熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

吉川幸次郎「論語について」(1)

2024年10月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   もう60年ほど前のNHKラジオ放送や講演会録を集めた吉川幸次郎の「論語」に関する解説集だが、初心者にも分かり易い語り口なので嬉しい。
   丁度その頃、京大教授で講義をされていたはずで、経済学部の学生であったので、隣の文学部の教室に潜り込んで聴講すればよかったのに、と今になって思って後悔している。アメリカの時には、学際は普通で、自由に他学部の授業も取れたが、日本ではまだ厳格であった。
   別に経済学を専攻したことには後悔しているわけではないが、歳をとった今、文学部で学んでいた方が良かったかなあと思っている。

   さて、論語に関するレビューに入る前に、この本を読んでいて非常に興味を感じた論点に触れておきたい。
   それは、聖書と論語の思想対比である。
   吉川先生は、丁度その頃ベトナム戦争の時であったので、アメリカと中国を対比している。

   孔子が何よりも尊重したのは人間自体であったので、人間自体の可能性を信じた論語読者と人間も信じるがより多く神を信じる聖書読者の世界観の違いが顕著で戦争に影を落とした。
   中国人に言わせると、共産主義者のみならず他の主義者も、西洋人は今でも迷信に取りつかれている、キリスト教という迷信に取りつかれている、その点であれは文明人ではない、野蛮人である。西洋人というものはキリスト教みたいなものを信じているという点で、西洋文明に対して反感ないし軽蔑を持っている。それに対してアメリカの人たちにとっては、中国風の人道主義というものが人間の可能性に何よりも信頼を置く教えであることは、これまた非常に知られていない。というのである。

    今大陸中国とアメリカの間に深い対立があるが、これは二つの世界観の対立で、これらを話し合うこともなかったし、その違いをお互いに理解もしていなかった。戦争をする前に、そういう思想の話し合いをすることが必要ではないかと吉川先生は述べている。

   中国人の考え方について、教えられた感じで、西欧が強調する人権問題の視点がどうなのか、考えてしまった。
   現在の骨肉を争う熾烈な戦争は、キリスト教やユダヤ教やイスラム教など一神教地域の戦争で、人類を窮地に追い込んでいる。
   どうも、我々の考え方は、西洋の思想や情報知識にバイアスがかかっていて、時に、バランス感覚を欠く場合があるようである。
コメント
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