最近、蔵書を殆ど処分した。
これまで、欧米を含めて大阪東京など、10回以上転居を続けていて、その都度、蔵書を処理しなければならなかったので、その数は膨大である。
今回は、もう傘寿の半ばを超えて人生が見えてきたので、60年の人生を支えてきてくれた最後に残った貴重な本なのだが、300冊ほどを手元に残して、全て、大手の古書買取専門店に送った。段ボール箱で60個強、
倉庫に詰め込んでいた本と書斎や部屋の本棚や足元びっしりの積読本などである。
部屋の本は多少吟味したが、倉庫の中の本など、自分にとっては選び抜いて守り続けてきた貴重な本なのだが、未練が残るので、一切チェックせずにそのまま箱に詰めさせた。
さて、何故、蔵書を処分するのかだが、家族のうち誰もが私の本に関心がないし孫も幼いので引き継げないこと、
知人友人にコンタクトするのも厄介だし、
過日、encyclopedia americana 全巻を市のごみ回収置き場に出したが、どんなに貴重な本でも、関心のない人には、ただのゴミにしか過ぎないのである。
もう一つ、何故、古書買取専門店に送ったかと言うことだが、
これまで、公共図書館や卒業した学校にコンタクトして引き取りを照会したが、古本などいらないとケンモホロロの対応であった。私一人が読んだ本なので新本に近いしその多くは未読本であり、それに、充実度は、シェイクスピア関連本だけとっても、イギリスやアメリカなどで買った本を含めて100冊以上もあって、並みの図書館や大型書店などにも引けを取らないほど充実しているのだが、そんなものは無視して厄介もの扱い。
古書専門店ならリユースであるから、何がしか人様の役に立つ可能性があると考えたからである。
古書専門店ならリユースであるから、何がしか人様の役に立つ可能性があると考えたからである。
この蔵書処分だが、私にとっては掛け替えのない大切な財産だったが、不思議にも、それ程後悔はしていない。
先に、体力がついて行けなくなったのを感じて、あれほど憧れていたフィラデルフィアとニューヨークへのセンチメンタルジャーニーを諦めたら海外旅行に関心がなくなったという心境と同じ変化であろうか。
人生の黄昏を感じ始めると、不思議に執着がなくなって、淡々としてくる。
ところで、今月も本を5冊も買ってしまった。
机に向かって本と対峙していないと落ち着かない、悲しいサガと言うべきか、読書中毒は治りそうにもない。