熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

団塊の世代へエール・・・堺屋太一

2007年03月13日 | 政治・経済・社会
   DANKAI日本橋アカデミー「人生の新しい橋を渡ろう」で、堺屋太一氏が、「黄金の時代の担い手たちよ」と言う演題で講演を行った。
   団塊の命名者で謂わば団塊世代の保護者と言うべき堺屋先生の、自分のために生まれたようなアカデミーの卒業フォーラムであるから、サービス満点で、予定時間を30分もオーバーするほどの熱の入れようで、何時もの名調子で団塊世代を救世主のように「よいしょ」する堺屋節を披露した。

   上海の株の暴落に始まった世界同時株安に言及して、経済成長を謳歌する中国も必ず初期的調整に入るので、今後も一時的な経済悪化は避けられないと言う。
   20世紀の前半から、インフレ、デフレ、ディスインフレが、10年周期で繰り返すのだと独自の景気循環論を説きながら、工業生産社会から知価社会への日本の経済社会の構造変革について語った。

   官僚主導、職縁社会、核家族の三角形に守られた官僚主導業界協調体制の中で、1980年代には、世界に冠たる近代工業社会を作り上げた。
   大型、大量、高速が価値観を主導し、モノの豊かさを幸せの指標に祭り上げた経済産業社会である。
   官僚が、総ての開発計画や発展政策を作り上げ、その根本的な方針は、
   過度な設備はなくす
   産業の新規参入は認めない
   と言うことで総ての産業の設備投資を調整し、コスト+適正利潤=適正価格を設定して企業は絶対に損をしない体制を作り上げ、先行投資型内部留保方針を貫き通した。
   会社は永遠で絶対に潰れないので、終身雇用、年功賃金体制が確立し、日本人は職縁社会に埋没してしまった。
   社員の福利施設の拡充は良いが、社長の贅沢は許せない、余剰資金は内部留保に充当して会社の拡大に資することが大切で配当などは極力抑えるべし、そんな社会であったと言うのだが、この中で悪戦苦闘し泳ぎ切ったのが団塊世代なのであろう。

   90年代の日本の不況と企業の凋落が見て取れるような逆転振りだが、当然に起こるべくして起こった日本の不幸だったのであろう。
   良くも悪くも、独創性とイノベーションを涵養出来ない日本企業の体質、株主重視や企業価値の向上などに全く無頓着な日本式経営の特質などは、あの絶頂期の遺産でもある。

   ところで、知価社会への移行で、価値観の変革について、堺屋先生は、幸せの指標である工業社会の「物財の豊かさ」と、知価社会の「満足の大きさ」は根本的に違う。
   前者は、客観的、科学的だが、後者は、主観的、社会的で、改変可能だ。
   この変化と違いに気付いた企業が勝利して勝組になっているのだと言うのである。
   
   団塊世代の新しい橋の渡り方については、職縁社会に雁字搦めに縛られて生きて来てやっと自由の身となるのだから、職縁社会から決別して好きな所で好きなことをして生きて行こうと激励。
   好きなこととは、何時間やっていても飽きない、そのことなら何時間話しても嫌にならないし何時間も話を聞きたいと思うこと。
   家計リストラをすること、月10万円プラスの道を探すことなどと言った一寸現実的な話をしながら締め括った。

   社会開発センター村田裕之理事長が「本格化する高齢社会」という講演の中で、50代から70代にかけて、脳の海馬にある樹状突起が急速に増え始めて活動が活発になり、解放、変身願望が強くなってくるので、熟年離婚が多くなるのだと言う面白い話をしていたが、それでなくても、仕事一途で人生の楽しみ方を知らずに突っ走ってきた団塊男性には、何となく身構えざるを得ない、一寸身につまされる話かも知れない。

   パネルディスカッション『「個」に生きて「社会」に生きる』には、阿木燿子さんが出ていたが、実に優雅な語り口でそれに美しくチャーミングであった。
   作家加藤仁氏が、定年退職者のインタビューで、阿木さんのお父さんに偶然会って、田舎に移り住んで極甘のブドウ栽培をしていた事情を取材したらしい。
   阿木さんの話では、頭が良くて素晴らしい人だったようだが、三つ子の魂百までで、怒りっぽい、飽き易い、意地っ張り、傲慢だったと述懐しながら、亡くなる時、お母さんともう一度結婚したいと言ったようだが、お母さんの方は絶対に嫌だと言ったという話を披露していた。
   人との交わり、社会性を大切にして、絶えず自分自身に向き合って自分を育てて行けるような成熟した人間になることが大切だと言っていた。
   男性は、芸術や音楽などにそっぽを向いているが、劇場に足を運んで欲しいとも。
   
 
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勅使河原 茜展・・・高島屋日本橋

2007年03月12日 | 展覧会・展示会
   草月流80周年記念、勅使河原茜家元の「私の花」展を見に行った。
   華道には一切関係ないし習ったこともないので全く知らないのだが、花が好きで、この高島屋での草月流の展示会には良く出かけて行く。
   美しい花との出会いがあり、美しい自然の花に素晴らしい芸術的な匠の技が加わると、限りなく花が輝く、そう思って、そして、それを見たくて行くのである。

   今回は、家元の展示会なので、期待して行ったが、正直な所、素晴らしいと思って鑑賞させて貰った。
   何時も、草月流の展示会では、家元の作品は、竹や大木などをあしらった巨大な造形物が展示されているだけなので、良く分からなかったのだが、今回は、個展なので色々な作品があり、特に、自然の花を活けた小さな作品で、それが、夫々個性的で素晴らしい花器とマッチして美しい造形のハーモニーを醸し出しているのに感激して見とれていた。

   会場に入ると、小さな白いトンネルで、壁面にはびっしり6万枚の経木が鳥の羽のように貼り付けられて波打っていて、それを通り抜けると、華やかな春の花の巨大な盛り花が迎えてくれる「色彩のかたち」の部屋に出る。
   漆塗りの車、白磁や古陶器など草月流コレクションの名品に花々が豪華に活けられている。
   菊桃などの桃やレンギョウにラナンキュラス、若葉の美しいモミジ、名前を知らない珍しい花などが豪華に群舞していて美しい。
   何時も人工的な装飾品や造花・造木などの生け花を見せられているので、殆ど総てが自然の花の生け花なので嬉しかった。

   隣の部屋は、「カレイドスコープ」の間で、照明に明るく照らされたスリガラスのスクリーンをバックにして、花器は殆どヴェネチアン・ガラス等のガラス器で、シンプルな花や植物を活けた作品が展示されている。
   この口絵写真のガラス器はガレである。
   万華鏡の間と言うことだが、私には、その簡素で色彩を押さえた演出が何処か墨絵の世界を思わせて心地よかったし、2~3輪だけの花が空間を泳いでいるバランス感覚など正に瞑想の世界である。

   次は、一挙に薄暗くなり「闇の花」の間で、電光に照らされてうっすらと光る椿の群生が目に飛び込む。ピンクと白と赤のやぶ椿の大きな枝が豪快に活けられていて、椿好きの私には、椿林に入ったような錯覚を覚えた。
   この部屋には、フジなども活けられていたが、流石に家元と言うべきか、会場には、季節や場所に関係なく、必要ならどんな花でも植物でも集めてきて活けると言うくらい豪華で珍しい植物が使われていた。
   この部屋の花器は、総て家元自作のようであった。

   一番巨大な部屋には、軽気球や洋ナシを逆さにした感じに青竹で編んだ大きな造形や竹を立てた空間に、白からピンクにかけて豪華に咲いた桜の大きな枝を飾りつけた林のような造形が作られていた。
   山桜、大島桜、河津桜、枝垂桜 etc. 日本の竹と桜の造形だが、面白い。

   
   最後の部屋は「あしたの花」。緑にそまる白い心と言うタイトルで、白い花器に緑の植物が生けられていたが、自然の試練に苛め抜かれて複雑に変形し皮をはいだ古木を器にした生け花が面白かった。

   「命のすばらしさ、美しさ、恐ろしさ、脆さ、愛おしさ・・・それらをすべてと、まっすぐに向き合い生まれた「私の花」をお届けします。」と家元は言っているが、私には難しかった。
   しかし、素晴らしい生け花を見せてもたったと言う思いを持って会場を出たことは間違いない。
   
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松下ウェイ(1)・・・「ムーア時間」に対応できなかった中村改革前

2007年03月11日 | イノベーションと経営
   今書店のビジネス本コーナーに、フランシス・マキナニー著「松下ウェイ」と言う真っ赤な表紙のA5版本が積まれている。
   最近稀に見る日本ビジネスを主題にした素晴らしい経営学書で、松下の奇跡的な回復を主導した中村改革の内幕とその秘密を解き明かしている。
   中村会長のアメリカ時代からの経営コンサルタントで、中村改革のブレイン的アドバイザーとしての立場から論述しているので臨場感も迫力も抜群である。

   まず、冒頭から、マキナニーは、
   1996年に、日本の松下を訪問したが、本社は、パソコンしか商品のないデルが数千種類の製品を持つ米国松下の売上高を上回ったことや、シンプルさとスピードが勝利を齎すと言う理論をにわかに理解出来なかった。
   経営情報の流れが存在せず、意思決定のメカニズムもない。9.11の時の米国同様、惨事を回避できるタイミングで情報が入っているのに、それを伝達し、結論を引き出し、決断を下すシステムが存在しない。内情を知れば知るほど、この企業が存続していることのほうが不思議に思えてきた。と言っており、その頃の松下電器の経営がいかに危機的な状態であったかを述べている。
   中村会長が、中村改革がなければ、松下は潰れていたかも知れないとWBSに応えていたのは、本当だったのである。

   更に、松下の経営の迷走ぶりを説明し、
   やがて混迷するブランド・製品・系列企業の寄せ集めに対して、二つの面から、一つは、中国や韓国が低価格かつ高性能の製品を作るようになったこと、もう一つは、アップルやマイクロソフトと言った革新的な企業が新たに市場を構築したこと、から激しい攻撃が加えられた。松下は、こうした市場に参入することはおろか、存在すら確認できなかった。
   何の手立てもないまま、松下の企業生命は尽きかけていた。とまで極論するのである。
   
   企業を取り巻く経営環境がデジタル化し、インターネットの普及で、幾何級数的に変革する「ムーア時間」的展開をしているのに、松下の経営陣は、幸之助の長い伝統に配慮し彼が残した膨大なビジネス著作に雁字搦めになって身動きが取れなかった。
   「マンネリ」故に来る日も来る日も知っているやり方を続けている間に、世界は変わってしまっていた。
   マキナニーは、マクルーハンの「メディア論」の「急速な変化が進む時代とは、二つの文化のフロンティア、また対立するテクノロジーのフロンティアに位置する時代」を引用して、80年代後半から90年代の松下は、「二つの文化」、即ち、社内は古い世界のままで、周囲は総て新しい世界、の間に置かれていた。崩壊のリスクは毎日のように高まっていた、と言っている。                                            
       
   ムーアの法則が働く世界では、短縮される一方の製品サイクル、かってないほど短くなった顧客の関心サイクルへの対応を余儀なくされる。
   アナログ対応で価格性能比が緩やかに変化して行く世界に慣れた「マネシタ電器」が、劇的な価格下落が日々起きるデジタル時代に直面すると、たとえ台数が伸びたとしても、売上高を維持するのが精一杯となり、利益はドンドン減少して行く。
   まして、ITバブルが企業を直撃すれば業績の更なる悪化は必然となる。
   当時、松下だけではなく日本の総合電機メーカーの大半はそんな苦い経験をした筈で、グローバルな経済社会がインターネット時代に突入して大きく激変していたのも拘わらず、それに上手く対応できなかった。
   アベグレンが、選択と集中を怠った日本の総合電機業界を叱っていたが、実際は、集中と選択の問題だけではなく、本質的には、IT革命でビジネスモデルが根幹から変革してしまっていたのに、その新しい波に乗れなくて世界の潮流から取り残されてしまった日本製造業の悲劇だったと言うことである。

   インターネットの普及等IT革命によって情報コストが急速に低下し消費者余剰が生まれて、グローバル市場の力関係が変化して、生産者から消費者へのパワーシフトが起こった。
   ムーア曲線に沿って動くムーア時間で瞬時に変化する顧客の需要に対応する為、迅速な意思決定と経営判断が求められていた。
   顧客との距離を極力短縮した経営組織体制の確立が急務であり、製造・サービス創出・流通を、一つのシームレスな流れとして顧客に直結して統合することが必須だったのである。

   マキナニーは、このような考えに立って松下に、「サッカーボール理論」を展開し、松下の経営を「情報速度の高さ」「強さ」「柔軟性」「俊敏さ」と言った属性を備えた体質に早急に変革し、丈夫で柔軟性のある構造を保ち続ける為にインターネットを駆使して、企業と顧客・サプライヤー。企業内部のシームレスな接続を可能にするために、分権化したフラットな組織を説いた。
   経営指標のポイントは、たった二点で、キャッシュ化速度と資本収益性速度の向上だが、その意味するところと経営戦略の奥は深い。
   ITバブルを間に挟んだ、熾烈な中村改革が始まったのである。
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滅び行くゾウの王国

2007年03月10日 | 地球温暖化・環境問題
   3月号のナショナル ジオグラフィックの地球の悲鳴特集は「滅び行くゾウの王国」である。
   餌を探しに保護区である公園の外に出て行く800頭のゾウを先導するのは年老いた雌。家族の安全を守るためにけもの道や渡河地点、人間の住居や道路など危険が潜む所や、食料となる草や水のありかなどを知り尽くしている、賢くなければ生き延びれない。  
   それでも、毎年、膨大な数のゾウが密猟者に殺されて、絶滅の危機に瀕している。
   1970年代前半からゾウの数は急速に減っていて、今では、大規模な生息地はアフリカ全土で2箇所だけで、それでも夫々4000頭に足らないのだというのである。
   サバンナを突き進むそんなゾウの大群、顔を切り刻まれた無残なゾウの死体、水場に殺到するゾウ、牙をささげるレンジャー隊員、流石にナショナルジオグラフィック誌で、そんな生々しいドキュメンタル写真が、ゾウの悲劇を生々しく伝えている。

   サハラ砂漠の南方、中央アフリカのチャドにザクーマ国立公園が出来てゾウが保護されているが、狭くて食料がなくなるので、ゾウたちは春から秋にかけて公園外に出るので、この管轄外の公園外で、アラブ人遊牧民の密猟者たちの餌食になるのだと言う。
   この3月号には、密猟者とレンジャーの銃撃戦、死体となって残されたゾウの象牙解体状況等レポートされているが、実に悲惨で悲しい。
   1979年から1990年にかけて50万頭のアフリカゾウが殺されており、1989年にワシントン条約によって象牙取引が国際的に禁止されたにも拘わらず、いまだに象牙に対する需要が高いのだと言う。

   巨大なゾウを殺して2本の象牙を得たとしても、密猟者の手に入るのは、精々2~3袋の雑穀と少しばかりの砂糖とお茶くらいで、何百頭のゾウを殺しても貧しいだけだと言う。
   意図的かどうかは知らないが、「中国では象牙の利用が急増し、インターネットで世界中に向けて販売されている。」書いているが、中国人は金になるなら何でもやると言うことなのであろうか。
   アニーと言う雌ゾウにGBS発信機を付けたら、86日間で1634キロメートルの旅をしたのだが、公園の北側で密猟者に殺されてしまったと言う。
   地図上に描かれたアニーの縦横無尽に動き回った旅の軌跡が実に切ない。

   話は変わるが、
   アメリカには、National Wildlife Federationと言う環境保護団体がある。
   このホームページを見ると、北極熊の救済キャンペーンを行っている。
   地球温暖化の影響を受けて、北極海の海氷が年々解けて後退し始めており、年間2万3千平方マイル、言い換えれば、10年で9%減少している。
   北極熊は、海氷の上からアザラシを取って生活しているが、この地球の温暖化の進行による海氷の後退によって、住んでいる陸地から海氷が遠くなって泳げ着けなくなり、それに、より晩秋になって氷が張りより早く初春に氷が解けるので海氷期間が短くなって生活圏が急速に狭まって来ており、生存の危機を迎えている。
   劇的な変化は、この生活圏の縮小によって、小熊の出生一年目の生存率が、1980年代及び1990年初には65%だったのが現在では43%になってしまったと言う。

   随分、前のことだが、アラスカで地元優先プロジェクトでエスキモー人グループと仕事をする機会があった。
   記憶に間違いがなければ、確かローカルのハンターに年間2頭の白熊のハントが認められているのだと言っていた。この権利を、白人ハンターが買うようであった。
   アラスカ鉄道で、雪原を走ったことがあるが、カリブーやヘラジカなどが車窓から見えた。
   イエローストーンやフロリダなどの国立公園で自然に生活しているバイソンやコヨーテ、ワニなどを見たが徹底して自然環境が守られている。
   アフリカと違って、このようにアメリカではレンジャーがしっかりしておりワイルドライフ保護が徹底されている。
   しかし、悲しいかな、いくら国立公園や保護区での監視が徹底していても、地球規模の温暖化や環境破壊による野生動物たちの生存圏縮小の脅威には勝てないのである。
   
   イギリスにも、The Wildlife Trustsと言う野生動物保護団体がある。確か、フィリップ殿下が総裁をされていた筈だが、イギリスのあっちこっちにパンダの献金箱が置かれていた。
   ナショナルトラストの国であり、伝統や自然環境を高く評価する国民性なので活発な活動をしているのだろうが、在英時には、接触する機会はなかった。

   イギリス人が、日本の鯨について文句を言ったので、狐狩りは野蛮ではないのかと応酬したことがある。
   あれは、スポーツだと言い逃れていたが、結局、動物愛護協会の圧力によって、その後、禁止された。
   私は、欧米人が自然を人間の対極の存在と看做して克服すべき対象としているものの考え方より、森羅万象ことごとく神だと考える東洋の思想の方が、自然との共生を重んじており殺生を嫌うので高級だと思っている、と言ったのを覚えている。

   先日、佐渡のトキセンターが野生に放ったトキの兄妹が恋をして、遺伝子的に劣勢の雛が生まれると困るので引き離したと言うニュースが出ていたが、ほほえましい話で、保護もここまで来たのである。
   人類は、これまでに、気の遠くなるような過去から生きてきた数え切れない動物や植物、或いは、人種までも、絶滅に追い込んできた。
   無限の年月を経て生まれ進化を遂げてきた動植物は、一度、絶滅してしまうと、永遠に地球上から消えてしまって再生は不可能である。
   人類の自然に対する罪はあまりにも重い。
   
   戦後の混乱で疲弊していた日本に、インドのネルー首相が愛娘インディラの名をつけたゾウを贈ってくれて日本中が沸いた。
   あのゾウが地球上から消えてしまうとは思えないが、知らない間に、危機はそこまで近づいて来ているのである。
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崑崙黒が咲き始めた

2007年03月09日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   温かくなったので、ここ数日、急に、庭の椿が咲き始めた。
   黒い椿は遅いので、ナイトライダーやブラックオパールはまだ蕾が固いが、崑崙黒は、宝珠咲きの優雅な花姿を現し始めた。
   この口絵写真のように黒光りのする艶々としたやや厚めの花弁が美しく、咲き始める前には、先の尖った宝珠の形をしていて、開花すると御碗型に咲き、中から小さな黄色い蘂が現われる。
   白雪を頂いた壮大な崑崙山脈とは関係ないそうだが、日本で作り出された一寸エキゾチックな雰囲気を持った銘椿である。
   ロンドンから帰って来て、初めて庭植えにした椿で、もう、背丈は2メートルを越えていて、毎年3月から4月にかけて、黒っぽい花弁をビッシリとつける。

   椿の花を、意識して栽培し始めたのは、そんなに古い話ではなく、長いヨーロッパ生活から帰国した翌年の春、庭に咲いた乙女椿(先日のブログの口絵写真)のポンポンダリヤの様なピンクの美しい花弁に魅せられて、キューガーデンやロンドンの我が家の庭に咲いていた椿を思い出しながら、苗木を集め始めてからである。
   近所にあった地元のガーデニング店の主人が椿が好きで珍しい椿の苗木を扱っていて、この店で最初に買ったのが、先の崑崙黒とさつま紅であった。
   さつま紅は、大隈直とも言われ、濃紅色の蓮華咲きで、やや先の尖った花びらが蓮華状に広がっている。
   崑崙黒もさつま紅も、私にとっては椿離れした花で、ロンドンの庭に咲いていた大きな椿の木には、列弁咲きだが、このさつま紅に良く似た花を付けていて、毎春楽しませてくれた。

   椿は、庭植えで大きくなるとあまりその美しさに気付かなくなるのだが、園芸店などの特に屋内で展示されている苗木に咲く数輪の花は実に美しくて感興をそそる。
   庭木だと、どんなに美しく咲いても、どうしても風雨に晒されたて変色したり、小鳥達に虐められて花弁が傷んでしまう。
   わが庭の優雅な白羽衣の花弁も、花弁の先が変色したり、ヒヨドリに食べられて蘂がなくなっていたり、写真を写す為に完全な花を探すのに苦労をしている。

   椿は、日本・朝鮮・台湾・中国・ベトナムと言ったところが原産地だが、ヨーロッパにも結構あっちこっちに植えられている。しかし、その殆どの原産地は日本だと思う。
   ポルトガルにも椿の古木が咲いているようなので、おそらく、安土桃山時代にポルトガル人によって、そして、その後、オランダ人によって日本の椿が運び出されて改良を加えられたのであろうと思う。
   バラの好きなヨーロッパ人は、日本の椿も八重咲き大輪の豪華なバラの花のように品種改良してしまった。
   間違っても、侘助ツバキのような一重の儚くてひ弱な花ではなく、例え小さな花であっても、鮮やかなピンクや派手な真っ赤なごてごてした八重咲きのような豪華な花に改良してしまったのである。

   アレクサンドル・デュマ・フェスの舞台やヴェルディのオペラなどの椿姫では、どんなツバキの花を使うのか興味深いが、私の観ているオペラでは、時には、バラであったりカーネーションであったり色々で、まともなツバキが使われるケースを見たことがない。
   白い椿だけしか愛さなかった、パリの高級娼婦マルグリット・ゴーティエには、白羽衣が似合うと思うのだが、この日本特産の白椿は、ヨーロッパの王宮の花にも引けをとらないと思う。
   ところで、舞台では、咲ききった花でないと見栄えがしないのだが、咲ききったツバキであると花がすぐに落ちてしまって使い物にならないので、造花にせざるを得ない。
   19世紀であるから、椿はヨーロッパでは大変高価で珍しい花であった筈で、贅沢三昧の生活に明け暮れた椿姫には似つかわしい花だったのかも知れない。

   日本でも、古代には椿が珍重されたようだが、武士の時代になって、すぐに首が落ちるので忌み嫌われた。
   茶花として使われ続けているが、しかし、好きなお殿様や庶民によって大切に育てられて品種改良され、沢山の園芸品種が生まれ続けてきた。
   珍しい欧米の改良品種にも負けないような豪華で素晴らしい日本椿も生まれているし、2~3センチの小輪の凛とした椿まで、色かたちは限りなく、初秋から晩春まで我々を楽しませてくれている。
   らんを見ていてもそうだが、清楚でひっそりと咲く優しい花の好きな日本人の内省的な美意識は素晴らしいと思っている。
   むかし、フィラデルフィアにいた時、友人のユダヤ人が、日本の盆栽を称して自然の花を苛め抜いて矮小化して何が美しいのだと言っていたことがあるが、小さな自然の中に全宇宙を感じようとする日本人の美意識だと説明したらキョトンとしていた。
   虐げ続けられたから、チャレンジ&レスポンスで、ユダヤ人はノーベル賞学者の半数近くを輩出し、世界に冠たる偉大な音楽家や大学者達を生み出したのではないか、と感じていたが口には出せなかった。

   しかし、椿は、木偏に春だから、やはり春の花で、桜の季節に咲き乱れる。

   
    
   
   
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趣味・読書と言うけれど・・・私の読書感

2007年03月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   読書の季節は、秋だと相場が決まっているようだが、春になって温かくなってくると急に色々と行動したくなって来て、読書が進む。
   私の読書遍歴だが、良く考えてみると、独善と偏見のみで進んで来たような気がして反省しているが、もう、後戻りできない。
   子供の頃から、小遣いに余裕が出来ると書店に出かけて自分で好きな本を探して買ってきて読んでいた。
   高校生の時の受験勉強も自分で参考書などを選らんで我流で勉強をしていたし、大学や大学院のテキストやリーディング・アサインメントや参考書など指定された本以外は、人の推薦を受けた本を読んだり、人から借りた本などを読んだりしたことは殆どなかった。
   読めるのか読めないのかは別にして、欲しい本、読みたい本、必要だと思う本は大体買い続けて来たので、人から薦められた本を読む余裕など全くなかったと言うのが正直な所である。
  
   話は全く違うが、年を取ると弱るのは「歯目足」だと言う。
   私の場合は、体重が減らないので足はともかくとしても、まだ、歯と目だけは可なりしっかりとしていると思っている。
   特に目は、読書に明け暮れている私にとっては命の次に大切なものである。
   メガネは大学生の頃から使用しているが、50代の半ばで、近くの方が見辛くなったので遠近両用レンズのメガネにかえたのだが、読書向きではないので、結局、日常用と読書用のメガネを並列して使うようになった。
   読書用のメガネは、裸のまま内ポケットに入れたり、置き忘れて踏んづけたりして壊れることが多いのだが、見えなくもないので裸眼で見ていると目が疲れて来てダメッジが大きくなる。
   ブルーベリーが目には良いと言うので、朝食には、レーズン・ブレッドにブルーベリー・ジャムを愛用しているが、心なしか効いている様に思っている。

   ところで、読書のジャンルだが、やはり、どうしても専門書や自分の趣味や関心のある分野の本が多くなってしまう。
   若い頃には世界や日本の有名な文学書を読んではいたが、やはり、文学や理工学等理系の本とはあまり縁がなくて、政治、経済、社会、地理歴史など、そして、多少は哲学や思想や文明論と言った文系の本が多くなり、それに、趣味の音楽や美術絵画、演劇、古典芸能、旅行と言ったところに集中してしまう。

   しかし、環境問題に興味を持ち始めると、気候や自然現象、エコシステム、農業や食品、天然資源などとドンドン分野が拡散して行く。
   イノベーションに興味が移ると、すぐに関連専門書は10冊を超え、経済や経営、技術、に止まらず、あらぬ方向に広がって行く。
   ところが、悲しいかな、年を取るに連れて記憶力が悪くなってきて、読んだ瞬間から中身を忘れてしまい、頭に残らなくなるので、後でなぞれば良いように本にドンドン鉛筆で線を引くようにしている。
   記録に残そうと思って、大分以前に、800字程度の印象記など書いてAMAZONのブックレビューに投稿したのだが、AMAZONが作為的に都合の悪い記事を載せなかったり、読者の意図的な嫌がらせを感じたので止めてしまった。
   現在は、そのうち、印象に残った本や興味深い本などを読んだ時に、このブログで経済や経営などのカテゴリーで感想などを書いて記録に残しているが、この方は自分の責任で気楽に書けるし、それに、結構良い記録にもなっている。
   余談だが、Googleで、アルビン・トフラーの「生産消費者」をクリックして検索すれば、私のブログがトップに出てくるが、このように皆様にも参考にして頂けてもいる。

   私の読書で、多少癖があるとすれば、同じ経済や経営関係の本でも、欧米人の書いた翻訳書が多いと言うことである。
   原書で読めばよいのだが、フィラデルフィアの大学院を離れて30有余年、ロンドンから帰って10年以上経ってしまって、多少英語が苦痛になってきており、大切な本は日英併行読みする程度になってしまった。
   何故、英米人の書いた本を読むのかと言うことだが、その方が優れているからだと言う気持ちは全くない。
   そうではなく、異文化の学者や実務家の書いた本と日本人の書いた本とでは情報量や発想の豊かさ等に桁違いに差があるからである。
   本に現れているのは、正に氷山の一角であって、欧米人著者の背後には膨大な異文化異世界の集積が充満しているのであって、教えられ触発されることが極めて多いのである。
   それには、私自身、欧米生活を経験しているので両方の発想を同時に受領できると言うメリットがあるからかも知れない。
   日本人著者の経済学や経営学の本でも、何故か、英米での留学経験や在住経験のある人の本が多いのだが、これも、同じ次元の感覚で受け止めているのかも知れない。

   もっとも、必ずしも総ての分野でと言う訳ではなく、例えば、シェイクスピアの分野でも、蜷川幸雄の演劇論など、ケネス・ブラナーやピーター・ブルックと同じ様に感激して読んでいる。
   芸術文化関係の本は、あまり、国籍には関係ないような気もしているが、これは、やはり、日本文化に対する思い入れが強い所為かも知れない。

   
   
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更なる事業再生のあり方・・・経済産業省シンポジウム

2007年03月07日 | 政治・経済・社会
   経済産業省が、事業再生人材育成促進事業について「更なる企業価値の向上を目指して」と言うサブタイトルの付いた『今後の事業再生のあり方』シンポジウムを東商ホールで開催した。
   「事業再生と企業価値向上を巡る最近の政策動向について」五嶋賢二産業組織課長から講演があり、その後、角和夫阪急阪神H社長の「更なる企業価値向上のための経営~経営者の視点から~」の講演、引き続いて、「今後の事業再生のあり方に関する懇談会」の各分科会の報告があり、最後にこの懇話会のメンバーによる「これからの事業再生戦略を考える」パネルディスカッションが行われた。

   一頃の深刻なデフレ不況から脱却した(?)安堵感か、「企業価値の向上」などと多少余裕が出てきて経産省のトーンが前向きの経営に移ってきた感じであるが、要するに、ホリエモンや村上ファンド事件で一時は悪の権化のように言われていた企業の時価総額のアップに邁進しろと言う宗旨替えであろうか。
   日本株式市場では、PBRの低い優良な日本企業が目白押しで、三角合併が解禁になれば、ほって置いても外資のM&Aのターゲットになることは間違いないので、経産省も気が気ではないのであろう。

   米国に煽られて、国際競争力の強化と経済発展の為に、外資の自由な流入を国是として門戸の開放を唱えたものの、企業価値が低くて競争力が脆弱であればたちまちハゲタカの餌食になってしまう。
   阪急阪神の角社長も、20%ルールなど政府の外資に対するM&A政策は不十分だと指摘していたし、会場の有識者がハゲタカが秋田辺りに徘徊し始めていると指摘していた。

   日興コーディアルの上場廃止で株価が下がれば、シティのTOBは益々有利になり、東京の金融市場もロンドンのシティのようにウインブルドン現象になる兆候が見えてきた。
   新生銀行や東京スター銀行の動きなどホンの端緒だが、欧米の金融機関の実力は、日本のカウンターパートとは雲泥の差がある。
   
   話は脇道にそれたが、懇話会のメンバーは実際の事業再生を論議して来たので、もっと話は現実的な事業再生の話で、特に、第3分科会の「地方・中小企業の再生のあり方」などのテーマになると急にトーンが暗くなる。
   第1分科会は、「なぜ、早期に着手できないのか?」と早期再生のメカニズムを問い、第2分科会は、「なぜ、迅速に再生できないのか?」と再生のあり方を財務・事業面から問うている。

   パネルディスカッションで、佐山展生一橋大教授が面白い議論を展開していたので、この論点だけについてコメントしてみたい。

   「良い会社か悪い会社かは、9割社長で決まる。
   良い会社に出来るのは社長なので、社長が良ければ続投させる。しかし、悪ければ退場させるべきである。
   次期社長について、投資ファンドなら交代させられるが普通は困難を極めるので、次期社長の決め方などについて本来どうあるべきか正面から議論しておいて事前に決めておくべきである。
   社長を長く居座らせない罰則なりインセンティブを作る必要がある。

   企業再生を可能とするポテンシャルのある人は多くなって来ている。
   育成の為には、3~40代の若手に子会社の社長を経験させるとか、一度会社を辞めて戻って来ても損をしないような社内の受け入れ態勢を整えるとかして対応すべきである。
  
   地方の再生については、東京一極集中が進みすぎており、所得税が安くなるとか何か地方で起業するメリットやインセンティブがなければ駄目である。
   地方自治体の長に、ビジネス経験者を選んで企業経営の視点から地方行政を行うのが望ましい。」

   最後の地方自治体の運営にビジネスの手法をと言う考え方は、ドラッカーが、以前からガールスカウトも教会も学校もマネジメント学が有効かつ必要だと言っており、非営利団体のマネジメント手法について論じている。
   言うならば、知事も戦国大名も大企業の社長も、団体や組織体を経営管理する、統治するのは同じであり、現代の経営学が役に立つと言うことである。
   あらゆる組織や団体に経営学的なマネジメントが必要であることは、何度もこのブログで触れて来ている。

   企業再生については、やはり、再生するトップの人選が一番重要で、欧米のようにターンアアラウンド・マネージャーが居れば楽であるが、日本では、再生請負人のようなプロ経営者は少ない。
   次期社長の選任だが、松井証券の松井社長は、駄目社長の首を切るのがコーポレート・ガバナンスだと言っているが、良くある退任する駄目社長が後継社長を選ぶのなど以ての外だと言うことでもある。10何段飛びだと言って経験不足の社長を選んで失敗する会社もあった。

   再生を担当するのは、経営者、株主、債権者、従業員、取引先などと色々検討されて、懇談会では、債権者が一番適当だと言う考え方だが、みんなの頭には、銀行と言う意識が可なり強くあるようである。
   これについて、佐山教授は、銀行は、自分達の債権回収を優先して会社の為に良いことを二の次にするので問題だと言っていたが、現状の日本の銀行では無理であろう。
   話は全く別だが、世銀の上級副総裁までやりながら、スティグリッツが、IMFは、欧米の債権者の債権回収の為のみ経済破綻国に金を貸して過重な負担を強いていると糾弾していたが、これに近いかもしれない。
   ダイエーを何時までも死に体で泳がせて窮地に追い込んだのは、銀行が自分達の破綻の危険を避けるためだったということは衆知の事実でもある。
   銀行が主役としても、パネリスト達が、地方銀行の力のなさと都市銀行の首都圏と地方行員の実力格差の大きさからも、地方の再生は苦しいと論じていたのが印象的であった。
   ハゲタカが来ていても気付く人も居ないし、まして対応など出来る筈がない、と言うのである。
   

   
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ITの虚実皮膜論

2007年03月06日 | 政治・経済・社会
   HBR誌のシェリー・タークルMIT教授の「IT社会の心理学」と言う面白い論文を読んでいて、ITのバーチャルな世界とリアルの世界との錯綜について考えさせられた。
   特に、おもちゃの世界で、ソニーの「アイボ」やたまごっちに対する人々の対応や、映画などのCGが実現するバーチャルの世界と実際の世界との差を峻別できなくなっている人間の心理などの、正に、虚実皮膜の心理現象についてである。

   人間と目を合わせ、身体の動きを真似るようプログラミングされたロボットと子供たちのやり取りを調査したら、ロボットが子供と目を合わせ、瞳の動きを追い、子供に向かって何か仕草を見せると、子供たちはそのロボットが知覚や思いやりまでも持った存在であるかのように反応したと言うのである。
   ところが、複雑なロボットであればあるほどすぐ飽きて、より単純なロボットの方を好むと言う。
   「アイボ」は賢いけれど、たまごっちの方が自分達をもっと必要としているからだと言うのである。
   たまごっちのスイッチを切る前に必ずおやすみの儀式を行う人が居り、オンラインに「たまごっちの墓地」が出来ると、自分の死んだたまごっちをその墓地に埋葬したがった人々が居たのである。

   ところで、「アイボ」だが、ある女性が「アイボは、危なくないし、裏切ることもないし、突然死んで飼い主を悲しませることもないので、本物の犬よりも良い」と言っている。何時までも死なず、決して喪失感を味わうことのない生き物(?)に感情的に入れ込む可能性があるから、ロボットのおもちゃが愛されるのであろう。

   これと良く似た話で、「ELIZA イライザ」と言うセラピストのプログラムだが、主に、患者が言ったことをオウム返しに答える。例えば、「失恋した」と言うと「失恋したのですね」と答えるのだが、人々の多くは、まるで人に接するようにイライザに接した。
   プログラムが自分に自分の悩みを分かってくれて同情する筈がないと分かっていても、悩みを打ち明けて一人で画面に向かいたがる。
   ロボット・セラピストが気に入られているのは、人間のセラピストのように薬を押し付けたり暴言を吐いたりしないし、中立的な存在であり、口の堅い聴き手であり、豊富な情報源であるからだと言うのである。

   インターネットは中毒になると言うことだが、タークル教授は、人々は、画面上の生活から、内省的な精神で自己規律的態度を広く育む為にオンライン生活に臨んでいるのだから、麻薬のように取り締まっては駄目だと言う。
   コンピュータは、一種の鏡の役割を果たしていて、謂わば第二の自我であり、「心理的モラトリアム」を提供していて、アイデンティティで遊ぶ真剣な遊びなのだから、麻薬と言うよりはロールシャッハ・テストだと言うのであるが、果たしてどうであろうか。

   彼女の娘が地中海のクルージングで実際のくらげを見て「あ、くらげだ。すごく本物っぽく見えるわ。」と言ったと言うのだが、子供たちは、バーチャルのCG画面やロボットでもっと活発に動くいかにも動物らしい行動を見ているので、動物園で本当の動物を見ても、思ったほどリアルでないので失望するらしい。
   本物の動物ではなくシュミレーションした方の動物を期待するようになれば、我々の文化はどうなるのであろうか。

   カークル教授は、感情的には、人間と機械と区別が付かなくなって来ると、その差は「生物性」であると言う。
   ロボットは賢く友達にも成れるけれども、「本物の心臓や血」を持っていない。
   手塚治が「鉄腕アトム」を何十年前に創り出したが、人間のようなアトムでも、やはり、肉体ではなく子孫を残せない所謂ロボットでありバーチャルな人間であったのである。
   生身の人間を創った神と、ロボットしか作れない人間との差である。
   しかし、人間は、クローン人間を創ろうとしている。神への挑戦であろうか。

   近松門左衛門が「虚実皮膜論」を説いた。芸術は虚構と現実の狭間にあると言うことであるが、コンピュータやITはその域を通り越してしまって、虚構でも人知の及ばないような世界をも現出出来るようになってしまった。
   神の創造した地球上の森羅万象、壮大なエコシステム、そして無限無窮の大宇宙を飛び越えて、人類は、想像の趣くままに虚構のバーチャル世界を作り出そうとしているのである。

   話はあらぬ方向に飛んでしまったが、コンピュータ、インターネット等々IT革命の進展が人間にとって幸せなことなのかどうか、虚実の逆転などを考えると分からなくなってしまう。
   

   
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ソフトローの世界・・・東大21世紀COEプログラム

2007年03月05日 | 政治・経済・社会
   「法」と言えば、裁判所で履行が担保されている国の法律(ハードロー)のことをさすのだと思うのだが、しかし、良く考えてみると、この世の中には、そのような法律ばかりではなく、日常生活において行動の基準となっている「規範」は沢山ある。
   このように国の法律ではなく、最終的に裁判所による強制的実行は保証されてはいないが、現実の経済社会において、国や企業が何らかの形で拘束感を持ちながら従っている諸規範があるが、これをソフトローと称して、東大の21世紀COEプログラム「国家と市場の相互関係におけるソフトロー」が研究を続けている。
   今回、神田秀樹教授の司会で「デファクト・スタンダードと規範形成」と言うタイトルで六本木ヒルズのオーディトリアムで公開シンポジウムが開かれた。

   第一セッションは、三苫裕助教授の「ビジネスロー分野におけるデファクト・スタンダードの形成とハードローとの相互作用」と言う面白い講演で、不動産流動化と敵対的買収防衛策を例に、まず、デファクト・スタンダードとは何かから話が始まった。

   デファクト・スタンダードと言えば、電子機器やソフトウエアの規格などでポピュラーだが、その分野での事実上の標準・規範・規格を形成している。
   このデファクト・スタンダードは、ビジネス・ローの世界にも存在しているが、
   法令ではなく、有効性・適法性についての保証もないし、逸脱したからと言って問題を惹起するわけでもなく、内容を性格に記述出来ないし、複数存在するし、固定的ではなく経済情勢やハードローなどのよって変化する。
   ハードローのない分野や業界団体がある分野や外国に同種取引がある分野に形成され、意図的に上からガイドラインやモデル等の形で形成されたり関係当事者間での先例踏襲や模倣、自然淘汰などのかたちで形成される。

   不動産流動化取引については、法の換骨奪胎を図り有利なスキームを模索しながら、特定の法律に根拠があるわけではないが、有限会社/合同会社を核とするYK(GK)-TKスキームが成立した過程を説明し、その後の金融商品取引法などのハードローの成立で間口が狭くなって来ており上手く逃げ切れるかどうかと言った話を展開した。

   敵対的買収防衛策については、経済産業省の企業価値研究会の議論やアメリカのポイズンピル(ライツプラン)に沿って、信託型ライツプランと事前警告型防衛策が同時並行的に起こったが、結局、機能や法的安定性に大差なく、導入コストが安く、仕組みが簡単で改変の自由度が高く、模倣が容易なので、事前警告型防衛策がデファクト・スタンダードになった経緯を説明した。 
   面白かったのは、先行者が、大変な苦労をして編み出した防衛策を、後続者は殆どコピーするだけで良く、このフリーライドを認めたことだが、これは、デファクト・スタンダードになれば、法的安定性が高まり、アドバイザーもその後の仕事にありつけるからだと言うことであったらしい。
   皆で渡ると怖くない、デファクト・スタンダードになれば、法も無視できなくなると言うことであろうか。

   ソフトローを後追いしてハードローが形成される場合が多いが、その逆も有り、ハードローとソフトローのお互いに影響を与え合う双方向性や相互補完性についても論じていた。

   第二セッションは、小賀坂敦公認会計士の「デファクト・スタンダードとしての会計基準の形成」。
   企業会計、資本市場における会計基準やその役割について概説し、わが国の会計基準の形成過程を詳細に論じた。
   神田教授のコメントだが、会計関連法規は、法の形成は民間で、エンフォースメントは政府と言う特異な法の分野だと言うことである。

   第三セッションは、宮崎裕子客員教授の『国際課税におけるデファクト・スタンダード」。
   日本法人が形成した匿名組合に、本社がアメリカにあるオランダ法人が匿名組合員として参加して利益を得た場合、その利益配分についての国際課税の問題を、二重課税の回避・排除とからませながらデファクト・スタンダードの複雑性を論じた。
   匿名組合は英米にもオランダにもない制度だが、日本においても不明確で問題の多い法システムでもある。外国の組合員には税がかからなかったので英国で国際的に美味しい取引だと報道されて人気が出始めて、その後日本でも調査を強めて税法を変えたりしたのでトラブルが起こり、法体系がしっかりしていないと混乱を来たすと仰る。
   
   このシンポジウムも今回は8回目だとかで、非常に漠然としたソフトローの世界を、色々な切り口で研究しており、このような学際的なアプローチで法体系を追求することによって、法のあり方を考えるのは非常に貴重だと思って、専門分野ではない難しい話をよく分からないままに聞いていた。
   COEプログラムでは、東大と早稲田大学の公開セミナーやシンポジウムで勉強させて貰っているが、非常に素晴らしいシステムだと思っている。
   
   
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江戸城展・・・江戸東京博物館

2007年03月04日 | 展覧会・展示会
   忘れてしまっていたのだが、最終日に「江戸城」展を見るために、江戸東京博物館に駆け込んだ。
   昼過ぎに博物館へ出かけたら、チケットを買うのに行列が出来ていて、館内に入ると芋の子を洗うような込み具合で、鑑賞もそこそこにして外に出た。
   しかし、外では大変な行列で、チケットを買う列が中庭まで出ていて、買ってもその後入場制限で長い列が続いていて、これでは難行苦行である。
   残念ながら、重要文化財の「歯朶具足」は既に展示変えされていたが、可なり大掛かりな展示で、まずまずの勉強をさせてもらった。
  
   館内に、江戸城と松本城の夫々の天守閣の50分の1模型が展示されていたが、これだけを見ても江戸城の規模の壮大さは分かろうというもので、沢山の江戸城の絵図面や平面図が展示されていて、松の廊下などを確認しながら、大奥は何処であろうかなどと考えながら見ていたが結構楽しかった。
   立派な天守閣であったのだろうが、実際政治上で重要だったのは低層の広大な江戸城の部分で、戦争がなかったのでヨーロッパの宮殿に匹敵する位置づけである。京都の二条城を大きくしたような宮殿をイメージすれば良いのであろうか。

   江戸城天守閣の平面図は、何時も見慣れている柱型だけだったが、しかし、現在のものと同じ詳細な側面図を見て、その美しい曲線に感激した。ヨーロッパでは本当に美しい細密な図面を見る機会が多いのだが、日本の場合は間取り図のような感じのものばかり見ていたのである。
   一寸次元が違うが、伊能忠敬の偉大さも、その地図を持ち出そうとしたシーボルトの悪巧みも分かるような気がした。

   入り口を入ると、まず、太田道潅と徳川家康の座像が展示されていて、その後の最初の展示は、安土城や聚楽第、大阪城や江戸城の金箔瓦やその破片、そして、大判などの金貨や貨幣であった。
   屏風絵や絵巻物などで当時の江戸の様子や人々の性格などが良く分かるが、外国人の見た江戸の風景や江戸城内の絵画やレポートが結構面白かった。オレンブルク「東アジア遠征記」の橋門の図など雰囲気が出ていて中々素晴らしい。

   やはり、江戸の最後は18世紀の後半であるから写真が登場しており、和宮の写真を見て現在との接点を感じたのだが、何よりも、明治初年に写されたガラス原版の各所の江戸城内で写された風景写真が非常に興味深かった。

   私が面白いとを思ったのは、大奥と将軍の暮らしのコーナーで見た「奥勤楽寿ご六」。すなわち「奥勤め楽しみ双六」と言う綺麗な彩色のスゴロクで、色々な奥勤めの絵が描かれているのだが、何と『あがり』が、芝居を見ることなのである。
   上段中央のあがりのところには、歌舞伎役者の色々な姿勢で見得を切っている錦絵が描かれていて、禁断の淑女達にとって歌舞伎見物がいかに楽しみであったのか分かって興味深かった。
   なんと言っても思い出すのは、奥女中江島と歌舞伎役者生島との激しい恋物語の「江島事件」あるが、起こり得て当然の事件だったのかも知れないと思ってみていた。

   この口絵は「千代田の大奥 雛拝見」だが、大奥に飾られた雛人形を、大奥の女性達が縁の人々を招待して見せているところとかで、大奥と言っても可なりオープンな面もあったのかも知れない。
   余談だが、上段に男雛と女雛が複数並んでいるのが面白かった。

   外国の場合も特別展は可なり人込みでごった返すが、それでも、日本の美術館の混み具合とは桁が違う。
   昔、京都国立博物館でミロのビーナスを見るのに何時間も切符を買うのに並んだが諦めて帰ったことを思い出した。その後、何度もパリで至近距離から見ているのも皮肉といえば皮肉である。

   出口を出ると売店があるが、その売店に展示されている印刷物の江戸城や江戸の絵図面を丹念に指を当てながら見て復習していた客が何人もいたが、本物より、明るいところでコピーをじっくり見て鑑賞し直すと言うのも何となく寂しい気がした。
   しかし、現実はそうなのだから仕方がない。
   日本の場合は、文化芸術などの鑑賞チャンスは殆ど東京にしかないのだから、東京にいるということだけでも感謝しなければならないのであろうと思っている。
   

   
   
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21世紀の米国競争力戦略・・・ケント・H・ヒューズ氏講演

2007年03月03日 | 政治・経済・社会
   イノベートアメリカを始動したパルミサーノ・レポート作成に加わったK.H.ヒューズ氏が、「米国競争力戦略の革新」について、日立の「INOVATION FOR THE FUTURE」フォーラムで講演を行った。
   アメリカが、この世界規模での激烈な競争社会において高い生活水準を維持して行けるのかどうかに関心を持つ人には必読の書だとして非常に高く評価されている「Building the Next American Century」の著者であるヒューズ氏が、この本を踏まえながら、過去2回のアメリカ経済の挑戦を紐解きながら、21世紀のアメリカ経済のあるべき姿について熱っぽく語った。
   非常に分かりやすい理論展開で、アメリカの良識を髣髴とさせる講演であった。

   ヒューズ氏の見解では、戦後米国人が強烈な危機意識を感じたのは、ソ連のスプートニク打ち上げ、1970年代の深刻なスタグフレーション、それに、1980年代の日独との経済競争の敗北であった。
   スプートニクでソ連に先を越された屈辱は致命的で、アメリカの教育、特に、科学技術教育に対する根本的な欠陥が浮き彫りになって、教育そのものが国家安全保障の根幹となったのである。
   そして、80年代には、日本の経済的な挑戦を受けて、製造方法や企業形態のみならず、アイデアを製品やサービスに転換するイノベーションシステムの大幅な変革を余儀なくされたのである。MITグループが、日本企業を徹底的に調べ上げて「Made in America」を出した。トヨタの「リーン生産方式」がアメリカの製造業に衝撃を与えて革命を起こさせたのである。
   当時の深刻な問題を解決する為に、米国は徹底的に調査研究を重ねて艱難辛苦し解決策を模索したが、その時の教訓と戦略が、混迷を極める今日の激烈なグローバル経済戦争時代においても有効であると言うのである。

   ヒューズ氏は、競争戦略は、公共及び民間投資、強力なイノベーションと教育システム、グローバルな関与への取り組み、そして国家の価値観や目標に基づいた行動を奨励する経済環境を重視するところにあるとする。
   長期的な生産性向上を実現する為には、官民投資の促進策を講ずることが必須で官民パートナーシップが有効であること、
   イノベーションシステムの構築の為には、新技術の出現、新たな競争相手の台頭、新しい国家優先課題に適応することが大切であること、
   成長の促進と機会の拡大の為の教育・訓練を重視すること、特に、生涯教育に対する国家の取り組みを拡大する為の戦略を打ち出すこと、
   国際関係は貿易や金融の域を超えて幅広いグローバルの関与の時代に突入しており、これまでの地政学的(geopolitics)のみならず地理経済学(geoeconomics)分野の能力の涵養が必須であり、グローバル経済における相互依存関係を管理しグローバル化を上手く成し遂げる必要のあること、
   そして、長期的な持続的経済成長、技術イノベーションの促進、教育の改善、幅広い機会均等等によって豊かな経済社会を構築し、建国の理想であったアメリカンドリームを更に時代にマッチしたドリームに発展させて実現しなければならない、と説いているのである。

   80年代の日本とドイツの爆発的な経済成長の秘密が、公共部門と民間部門の緊密な結びつきにあることを学んだアメリカは、長期的に生産性を高める為に公共政策と民間イニシャティブの両方の必要性を知り、官民パートナーシップを促進した。
   官民リーダー間で「新たな成長のための盟約」が生まれ、基礎科学・技術への政府投資が民間の研究やイノベーションを補完し、イノベーションへのバリューチェーンが生まれたのである。
   IT革命を加速させたインターネットの軍から民への転換は、正に、アメリカ経済を蘇らせたのである。
   
   ヒューズ氏の話を聞いていて感じた重要な点の一つは、アメリカの教育の問題である。
   特に高校生以下の若年層の学力が世界の水準より遥かに低いことを憂えており、何度も、有効な生涯教育システムの確立の必要性を強調していた。
   大学院レベルの教育では世界最高水準を維持しているが、現実には、教授や研究者の過半数は外国国籍を持つ学者であり、言うならば、アメリカでも科学技術や学術の世界でのウインブルドン現象が起こっているということである。
   理工科系の大学レベルでのエンジニアの育成においては、量的にはインドに遥かに遅れを取っており、製造業の分野でもアウトソーシングやオフショアリングの促進によりコア技術の開発が発展途上国に移って空洞化しつつあるとも言われており、アメリカの教育問題は深刻な模様である。

   しかし、イギリスの経済状態が非常に好調なのは、ロンドンのシティを核とした金融業での好況が貢献しているのだが、銀行を筆頭に殆どのプレイヤーは外国籍であり、完全なウインブルドン現象である。
   日本では外資による日本企業の買収や乗っ取り、M&A等に神経質だが、欧米人は殆ど気にしていないし、むしろ、企業が外国に移り空洞化して雇用が減少することの方を心配する。良くなれば、ウインブルドン現象であれ何であれ歓迎である。
   そう考えれば、ヒューズ氏の心配も、大学・大学院レベルでは、外国の科学者なり学者・研究者などを吸引する魅力的な環境が整っておりさえすれば良いということであろう。
   しかし、若年児童層の教育や働き手である労働者や従業員達の教育訓練は、アメリカ国内で実施し、そのレベルを高めなければならない。
   アメリカは自由経済市場の国なので、もろにグローバル経済の影響を受けるので、日本と違って、国際労働水準の平準化が急速で、教育技術水準の低い労働者は排除され生産性の低い製造業は駆逐され、格差の拡大と深刻さは大変だと言う。

   ITに代替されるような仕事はドンドン消滅して行き、創造的な頭脳や知識、ノウハウ、知財等知的な価値を生むもののみが意味を持ってくる知識情報化産業社会だが、益々、有能な人的資源が価値を持ってくる。
   ヒューズ氏の言うように、経済成長を図るためにもイノベーションを促進する為にも、教育・訓練が最重要な課題なのかも知れない。
   ならば、それに付いて行けない人間は排除されてしまうのであろうか。
   
   
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三月大歌舞伎・・・義経千本桜・仁左衛門のいがみの権太

2007年03月02日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   私にとっては、今回は、松竹100周年記念以来はじめての歌舞伎座での通し狂言の『義経千本桜』であり、それに、一部、上方の演出の段があって、これが実に面白かったので存分に楽しませてもらった。
   初日だから、何となく華やいでいて、富司純子さんや扇千景さん、高麗屋や松嶋屋の奥方など歌舞伎役者の関係の人々が和服姿でロビーに居られるのだから一層雰囲気が出てくる。

   上方の演出と言うのは、いがみの権太が出てくる四幕目の「木の実」と五幕目の「すし屋」で、仁左衛門の権太が、最初から最後まで、所謂生粋の大阪弁で通す。
   それも、関西の人間なら分かるがそれ以外の人には一寸分からないようなニュアンスの表現や、それに、関西弁のゴンタと言うイメージに近い悪知恵の働きすぎる悪がきの日常言葉をぽんぽん鉄砲玉のように喋るのであるから、とにかく、関西ムードにどっぷり浸かった感じの舞台である。
   それに、脇を固める役者が、権太の女房小せんに兄の秀太郎、妹に息子孝太郎、主馬小金吾武里に扇雀、景時に兄の我當など上方出身なのでいやが上にも関西の雰囲気が増幅される。

   いがみの権太については、團十郎の個性豊かな決定版とも言うべき権太が私自身の頭に刷り込まれたイメージで、骨太で一寸剛直なアウトローと言った感じであったが、今回の仁左衛門の権太で全く違った権太像が住み着いた。
   母親にさえガキの様に甘えてしなだりかかり騙して金を取り上げれば横を向いて舌を出す、そんな大阪の何処にでもいるような等身大のチンピラのごろつきを仁左衛門は実に胸がすく様に上手く演じている。
   そのような小癪な悪がきが、改心すれば、断腸の思いで最愛の吾が妻と子を清盛の孫惟盛の妻若葉の内侍と息子六代の身替りに差し出すのである。
   縄付きで引かれて行く妻小せんの秀太郎の何ともやるせない哀調を帯びた仕草と、それを見送る権太仁左衛門の胸を抉る様な心の号泣が実に悲しい。
   前幕の「木の実」で子煩悩でデレデレの権太を演じた仁左衛門が、死の際で妻や子への限りなき思いをかき口説くその落差が実に切なくて胸に迫るのである。

   今回、仁左衛門は、前半の昼の部の「三幕目 道行初音旅」で、菊五郎の忠信と芝翫の静御前を追っかける追手の頭逸見藤太を実にコミカルに演じていた。
   花道で、多くの捕り手を相手にして、「待て、待て、待て・・・」と行きつ戻りつする冒頭から秀逸な演技で客を沸かせる。
   二枚目の看板役者が演じるような役ではないが、この素っ頓狂で間の抜けた役が絶品で、横で見ていた菊五郎が微笑んでいたのが印象的であった。
   どんな役でも器用にこなせる役者は居るが、どんな役を演じてもサマになる役者は極めて少ない。

   ところで、四幕目の後半「小金吾討死」での扇雀の小金吾が中々の出来で大立ち回りなど流れるように美しい。
   この演目を見て扇千景さんはお孫さんたちと歌舞伎座を後にされていたが、女形の陰を引き摺っていない扇雀を観た感じで新鮮であった。

   「すし屋」の権太の父親役の左團次と母親役の竹三郎が実に良い味を出していてしみじみと聴かせる。
   それに、秀太郎の娘お里の田舎娘の色気付いた恥じらいとまめまめしさ、優男と凛とした御曹司を好演している惟盛の時蔵、風格のある若葉の内侍の東蔵など実に素晴らしいキャスティングである。
   それに、やはり、素晴らしいと思ったのは、権太の女房役の秀太郎で、「木の実」での権太との夫婦のやり取りも素晴らしいが、「すし屋」では、猿轡を嵌められて縄付きにされて登場して縄付きのまま退場して行くだけなのだが、流石に大役者で身体全体と目で運命の悲しさと儚さを演じていて感激して観ていた。

   この「義経千本桜」は、殆ど義経物語とは縁のない話になっているが、大仰な時代物の中に、今回は、上方風の世話物が嵌め込まれ、それに、絶品とも言うべき菊五郎の狐忠信の怪奇の世界を演出するなど、最初から最後まで実に面白い。
   仁左衛門のいがみの権太を観るだけでも値打ちがある、そんな歌舞伎座の三月大歌舞伎である。
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株主資本主義の軋み

2007年03月01日 | 政治・経済・社会
   杜撰な食品生産管理をしていた不二家が、生産を再開したといって鳴り物入りで開店祝いでもするかのように放映するTV局もTV局だが、企業不祥事がこれほど日常茶飯事になってマスコミの話題をさらってしまうと正常な人間もおかしくなってくる。
   日興コーディアルの粉飾決算と株式上場停止問題、みすず監査法人と言うよりも中央青山監査法人の崩壊、大手ゼネコンの談合と関係者の逮捕、電力会社の原発事故に絡む不祥事等々、同じ様なことが何度も繰り返されていて一向に止みそうにない。
   株主資本主義の軋みの視点から会社を考えてみたい。

   まず企業不祥事だが、エンロンやワールドコムなどを筆頭に、欧米の場合は、経営者が自分の私腹を肥やすための犯罪が大半だが、日本の場合の不祥事は、その良し悪しは別にして、妖しげで得体の知れないファンドやニュービジネスの経営者は別にして、前述の場合の不祥事も含めて大概の企業の場合には会社の為にと言う枕詞が付いているケースが多い。
   もっとも、この会社の為にと言う視点が、経営環境を取り巻く経済社会や人々の価値観が大転換しているにも拘わらず、時代の流れから大きくずれていてそれに対応出来ていないところに問題がある。
   法化社会になって、企業倫理とコンプライアンスが喧しく騒がれ、企業の社会的責任が大きく問われるようになり、企業活動そのものに美しさ(?)を求められる世の中になったのである。
   これらの不祥事を排除するためには、国民なり消費者なり株主なり社会を浄化すべくピープルパワーがしっかり育つことであろう。
   住民訴訟や株主代表訴訟などのカウンターベイリングパワーが再び勢いを盛返して来るかも知れない。

   ところで、ゼネコンの談合問題については次の展開を見て論じるとして、今回問題にしたいのは、証券会社の粉飾決算である。
   粉飾決算の不祥事の場合は、何時も関係当局のアプローチにいらいらするのだが、粉飾を行う必要があるのは誰かと考えれば、当然経営者であるから罪の所在は最初から極めて明確である。
   問題は、この場合、資本主義の資本主義たる由縁である株式そのものを商っている証券会社が粉飾を行ったことである。
   証取法が改定されてからアメリカ型の厳しい法体系が日本にも整備されたが、フェアな株式取引の根底にはフェアで正確な財務会計情報の開示、即ち、財務報告の信頼性の確保が必須であるが、この重要な使命を守護し守り立てて行くべき筈の証券会社が自らこれを公然と破ったのである。
   この証券会社の粉飾決算をあろうことかカネボウ事件等で分解状態であったみすず監査法人が監査証明を発行して更に財務報告の信頼性に泥を塗り罪の上塗りをした。
   日本の株式会社制度の将来が何処まで信頼に値する状態まで進展するのか心もとない限りである。
  
   ところで、今回論じたかったのは、ハーバード・ビジネス・レビューに掲載されたロンドン・ビジネス・スクールのチャールズ・ハンディの「株主資本主義の軋み What's a Business For ?」と言う英米人にしては珍しい社会への貢献等を重視した資本主義論についてである。
      
   株式市場を柱としたアングロ・アメリカ型の資本主義では、株主価値をどれだけ創出したのか、株価をどれだけ伸ばしたのかが成功の指標となる。株価を押し上げる為に、既存事業を地道に伸ばすよりは短期間にB/Sの見栄えを良くしたり量的な拡大を求めてM&Aに走るなど、株高を実現するために自社の将来を質に入れる経営者も多い。
   資本市場を王とあがめ、企業は社会を進歩させる原動力であり国家政策もこれを優先すべきだと言う信念を貫き、繁栄を謳歌したこのアメリカの利益信仰に、サッチャーなどが心酔し、一時期ヨーロッパにも影響を与えた。

   元々、ヨーロッパ、特に大陸では、無償医療と質に高い教育、障害者向け住宅、更に高齢者、疾病者、失業者などへの生活保障と言った福利厚生が当然と看做されており、株主資本主義が入り込む余地がないように思われていたが、経済社会の長期停滞で活力が不足し、規制により経済が硬直化し企業経営に精彩を欠き始めるとアメリカ流のマネジメントに影響を受け始めた。
   しかし、企業家精神は取り戻したものの、その陰で市民社会が活気を失い、医療や教育、運輸などの公共サービスの質が悪化し、投資が減少すると供に、企業トップの不祥事が続き、無謀な買収路線を突っ走って倒産する会社が出てくるなど弊害が生じて、アメリカ型資本主義に疑問が出て来た。

   企業の目的は利益だけなのか。企業は誰のものなのか。
   企業の理論上の所有者は株主だが、現実にはその株主の大多数は「投資家」「投機家」で、会社に誇りや責任を持った所有者ではなく「一山当てればそれでよし」とする株主に代わってしまっている。
   しからば、このような株主の要望に応えて利益を追求することのみが企業本来の目的なのであろうか。

   企業は財産の一種で財産法や所有権の対象となるというのは2世紀前の話で、今日では、知的資産、ブランド、特許、社員のスキルや経験や知識などソフトや知価の重要性が高まっており、これらを資金提供者の資産と位置づけて自由な売却を認めるのは現実的ではないし正義とは言えない。
   社員は法律上も会計上も企業所有者に属すると看做され資産ではなく費用であり、資産は増やそうとされるが、費用である人は削減されようとする。
   ハンディは、企業の所有権を問題にしながら、企業の根本は有能な社員にあるとして、価値を生む社員が削減対象の費用であって何故資産として処遇されないのかとして、企業の価値論の根幹を問題にすると共に、企業会計の根本的な不備を突いているのである。
   この人的資源の生み出した価値の資産化については、C.J・フォンブランが、レピュテーション価値の資産化を唱えている理論に相通ずるものがあり、将来の企業会計の課題となると考えられる。知価社会になれば当然の帰結でもあろう。
   
   企業の存在目的が単に利益を上げるだけであってはならず、利益を上げ、それを糧にしてより良い、あるいはより豊かな何かを行うことであって、企業の存在価値は、この『何か』にかかっている。
   優れた企業は、目的ある共同体であり、共同体は所有の対象として馴染まない。
   富を生み出し、分配する機能を持った団体、即ち、労働者、管理者、技術者、執行役員達が法律上、正等に認められておらず、逆に、富を生産することも分配することも出来ない株主、債権者、取締役らが構成する団体のみを法律で認めている。
   実態のある団体にしかるべき法を用意し、形式的な団体から無意味な特権を取り上げようではないか、とまでハンディは言うのである。

   ハンディは、環境問題などサステイナビリティについても語っていて、企業の社会的責任を含めた優れた共同体としての企業のあり方について問題を提起していて興味深いが、この問題は別の機会に論じたい。
   
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