熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

浅井忠の描く懐かしい日本の風景

2006年03月27日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で明治洋画壇の巨匠浅井忠の展覧会が開かれている。
   浅井に傾倒した高野時次氏のコレクションが東京国立博物館に寄贈された作品を、浅井没後100周年を記念して展示されているのである。

   殆ど紙に描かれたA3版より少し大きい程度の水彩画で、丁度100年以上も前の絵画であるが、日本各地の野山を描いた作品が古きよき時代のふるさと日本をしみじみと感じさせてくれて、胸が熱くなるほど懐かしい。
   特に、晩年を過ごした京都の風景など、まだ、学生時代にその片鱗が残っていたので、特に、感無量で楽しませて貰った。

   工部美術学校で、イタリアから招聘された風景画家フォンタネージから学んだと言われているが、情趣溢れる水彩の風景画や風俗画が素晴しい。
   
   外国を歩いていて、ヨーロッパの古い街並など歴史を感じさせる風物は本当に美しいと思うが、日本の場合、それにアジアの国の場合もそうであるが、田舎の風景が特に美しいと思っている。
   もう、25年以上も前のこと、まだ、共産主義諸国とは国交が十分でなかった頃、香港から封印列車に乗って中国に入った時、車窓から見える中国の田舎の風景が実に美しくて感激したことがある。
   あの頃は、まだ、解放前で、中国の都会北京など本当に貧しくて、見るも無残に汚かったが、なぜ、農村風景はあんなに美しかったのか不思議であった。

   私が受験で京都に行った頃には、客車部分だけ今のようにコンパートメントになっていたが、運転席と車掌席はふきっさらしで雨風に打たれるので運転手と車掌は厚い外套を着て仕事をしていた、そんな市電が堀川通りを走っていた。車掌は後ろの窓から身体を外に乗り出してパンタグラフを操っていたのである。
   今では観光のメッカとなって綺麗になっている嵐山や嵯峨野の辺りも草深い田舎で、祇王寺はともかく滝口寺など訪ねる人とて稀な荒れ寺で分からないくらいであったが、あの頃の嵯峨・嵐山は、正に、平家物語と源氏物語の世界で、実に、詩情豊かで旅情を感じさせてくれた。
   浅井忠画伯の描いた京都の風景や風物には、そんな懐かしさと詩情が充満している。

   農家内部と言う絵であるが、土間の中に仕切られた囲炉裏のある茶の間、その後ろの壁には箒や下着などが掛けられていて、生活をムンムン感じさせてくれるし、また、聖護院の庭の絵は、一番色彩が豊かで明るく目を引いたが、とにかく、美しい。

   戦後、幾ばくかは、絵になる懐かしい日本の風物や風景が日本各地に残っていたが、生活が豊かになるにつれて消えて行ってしまった。
   今、東京は開発が進んで超近代的な新しい街並が、あっちこっちに生まれて脚光を浴びている。
   しかし、何故か、物悲しく、養老先生ではないが、コンクリートジャングルの延長の様な気がしてあまり行きたくはない。
   
   浅井忠の絵を見て、奈良か滋賀の田舎を歩きたくなった。京都よりは、まだ懐かしい日本の風景が残っている。
   
   
   

   
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