6日の日経に、岩井克人教授の「日本の世界的使命は何か」と言う興味深い論文が掲載されていた。
これまで、資本主義や貨幣、法人について研究してきて、今後も続けられることが当然と考えてきたが、ここ数年、自分の足元が崩れつつあるという気がしている。「歴史の終わり」から説き起こして、現下の国際情勢の惨状を分析し、自由に基づく近代的な民主主義の最も声高な提唱者であった米国の内側で、反逆が始まっている。として、民主主義と言う制度がいかに脆弱であるかが白日の下に晒された。と言う。
今世界は大きく混乱しているのだが、その混乱の中で見えてきたのは、日本の国という使命だという。
かっては世界支配からの東洋の開放こそ日本の世界史的使命であると唱えていたが、敗戦後、西洋から極東と呼ばれたこの島国で、戦後80年にわたって近代的な民主主義が曲がりなりにも機能してきた。自由がなくては思考ができないが、その自由を当たり前のこととして人間が好きに学問ができた。その事実が、近代的民主主義が西洋的な理念ではなく、洋の東西を問わない普遍的理念の証である。
日本の世界的使命とは、どれだけ凡庸であろうとも、そのような社会であり続けること。そして、その事実を世界全体に向けて語り続けることにある。と説いている。
もう一つ、日本の民主主義についての論考で興味深いのは、ニューズウィーク「2025年の世界を読む」特集号のトバイアス・ハリスの「日本政治のしなやかさは民主主義の希望となり得る」と言うコラムである。
総選挙で大敗した自公政権と野党の意外な協調ムードが、日本の多党制民主主義に驚くべきレジリエンス(しなやかな強さ)があることを見せつけて、世界の模範になる。と言うのである。
自民党主導の少数与党の政府が誕生しても国会が膠着せず、むしろ与野党がより柔軟な協調体制を見せるようになった。野党は、与党の動きに誠実に対応し、弱った自民党政権を潰そうとはせず、日本式「コビタシオン(保革共存)」のパートートナーとして振舞っている。
トランプの政敵への復讐、韓国の尹大統領の非常戒厳宣告、フランスやドイツの政治の混乱等々他の民主主義国とはその違いは鮮明である。日本の現在の政局は、ポピュリズムの台頭や格差と貧困の拡大、SNSが煽るデマと偽情報の拡散に負けず、民主主義のレジリエンスを世界に見せつけるチャンスである。と言う。
私も世界中を駆け回ってきて、日本の民主主義の有難さは肝に銘じているので、全く異存はない。
さて、まず、今25年の日本は、このしなやかな多党制民主主義を発展させ得るのかどうか、そして、日本の安穏な民主主義社会を維持し続けていけるかどうかが問題であろう。
いずれにしろ、トリプルレッドで白紙委任状を手にした今世紀最も恐怖の民主主義ディストロイヤーと目される独裁者トランプの強烈な破壊工作の挑戦を受けて、いかにして、日本が虎の子の民主主義を死守できるか、厳しい挑戦が待ち受けている。