした姿勢で、花をいけ続けたいと思っている。と言うことである。

   四季の変化と多様な植物に恵まれ、自然中心的な生活と美の世界観を伝統としてきた日本は、一木一草生命視し、共感を抱いてきた民族だ。花道が生まれた土壌でもあろう。この独自の感性が、私たちの心の底には流れている。
   これは、天台密教の思想「草木国土悉皆成仏」、すなわち、「人間や動物はもちろん、草木や国土も仏性を持ち成仏できるという思想」に相通ずる考え方であろう。
   この「草木国土悉皆成仏」論については、梅原猛や五木寛之やユヴァル・ノア・ハラリなどの論を引いて論じてきたので蛇足は避けるが、
   宇宙船地球号が、ドンドン窮地に追い込まれ、キリスト教的人間中心主義に限界が見えてきた今日、
   自然界のあらゆる物には、固有の霊魂や精霊が宿ると言うアニミズムと、様々な思想や宗教を融合するシンクレティズム、すなわち、「草木国土悉皆成仏」の思想は、日本の財産であり、そのような原初的・根源的思想に帰らない限り、人類の未来の生存や末永い発展は考えられないので、一つの思想として体系化して、それを大きな資源として、世界に貢献できる。と言うのである。

   難しい話は兎も角、日本人は、美しい花の奥に神を見ているのであろう、だから、美しくて崇高なのである。

   椿の作品を転写して掲載する。
   
   
コメント
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